デッさん。
燐が帰ったあと、お菓子を食べたその日。
夏音は、体調を崩した。
いつもより呼吸がつらそうだったので、結喜が看護師を呼び点滴から安定剤を入れてもらった。
夏音は安定剤が嫌いだった。
なぜなら、この薬は吐き気を催す。
そしてその吐き気でしばらくものが食べれなくなる。
それでも辛そうだったので仕方なく使わなければと結喜は判断するしかなかった。
その後、すぐに夏音は眠った。
寝ていると、少しは吐き気を忘れられるらしい。
スースーという寝息と、点滴と心電図から聞こえる機械音だけが部屋に響いた。
結喜は夏音の手を優しく取って握った。
夏音にいつ、言えばよいのだろうか。
実は燐が来る前、結喜は夏音の担当医師に呼ばれていた。そして告げられた。
「夏音の数値が悪い。今は落ち着いているが、いつか体調ががくんと沈んだとき、もう長くはないと覚悟してもいいだろう。」と。
結喜は前のめりになって強めの口調で言った。
「いつかって、いつですか。」
「それは申し訳ないが、私にもわからない」
と言われてしまった。
結喜は肩を落とした。実感がわかなかった。
「結喜さんから伝えられるよう、一応お伝えしましたが、きついようなら私達から伝えます。」
と医師が言った。
「伝えないという手段はないんですか」
と結喜は聞いたが、ご本人のためを考えてと
結論付けられてしまった。
そして「結喜さんから伝えにくいのは承知です。難しいようなら私達から、」と医師が言ったが、結喜は迷いもせず
「僕が伝えます」と言った。
そう強くは決意したものの、簡単ではない。
なんて声をかけよう、なんて話し始めればいいのだろう、夏音はどんな反応をするのだろう。
そうぐるぐるしているうちに、1日立ってしまった。そして夏音の体調がこうだ。
結喜はただ、手を握るしかなかった。
この手から、考えていることがすべて伝わってしまわないだろうか。
人の表情の1ミリの差でその人の感情を汲み取ってしまう繊細すぎる彼女に、つーっと伝わってしまわないだろうか。
次の日、夏音はすっと目を覚ました。
結喜の頭をポンポンと叩き
「またここで寝たの?体に悪いよ。だからあれだけ私はいいから、夜くらい家に帰って寝てって言ったのに」
と結喜は朝イチの優しめのお説教を受けた。
けどそれさえも、結喜にとって嬉しかった。
君が声をかけてくれるだけで、僕は笑って生きることができる。
「おはよ」と夏音に声をかけた。
「おはよう」と帰ってきた。
今日も幸せな一日が始まってくれた。大丈夫。
そして看護師が様子を見にやってきて、大丈夫そうだね、となり夏音は朝ごはんを食べることができた。
「昨日きっもちわるくて夜ご飯食べれなかったからおなかぺっこぺこ」
と言って夏音は次から次へと箸をつけた。
頬張る彼女は、焦ってるリスみたいで可愛かった。
「そんなに焦んなくていいのに」
「だって、病院食でさえおいしいんだもん」
そして結喜は病棟の近くにあるコンビニでおにぎりをぱっと買って朝ごはんを夏音と共に食べた。
「それ好きだね」いつものツナマヨを食べていると、夏音が呆れたように言った。
夏音は、マヨネーズが嫌いだった。
「ツナマヨしか勝たんねん」
結喜が思ってもみない現代語を使ってあまりにも似合わなかったのか、夏音が爆笑した。
でも、結喜がツナマヨを食べている本当の理由は、おにぎりコーナーの中で夏音が唯一嫌いなマヨネーズが入っていたから。
夏音は病院食しか食べられない。
結喜がコンビニでおいしいおにぎりを買ってくると、夏音に我慢をさせてしまう。
そう考えて、結喜は毎回ツナマヨにしている事を果たして、夏音は気づいているのだろうか。
仲良く朝ごはんを食べていると、仲のいい看護師の鷺沼さんが体温測定にやってきた。
「夏音ちゃん、そういえば昨日の夜伝えれなかったんだけど、今日の昼に夏音ちゃんに会いたい人がいるんだって。」
鷺沼さんは、夏音と1歳違いの28歳の看護師。
ほぼほぼ年齢が変わらない鷺沼さんと夏音は友達のようになっていた。
「体調によりますが、明日ご連絡しますって言っちゃったんだよね。どう?無理そうだったら大丈夫だよ?」
「鷺沼さん、来たの、だれですか?」
「あ、そうだ!それ言わなきゃじゃん笑」
鷺沼さんはおっちょこちょい。
けど人の命を救う職場でのおっちょこちょいは絶対にしないからかっこいいと夏音が、よく語っていたのを結喜は思い出した。
「えっと、確か戸次さんだって。」
「戸次?」
「あ、えっと、デッさんって言えば、わかるんじゃないかと言ってたよ」
夏音はその名前を聞いた瞬間、ぱっと顔が明るくなって
「デッさんだ!!デッさん先生だ!!」
と喜んだ。