夏の音色 三日前
空は晴れていた。あなたが隣りにいた。
何を考えているのか。けどその表情には、微笑みが混ざっているように感じた。
「今日の調子、どう?」
結喜が聞いた。
ゆっくりとこちらに向き合いながら、「いつも通り」と夏音が言った。
すると結喜は優しくうなずいて、
「普通より安全なものなんて何もない。」
と嬉しそうに言った。
「なにそれ、難し」と夏音がふふっと笑った。
結喜もつられてふふっと笑った。
夏音はこのかわいい結喜の笑い方が好きだった。
すると、コンコンと病室の扉がノックされた。
夏音は行って、というように結喜の方をポンポンと叩いた。
結喜は立ち上がり、病室を出た。
すると、そこには小さい箱と少しのお菓子を持った女性が立っていた。
「あの、これ夏音に渡していただけますか?」
もしかして、と思い結喜は女性に聞いた。
「違ってたら申し訳ないのですが、燐さん、ですか?」
すると女性が驚いたような表情をした。
そして
「夏音が、私のことなんか言ってました?」
と聞いた。結喜は
「いえ、ただよく夏音さんがお電話で燐さんの名前を出されているので、もしかしたらと思い」
「そうでしたか。」と燐はどこかホッとしたような顔をした。
少しの沈黙の後、結喜が
「よかったら、それ直接お渡し願えますか?
そのほうが、夏音さんも喜ぶかと。」
「いいんですか?私が会って体調悪くならないでしょうか」
「安心してください。今は安定してます。」
そう落ち着いた声で結喜が説得すると、燐は入るしかないか、という感じで病室をもう一度ノックした。
すると中から、「はあい」というのんきな声と扉越しにも聞こえる心電図のピッピッという
まるで時間を刻むように規則正しく、音が聞こえてきた。
燐は扉を開けた。隙間から顔をのぞかせたら、
すると夏音が嬉しそうな顔をしてくれた。
入るね、と言いゆっくりと病室の奥へ進んでいった。結喜もあとについてきた。
「わぁ!お菓子!燐、ありがとう神。」
「こら、まだ渡してないよ」
「えぇー」
とそんな2人はまるで中学生のような会話をしながら笑い合っていた。
いつもはすぐお菓子に手を伸ばす夏音は、今日だけは燐のもってきた小さい箱を指さして、
持ってきてくれたの?と聞いた。
すると、燐はそれを手渡した。
「夏音へのとっておきのお見舞い。っていっても夏音にお願いされたものだけど笑」
夏音はそれを受け取り、すぐさま箱を開けた。
すると、途端に瞳をキラキラさせて
まるで5歳児が電車の景色を見るかのような眼差しを浮かべていた。
結喜が、「何もらったんだー?」と聞くと、
「結喜も見る?」とちょっともったいぶったように夏音が箱を渡してきた。
結喜は気になりながら箱を開けると、中に入っていたものを見て、驚いた。
「思ったより、少なくて軽かったでしょ?」
と結喜の反応をわかりきったように夏音が言った。
中な入っていたのは、緑のきれいな葉っぱ1枚、それだけだった。
「私も驚きましたよ。何がほしい?って聞いたら、新緑の葉っぱ。しかも落ちてるのでって条件付きで。」
「だって、くっついてんの取ったらかわいそうじゃん、まだ生きてんのにさ」
と夏音が当たり前のように言った。
夏音が言うから、特に説得力があった。
「で、なんでこれが欲しかったの?」
と燐が聞いた。
すると、夏音は少し黙っていたが答えがまとまったらしく、こう言った。
「緑が見たかったの。ほら、ここからだとさ
かろうじて空は見えるけど、地面は見えないじゃん?両サイドの壁コンクリートだし。
だからさ、自然の緑色が見たかったの。」
なるほど、と2人は納得した。すると、夏音はその緑を見つめながら、燐に聞いた。
「燐、私ってさ、何色?」
その瞬間、結喜は燐の顔がひきつるのがわかった。燐は何も言えなかった。
燐は、夏音と同じ中学だった。
席も近く、少しは喋るびみょーな仲だった。
けれど、病弱な夏音は1週間に2、3日学校を休んでいた。
まだなにも分からなかったそのころの燐は、
そのことが気になっていた。
今思えば相当馬鹿だと思った。
「ねぇ、何でこないの?」
あるとき、女子トイレで2人のときそう聞いた。
夏音は、びっくりしたような顔をして、黙ってしまった。答えが言えなかったのか、出てこなかったのか。
答えてくれないから、まいっかと燐はさっさと
夏音を残してトイレを出て教室に帰った。
そこから、夏音は燐と喋ると、ぎこちなくなった。燐は不思議に思ったが、もしかしてあのとき聞いたからか、という考えも出てきた。
が、なかったことにした。
そしてまたしばらくして、燐はぴったりな表現を思いついて、友達のところに行った。
「ねぇ、夏音ってさ、なんていうんだろう
灰色みたいじゃない?
なんかさ、もやがかかっているような、
近づきがたいような。」
我ながらいい例えだと思った。
すると、その日から友達たちは「灰色」という「悪い」イメージを夏音に持った。
決して私は、悪い意味で灰色といったんじゃない。
言葉とは怖い。色とは怖い。人間は、
名詞ひとつで判断してしまうから
それから夏音と喋る人間はだんだんと減っていった。夏音はほとんど、学校に来なくなった。
そして高校に上がった頃、私は気になって
夏音のことを中学の先生に聞きに行った。
すると、先生は夏音の住所だけを教えてくれた。
そこに行くと、夏音の母らしき人が出てきて、
夏音が体が難病をかかえていることを教えてくれ、病院まで案内してくれた。
多分、それまで見舞いに来てくれて人なんていなかったんだろう。
私のせいで。
病室につくと、夏音が外を向いていたが、
こっちを向いた。
怒られるかと思った。
何であんなことを聞いたのか。
あのあとどんなことを友達と喋っていたのか。
なんで友達が喋りかけてこなくなったのか。
罵られてもいいと思った。
高校1年の私は自分の犯した馬鹿な過ちについて理解していた。
しかし、夏音はいつものように
いや、いつもよりちょっぴり嬉しそうに優しく微笑んで
「来てくれてありがとう」
と言った。
その瞬間、固まってた私の体は自然と夏音の方へ向き、走っていった。
そして、夏音のベッドサイドに勢いよく突っ込みかけ、バランスを崩しながらも夏音の前に駆け寄った。
そして夏音の横に来たとき、勢いよく涙が溢れ出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝った。
いままでの全身全霊の力を込めて謝った。
泣くなんて卑怯だと思った。
夏音の顔も見ることができなかった。
けれど、涙は止まらなかった。
夏音は驚いたが、なおも優しく
「どうしたの?」と私の背中をさすってくれた。
そしてようやく顔を上げたとき、その時瞳に写った夏音の表情は、灰色なんかじゃなかった。
なんともいえない、あたたかい色。
全部全部包み込んでくれるような、あたたかい日光のような色。
灰色なんて嘘だった。
全部私のフィルターだった。全部自分の思い込みだった。
その勝手な思い込みを私は友達に広めてしまった。
私は夏音に全部話した。
自分が勝手に灰色を付けていたことを。
すると、夏音は怒りもせずこう言った。
「灰色も、割と悪くないよ。おしゃれだし。
あと、」
「黒じゃなくてよかった。灰色ならまだ、
ちょとずつ違う色に染め直せるでしょ?」
私は完全に夏音に救われた。
こんなに優しい友達が身近にいたということに今やっと気がついた。
それからの日々、高校で夏音がこれる日は私達はいつもずっと一緒にいた。
別に友達は夏音がいればそれで良かった。
それから、私達は高校をでて、それぞれ違う美大に進んだ。
同じでも良かったが、夏音が
「燐の好きなところに行きなね。いつでも会えるし」と言ってくれたから。
そこから連絡は取ってなかった。
便りがないのはいい便り、というのはこのことだった。
それから、夏音が急に悪くなったと夏音の母から電話があった。
医師からも、安定しないらしいとのことだった。そんなとき、夏音に電話をしてみたら、
この葉がほしいと言ったから、
必死に探して持ってきた。
「私ってさ、何色?」
かつて、私が答えを間違えた問い。
今度はもう、間違えないよ。
「夏音は、晴れた空の青色。
そして明るい葉の緑色。強く咲いている向日葵の黄色。そしてきれいな…」と言葉を続けていくうちに、堪えきれなくなり、涙が溢れてきた。
「きれいな……あたたかい太陽の色……だから」
もう言葉が繋がらなくなるぎりぎりだった。
もう涙で何を言っているのかわからないくらいだったけど、最後にこれだけは、
これだけは訂正したかった。
「夏音は灰色なんかじゃない。
この世で一番美しい、虹色だよ」
そう言い切って、燐はとうとう泣き崩れた。
夏音も今度は少しの涙を流しながら燐に言った。
「本当はね、私灰色って言われて正直悲しかった。嫌だったの。けどね、燐があの時、本気で謝ってくれたのがわかった。ちゃんと伝わったよ。そしてそれからずっと一緒にいてくれたよね。だから私はあなたを許せた。
燐と友達になれた」
「ありがとう」
そう言って、2人で小さい子みたいにわんわん泣き始めた。
結喜は急に泣き出した2人に戸惑っていたが、今日だけは、そっと2人で思う存分かけがえのない時間を過ごしてほしいと思った。
存分に泣いたあと、2人でお菓子を食べ始めた。
結喜さんもどうぞ、結喜も食べなよ
と言われ、結喜も混じって3人で食べた。
高校時代の昼休みみたいだった。
そしてゆっくりとした時間あと、燐は
「じゃあそろそろ、」と言って席を立った。
そしてドアの外へ「お大事に〜といいながら」出ようとしたとき、燐が最後に振り向いて
こう言った。
「夏音の色は、夏音色。この世で一つだから。」
そしてニッと笑って出て行った。
燐が病室に入ってきたときのあのこわばった表情から一変、2人は笑顔になって別れた。
結喜は、事の詳細はわからなかったが
2人の友情はだれにも邪魔できないように感じて
なぜか嬉しそうに残りのお菓子を
少しずつ2人で食べた。