【第88話:回顧のエピローグ】
ラウマ像が納められた白い祠。
森深くに隠された泉のほとり。
ここはかつてマルコがエイリスに出会った地。
ただ風と陽光と、少し湿った土の香り。
マルタスは立ち尽くしていた。
今5人の少女達が、笑い合っている。
沢山の傷を背負って、それでも笑っている。
ユアがこちらを見て手を振る。
ーーお前ぐらい世の中を恨んで良い娘はいないだろう。
ひまわりみたいに笑いやがって。
アミュアは小さく会釈し微笑みを添えた。
ーーユアから聞いた旅は、楽なものじゃなかったろう。
あの無表情だった子が、こんなに綺麗に笑う。
カーニャはまだ視線を合わせてくれない。
ーー焦らずこれからは自分の為に生きると良い。
その取り戻した小さな笑顔の意味を忘れないで欲しい。
ノアは少し照れたように視線を逸らす。
ーーでも口元には笑い出す寸前のクセが出ているな。
最初に比べたら本当によく笑うようになった。
マルタスは目を細めて、ノアからラウマに視線を移す。
ラウマはいつも笑顔だ。
視線の先には慈愛の笑みを浮かべる少女が、気づいて手をあげる。
ーー不思議な出会いだったが、おまえがいなければ思い出さなかったろうな。
マルタスは覚悟を決めたように一度目を閉じ、真剣な目線をラウマ像に向けた
かつて、この場所で怒りに任せて力を振るった少年。
救いたかったはずなのに、何も残せなかった少年。
長い大人になる旅路の間、そこからは目をそらし続けていた大事な事。
ラウマ像を見つめながら、マルタスは抑えた低い声で言葉を漏らす。
それは小さな謝罪の声から始まった。
「子供だったから解らなかったんだよ、許してくれエイリス」
マルタスの脳裏にあの地下で見たエイリスの姿が蘇る。
「地下で見たお前も、今の俺には愛おしく思えるんだよ」
かつて受け入れられず拒絶したその形は、大人になったマルタスには大切なエイリスの一部だったのだと理解できる。
マルタスに苦笑が滲む。
「ガキには解らない事もあるよな‥‥あのとき吐いたりしてゴメンな」
真剣な顔に戻るマルタス。
「最後の時に言ってくれた言葉にも、ずっと答えられていなかった」
脳裏に浮かんだのは、あの時マルタスを最後に動かしたエイリスの想い。
目を逸らさずラウマ像を見つめ伝えた。
遠い昔から、長く胸に溜めていた言葉を。
エイリスが本当に欲しかっただろう言葉を。
「俺も愛しているよエイリス」
その像がエイリスそのものであるかのように。
「たとえどんな姿であっても」
とてもやさしいこえで。
しばらく見つめ続けたラウマの像。
同じ像に向かい別のものに声をかける。
「そして‥ガキの八つ当たりで申し訳ない事をした。迷惑をかけたラウマ様」
深々と謝罪の礼をするマルタス。
体を起こしそのまま目を閉じ手を合わせる。
漏れ出すように言葉が流れ出す。
その声は小さくて、とても澄んでいた。
滑らかに言葉が紡がれる。
そして最後の一節がこぼれる。
「‥‥目に見えぬ道を進む時も、あなたの歩みを信じ我も歩まん」
ラウマの祈りの言葉を本当に久しぶりに唱えた。
険の取れたマルタスの微笑みが澄み渡る。
その瞬間祈りに応えるかのように、ラウマ像がキラリと一瞬だけ天から光を降ろしたが、目を閉じたマルタスには解らなかった。
ーーラウマ様とも仲直りできた‥‥これでようやく、エイリスに顔向けできるな。
くたびれた英雄が、ようやく全て“赦された少年”になる瞬間だった。
最後に赦しを与えたのは自分自身だった。
マルタスはじっと己が手を見つめる。
かつてつなぎたかった手。
救い取れなかった手。
救うことができず消し去った全てに、今日エイリスへ伝えた言葉を送る。
許しを得るためではなく、ただ想いを伝えるために。
救うためと自らを削り続けた日々に足りなかった言葉を認め、やっと答えに届いた。
金網の向こうの届かなかった白い手に。
「こうして今、俺の手はやっと届いたのかな‥‥」
風はすこしだけ湿りかけたマルタスの瞳をかわかしてくれた。
素直な気持ちをそっとかばうように。




