社交界に咲く花
秋が近づき、昼間の暑さはまだ残るものの、夜風は少しずつ涼しさを帯びるようになっていた。
けれど、屋敷の机の上に積まれた招待状の山を前にして、私は思わず溜息をついた。
「また……ですか」
舞踏会、茶会、狩猟会。送り主はどれも名のある貴族ばかり。
求婚騒ぎが落ち着いたと思ったのに、私という存在そのものが、社交界の好奇心と噂の種になっているらしい。
「君が注目されるのは当然だ」
アルベルトさんはそう言って愉快そうに肩を揺らす。
「異界からきた女性が控えめで楚々とした存在だなんて、この国の男からすれば女神が与えた幸運だ」
からかうように笑うアルベルトさんの声に、胸が熱くなる。
私は慌てて首を振った。
「そ、そんな……私はただ、普通にしているだけで……」
言いかけたところで、静かな声が割り込んだ。
コンラートさんだった。彼は山のように積まれた招待状の束を手に取り、落ち着いた口調で言う。
「……仕方ありません。アリサ殿の人柄に触れれば、夢中になるのも頷けます」
思いがけない言葉に、胸が熱を帯びる。
けれど同時に、机に積まれた招待状の山を見つめて、心は重くなった。
「……でも、これ全部に応えるなんて、とても……」
俯く私の肩に、アルベルトさんの大きな手が置かれる。
力強く、けれど優しい仕草で。
「安心しろ。必要のない場には出なくていい。俺たちが盾になる」
真っ直ぐに言い切るその声音に、胸の奥が温かくなる。
一方で、コンラートさんは視線を落とし、机の上の招待状を丁寧に揃えた。
「ただ……まったく無視するのも不自然です。選んで出席する方が賢明でしょう。アリサ殿のお気持ちを最優先にしながら」
静かで誠実な言葉。
二人の考えは対照的に見えて、どちらも同じく私を守ろうとしている。
――その想いが、何よりも心強い。
「……ありがとうございます」
小さく零した声に、アルベルトさんは穏やかに微笑み、コンラートさんは静かに頷いた。
その二つの視線に包まれながら、私は胸の奥が甘く満たされていくのを感じた。
煌びやかなシャンデリアの光が大広間を照らす。
絢爛なドレスに身を包んだ貴族の令嬢たちの笑い声、楽師の奏でる優雅な調べ、そして甘い香りの漂う酒杯。
――その中心で、私は完全に囲まれていた。
「奥方様、そのドレスはまるで星明かりのごとく輝いていますな」
「噂以上にお美しい……豊穣の女神も嫉妬するでしょう」
「領主殿に先を越されたのは惜しいが……せめて舞踏のひとときを!」
貴族男性たちが口々に言葉を並べ、笑顔を絶やさず、次々と手を差し伸べてくる。
その場に立っているだけで、息苦しいほどの熱気と視線が押し寄せてきた。
「……あの、私は……」
どう応じればいいのかわからず言葉を詰まらせた瞬間。
背後からすっと腕が伸び、私の腰を支える感触があった。
「お褒めの言葉はありがたいが――」
低く落ち着いた声。アルベルトさんだ。
「彼女は私の妻だ。過度な賛辞は、彼女を困らせるだけだろう?」
余裕を湛えた微笑みを浮かべながらも、その眼差しは貴族たちを圧するように冷ややかだった。
場の空気が一瞬にして張りつめ、彼らは互いに顔を見合わせ、言葉を失う。
その横で、コンラートさんが静かに前へ進み出た。
声を荒げることはない。けれど、その凛とした佇まいは揺るぎなかった。
「……アリサ殿がどなたを選ばれるかは、彼女ご自身の意志に委ねられるべきです」
その言葉は柔らかく、しかし有無を言わせぬ力を帯びていた。
未婚の貴族たちは、圧されるように一歩退く。
私は二人の間に守られて、初めて呼吸を整えることができた。
「……ありがとうございます」
小さな声でそう呟くと、アルベルトさんは肩を抱く手に力を込め、耳元に低く囁いた。
「俺たち以外に、君を惑わす言葉など必要ない」
反対側で、コンラートさんが穏やかな笑みを浮かべ、視線を重ねてくる。
「どうか安心してください。あなたは決して、一人でこの場に立っているのではありません」
煌びやかな大広間のただ中で、二人の言葉が胸に染みわたり、頬が熱を帯びていく。
貴族たちの視線すら霞むほどに――。




