君を追うBefore,3day
翌朝、こんこんと夏音は眠っている。
昨夜夏音が意識を失ったあのあと、結喜は急いでナースコールをしてふらつく夏音を支えた。
そして鷺沼さんが医師を連れて素早く来て、
医師は長めの診察後とりあえず念のため夏音に酸素マスクをつけさせた。
「このまま、様子を見ましょう。
今はそうするしかありません。」
医師はそれ以上何も言わなかった。
「わかりました。ありがとうございます。」
結喜はそう言って会釈をした。
そして医師は去っていった。鷺沼さんだけが残ってくれて、結喜に
「結喜さん、夏音さんに対して私が『大丈夫』というのは少し無責任かもしれません。
けれど、夏音さんはきっと今戦っています。だからせめて、結喜さんだけは『大丈夫』と全力で信じてあげてください。」
鷺沼さんはなんだか図々しくてすみません、と少し申し訳無さそうに微笑んだ。
けどその言葉には、まるで結喜の年下とは思えない「強さ」が見えた気がした。
「いえ、夏音も喜んでると思います。
本当に、ありがとうございます。」と頭を下げた。
それでは失礼しました、と鷺沼さんが病室を出ていった。もう時計は夜中を過ぎていた。
結局、君に伝える勇気はでないまま、最悪の想定に陥る直前までなってしまった。
と言っても、伝えたところで何か変わるのだろうかと言われると、どうしようもなかった。
そのまま結喜はずっと眠り続ける彼女の顔を見つめていた。
酸素マスクに白い息が規則正しく写って、また消える。それらを見つめているうちに、もう日が昇りかけていた。
また、怒られちゃうな。夏音に。
「寝ないとだめでしょ〜!私なんていいから」
君と一緒にいるからいいんだ。
もう今は、睡眠時間も惜しくなっていた。多分今家に帰ってふかふかの布団で寝ても、寝れなかっただろう。
心より先に、理解してしまっていたのかもしれない。
君と過ごす時間が、刻々と短くなっている気がしてるんじゃないかと。
納得したくなかった。まだだ。まだ大丈夫だ。
鷺沼さんも言っていたじゃないか。
俺が諦めてどうする。
自分の顔がどんどん険しくなっているのがわかった。
こんな顔をしていたら、またいつものように
ほっぺをむぎゅーっとつかまれて
「ほらまた眉間にシワ寄ってる」と夏音に言われてしまう。
かつて、僕が一人じゃなくなった瞬間
君がそうしてくれたように。
夏音との出会いは、ほんの少し前だった。ほんの数ヶ月前、最近と言っても過言ではないだろう。
僕は安定した職が見つからず、アルバイトの日々だった。
ある日、企画ごとにスケジュールを組み、いわゆるマネージャーのバイトを始めた。
まだ慣れないことも多く、失敗ばかりだった。
けれど働かないと金が稼げない。生活が厳しくなると思ってひたすら働いた。
それでも慣れなくて、また別のバイトを探そうと思い始めていたとき、新たにある企画を担当することになった。これを最後の担当にしようと決めた。
それが、夏音の個展の企画だった。
打ち合わせのため、夏音にはじめてあった時
思ったより若いと思った。
もっと個展とか、アートとかは意外と中年の方々がやるものだと勝手に思っていた。
これがいわゆる先入観ってやつか、と結喜は思った。
夏音は落ち着いた雰囲気で、けどよく笑う人だった。
無愛想と言われた僕にもたくさん笑ってくれた。何度か打ち合わせているうちに、かなり距離が縮まった。
暇なときは一緒にお昼を食べたり、日常の何気ない話をしたりした。
ある時、夏音が自分のことについて話してくれた。「小さい頃から体が弱く、正直この先、生きていけるかわからない。いままでたくさんの人に迷惑をかけた。だから君にも迷惑をかけるかもしれない」と。
そして、申し訳ないと頭を下げた。
あの時、僕は唐突すぎて
「えっと、あの、大丈夫です。」と軽い変な返事をしてしまった。
あの時僕が夏音に伝えたかったのは、
「迷惑だなんて思わないでほしかった。
僕なんかに謝らないでほしかった。もっと自信を持って、前を向いて生きてほしかった。」
けど、当時の僕はそのようなえらそうなことを言える立場ではないことを重々理解していた。
だから変わりに、今度は自分のことについて打ち明けた。
自分は小さい頃、両親が事故にあって死んだ。
両親が守ってくれ、かろうじて生き残った僕は親戚の家に住まわせてもらうようになったが、皆腫れ物に触るような扱いをどこかしているのを感じ取っていた。
正直それが嫌で、たくさんバイトをして小さくて安いアパートの一部屋を買った。
まだ高校一年生。とても一人では生きていけそうになかったが、死ぬ気でバイトをしてお金をためてなんとか生活した。
今も職業につくタイミングがなく、そんなバイト生活を続けている。と。
そう話しているうちに、顔が険しくなっていたんだろう。僕のいつもの癖だった。
すると急にほっぺたをぎゅっと掴まれて
顔をあげさせられた。
するとそこには優しくもあるし、どこか強さも見える夏音の表情があった。
「ほら、眉間にシワ寄ってるよ」
と言って、僕のほっぺをよりむぎゅーっとしてきた。
「いててててて」といいながら、僕は思わず笑ってしまった。
「ほら、笑った」
「笑い方、意外とかわいいんだね〜」と夏音も、笑った。
不思議と居心地が良かった。
僕の話を聞いても、態度一つ使えずに接してくれるのが僕は嬉しかった。
そこからは早かった。
僕たちは個展を開くとともに付き合い始めた。
告白したのは僕だった。
こんなに優しい人を、僕は守りたい
その一心で、思いを伝えた。
すると、夏音も私でいいならとOKをしてくれた。
個展はかなりの人が見に来てくれた。
たくさんの夏音の描いたものが、美しく飾られていた。
今思うと、戸次先生の言っていた「光」がちゃんと夏音の作品に見えたような気がした。
「灰色」でも、どこか明るくてあたたかい。
そんな作品を見て、僕はますます夏音が大好きになった。
そんなとき、夏音の体調が悪化した。
夏音が、僕のアパートを見て
「どうせなら、私の部屋にきなよ。そっちのが広くて快適だと思うから。」
と話し合っていたところだった。
「あんなことを話してたのに、ごめんね。
結局病室で同棲始まっちゃったね笑」と夏音は笑っていた。
夏音はあまり弱音を吐かない。治療をしていても何も言わない。
だから余計に心配になる。本当は辛いんじゃないのか。
それを誰にも、周りにも言えずに耐えているのではないか。
かつての、僕のように。
けど、そんな僕を君は救ってくれた。いつも笑顔で、僕の話を聞いてくれたり、たくさんの話をしてくれた。だから今度は僕が、君が本音でいられる場所でありたいと
考え始めていたのに。
そんなことを思い出していたとき、心電図が
ピーッと違う音を立てた。
すぐさま、鷺沼さんが飛び込んできて冷静かつ迅速に
「部屋、移動させます。結喜さんもついてきてあげてください」
と言った。そう言って連れられたのはICU、
集中治療室だった。
ひたすら夏音の手を握った。
医師が診察をし、すっとこっちを見ると
「もっても、あと少しかと」
と告げた。
「まさかここまで悪くなるとは。こちらも予想できませんでした。申し訳無い。」
と医師が頭を下げた。
「いえ、先生方のせいではありませんので」
と俺はなだめた。
病は誰にも予測できないから怖いんだ。
そして先生と、鷺沼さんは空気を読んでくれたのか、夏音と僕の2人だけにしてくれた。
しばらくすると夏音が、小さく、かすかに口を動かしたのが見えた。
僕ははっとし、急いで耳を近づけた。
すると、弱々しい声で
「また、一人にさせちゃうね。ごめんね。」
と、言っているのがわかった。
その瞬間、僕はあのとき伝えられなかったことが一気に溢れ出した。
「謝らないで。君は悪くない。絶対に。
僕は君の人生が、人柄が、どれだけ美しく素晴らしいものなのか、一生語れるくらいある。
僕は君の友達がいるし、何より君がいるから
一人じゃない。もう怖くない。
君は僕にとって世界一の彼女だから。
大丈夫だから。絶対僕が保証する。」
日本語がおかしかった。
けど、伝えたい言葉を必死につなげて伝えた。
そして、結喜は言葉を最後まで続けた。
その言葉を発したとき、これまで堪えてきた涙が溢れ出して、
あぁ、これを伝えたかったんだ
と理解した。
「君がたとえ、僕と居られる時間が短くとも、それがたとえ分かっていたとしても、
僕は君に出会わなければよかったなんて
1ミリも絶対に思わない。だから、だから…」
なぜか、最後の言葉は笑顔で言えた。
泣き笑いの表情になっていた。
「僕と出会ってくれて、ありがとう」
伝えたかったことは至ってシンプルだったんだ
それを聞いて、夏音の目からも涙が溢れた。
「私も、出会ってくれて、ありがとう」
とぎれとぎれだけど、夏音はちゃんと
伝え返してくれた。
そしてゆっくりと手を伸ばし、僕のほっぺをむぎゅっとした。力は弱かったけど、僕は心の底から嬉しかった。
そして夏音は最後に僕に言った。
「笑顔で、生きること」
そういった本人も、最後は
かすかに笑っていた。
夏音の手が、ゆっくりと下りていった。
そして、夏音が目を閉じた。
あぁ、結喜が、だんだん遠くなっていく。
目を開けることはもうできない。
私は彼を残してしまった。
けれど、最後に彼は「大丈夫」と言ってくれた。
結喜があんなにたくさんの言葉を私にくれたのは最初で最後だった。
たぶん、前に話してくれたことの中の親戚の家にいた頃、結喜はしゃべる人がいなかったんだと思う。
ただ、私がいてもいなくても
「笑って生きてほしい」
それが本望だった。
だから、私も伝えられて良かった。
そんなことを頭がぐるぐる回っているうちにしばらくしたあと、夏音の目の前はじんわりと明るくなっていた。
もうここは病院ではないところだと理解した。
すると、3日前に見た2人の人が、こちらを見ているのが見えた。そしてゆっくりと近づいてきて、二人のうちのひとりが
「みんな、伝えたいことは伝えられたそうよ。
あなたも、伝えられた?」
と、夏音に聞いた。
夏音は、この3日間のことを思い返し、力強く
「はい。」と答えた。
本当は、3日前に心肺停止になり
私は死んだはずだった。
あまりにも急すぎて理解が追いついていなかった。
まだ伝えたいことはたくさんあったのに
あまりにも、早かった。
死んだのか、となぜかすっと理解したあと、3日前もこの場所についた。
そして同じ2人の男女がいた。その時は誰かわからなかった。
その人たちは
「君は、少し手違いで早めにこちらに来てしまったらしい。だから特別に僕たち二人分の『1日』を上げるから、君の1日を足して『3日間』」と説明した。
夏音は、この人たちが何を言ってるのかわからなかった。そんな表情を、女性のほうが察知してくれたらしく、もう少しわかりやすく説明し直してくれた。
「伝え忘れたことは、ない?」
急に言われても、伝えたいことなんて無限にあるのに。
「じゃあ伝えられ忘れたことは、ない?」
「私がではなく、私にですか?」
と夏音が尋ねた。
「少なくとも、あなたに伝え逃した人は「3人」いるそうよ。」
3人も。正直、パッとは思い浮かばなかった。
候補は何人が上がったけど、よくわからなくなった。
「本当は一人一回までなんだけど、あなたは手違いをされてしまったから、特別に私達二人分の『二日間』もあなたに足すことができる。」
そして合計3日。私はやり直すことができる。
「けど、あなたたちの分は?」と夏音は聞いた。一人一回だけなのに、私なんかに使っていいのだろうかと。
「気にしないで。こういうときのためにとっておいたの」
と、女性がいい、男性も頷いてくれた。
「じゃあ、3日前に行っておいで」と背中を押してくれた。
私は私を追うために。
大切な3日間を過ごす私を追うために。
君を追う三日前。私は来たんだ。
心臓は痛くなくなっていた。
死んだことにはされてないようだった。
なにかあたたかい視線を感じる。
目をすっと開けると、
空は晴れていた。君が隣にいた。
何を考えているのか。
けどその表情には、微笑みが混ざっているように感じた。
そうして3日間を終え、この不思議な場所に帰ってきた。といっていいものか。
いろいろなことを思い出して、いろんな大切なものをもらったような3日間だった。
また、あの2人がいた。
私はそのときようやく、
彼らが誰か理解できた。
女性が
「結喜と、あの子と出会ってくれて、たくさんの時間を結喜と一緒に過ごしてくれて、何よりあの子をまた笑顔にしてくれて、ありがとう。」
と涙ぐんで言った。
男性もまた、静かに頭を下げた。
彼らは、事故で亡くなった結喜の両親だった。
するとそれまで口を閉じていた結喜の父が言葉を繋げた。
「私達が、幼いあの子を残してしまった。
あの子に、辛い思いをさせているのを見てると、自分たちがとことん憎く思えてしまった。
両親として、失格だと思った。」
「そんなとき夏音さん、あなたが結喜の前に現れてくれた。」
そして私の方を見た。
「あなたは、私達ができなかった分のたくさんの幸せを結喜に与えてくれた。」
「だったら、私達の分まで、夏音さんと長く一緒にいてほしかったんだ。」
だから、2人は私に時間をくれたんだ。
「結喜さんは、私のすべてを受け入れてくれました。私の好きなものをわざと遠ざけて、私が欲しくならないようにしてくれたり、ずっと手を握ってくれたりしました。」
「結喜さんは、私が私でいていいと言ってくれているような感じがして、本当に優しかったです。たくさんの長い時間を私達に下さり、
本当にありがとうございました。」
私は、私に追いついた。
君が泣いているのが見えた。鷺沼さんも、
そしてしばらくして病室に燐が駆け込んで来るのも見えた。
先生は、東京を離れてしまっていたため、
電話をくれたらしかった。
今はどれだけ泣いてもいい。
けれど、私との約束を忘れないで。
「笑顔で生きること」
これが私がみんなに伝えた、
最後のメッセージだ。
【エンドロール】
夏音がこの世を去ったあと、しばらくして
燐が結喜に連絡をしたらしい。
「自分が経営している会社にこないか」
とのことだった。
結喜は悩んだが、その話を受け入れ、
今は燐の会社のもとで安定的に働いている。
そして時間のある休日、本当にたまにだが
先生がご飯に誘ってくれるようになった。
共に食べながら、日常の話などをした。
先生はたまに、夏音の大学生の頃のエピソードを話してくれたりした。
伝えたいことは今伝えないと、
もう戻れないことだってある。
あのときこうしとけばよかったと、
後悔することもある。
しかしその反対に、
あのときにしか味わえない、ほんの僅かな素晴らしい時間があったり
あのとき君に出会えたこと、
それさえすべて、奇跡なのだ。
だから、一瞬たりとも無駄な時間なんて
人生には何もない。
【完結】