2、お母さんを助けよう!
少年の名はカイデン。カイデン・オークハートといった。
オークハートというのは、彼の住んでいた村の名前であるらしく、小さな人口五十名程度の集落だ。勇者はその土地に留まり、葡萄酒の作り方を教え伝えたそうだ。その質は高かったが、あまりの小ささに、国も目をかけず、手をかけず、税金も取り立てないような、自治地区でもあった。しかし、それでも彼らは、古からの法と慣習に則り、国へと特産の葡萄酒を納め、兵役があれば少ないながらも協力した。
それが勇者の村、オークハート村だった。
そんなオークハート村であったが、魔王軍からの襲撃を受けた。いくら勇者の子孫たちが住むといえども、その大半は兵役すらろくに協力していない人々である。農夫がほとんどで、剣の代わりに鍬を握ることが多いばかりでろくに戦えず、あっという間に縛られ、眼前で家々を焼かれ、葡萄畑は踏みにじられた。
そこに住んでいたカイデン、そして、その妹ユウカもまた、同じく捕縛された。
野盗と侮っていたのもある。しかし、魔王軍からの襲撃と見抜けなかったのは、彼らの落ち度だった。
「それからは悲惨だったよ」
燃える薪を前に、カイデンは語った。
眼には光はない。
全ての記憶は、カイデンの手指を通して、レヴィアスに通じているというのに、わざわざレヴィアスはカイデンの口から語らせた。
「どう悲惨だった」
「女はどうなるかだ。ユウカはいくつに見える?」
「生憎と、私に目はない」
剣に取り付けられた宝玉を光らせて、レヴィアスは応える。嘘だった。口はなくとも話せるのだから、耳目はなくとも周囲の様子くらいはうかがえる。が、このカイデンは存外素直な性格で、その嘘がすんなりと飲み込まれてしまう。
「ユウカは、僕よりも二つ下でね」
「ふむ」
「それで、子供が二人いる」
薪を挟んだ向こう側、燃える炎を挟んだ向こう側で、眠るユウカを見ながらカイデンは言った。
「連中は、俺たち兄妹で遊んだ。楽しい遊びじゃなかった。野犬の群れに放り込まれて、生き残ったら、妹が酷い目にあう。俺が死ねば妹は解放されると言ったが嘘だった。最初は父さんだった。野犬に生きたまま父さんが食い殺されれば、俺たちは解放してくれる、それを信じて父さんは死んだ。でも、嘘だった」
「そうか」
「だから、俺は生き延びた。だけど、そうすれば妹がやつらに好きなようにされた。その結果が今、だ」
ぱちっと薪が爆ぜた。
カイデンの強い憎しみを感じる。
「私が力を貸したが、それは失敗だったかな」
「いや、レヴィアス、あんたには感謝しているよ。俺一人じゃ、あの場をどうにも逃れる事は出来なかった。拘束魔法で捕まって、ボコボコにされていたさ」
でも、とカイデンは薪を見ながら続けた。
「あそこまでする必要はなかった」
強く怒りや憎しみを生み出したものの、心底では人を憎めない。
カイデンはそういう少年らしかった。つくづくそういう血筋なのだろうか。勇者の血筋というのは。
言ってしまうと、稲光のようなものだ。暗黒の夜空を走る稲光。
その光は眩いものの、一時の事で、長くは続かない。
「それで、若き勇者はどうするのかね」
「まずはオークハート村の敵をとる」
そう決意を込めた一言を告げ、カイデンは横になると眠った。
傍らに置かれたレヴィアスはずっと考えた。オークハート村がどうなろうとも、このカイデンがどのような行動をとったとしても、レヴィアスとしては感知するところではない。どちらかというと、現状の目的を幾分か冷静に考えると、二つあった。
一つは、魔王としての復活だ。その為には、四天王が封印した力を解放させなければならない。
それが大目標。
小目標としては、腹立たしい事に魔王ビタンを倒す事だ。それはあくまで、この勇者カイデンを満足させる為のものでもあったが、レヴィアス自身の満足の為でもあった。自分以外の魔王というのがどういうモノか見てみたい。純粋な好奇心からの事だった。が、それとあわせてある。
カイデンの母親だ。
「どうしたものか」
レヴィアスは、思案していた。そうしているうちにも、時間は流れ、いつしかカイデンらは野盗の根城近くへと近づいてきていた。野盗の根城は、木の杭を何本も地面へと突き立てて、塀の代わりへとしているような簡易な要塞だ。見張りの野盗が、物見に歩いて回っている。
耳をすますと、笑い声と悲鳴が聞こえてくる。
「あそこが拠点だ。どうする勇者殿」
「勇者は夜討ちなんてしないよ」
気に入る事を言う小僧だ。
ユウカを砦近くの茂みで隠れているように言うと、カイデンはゆっくりと歩いて、拠点へと近づいていく。すぐに野盗が気づいたが、カイデンの敵ではなかった。
すでにカイデンにはレヴィアスの技術が染みついている。カイデンは見た目こそ十代の少年であるが、その技量は大昔の魔王と同等だ。そして、それを及ばぬ領域からの攻撃から、例えば、死角からの攻撃に対してのみ、レヴィアスは防御をした。
呆気なく、野盗の見張りは死に、砦へと入り込むことができた。
「おうおう、カイデン。よく、戻ってきたなぁ」
砦の中では一人の大男が立っていた。いかにな野盗の頭目という姿で、手には金棒を持っていた。違う。金棒はその重さから自立しているのだ。あくまで大男はその持ち手に手を添えているだけに過ぎない。もう一方の手には、鎖が握られており、その鎖の先は、砦の中にある一軒の小屋へと地面を伝って伸びている。
「フローラ」
フローラ、と呼ばれた大男は、ぺっと唾を地面へと吐き捨てる。
「パパを呼び捨てにすんじゃねぇ、クズ。でもよぉ、パパは悲しかったぜぇ。義理の息子に逃げられてよぉ」
剣の柄を握るカイデンの手に力が入った。
が、何もカイデンが反応を返さないのがさらに、気に障ったのか、いらだった様子でフローラは、手にしていた鎖を手繰り寄せる。じゃらじゃらと、鎖が手繰られて、小屋から一人の女が引きずられるように現れた。女はほとんど裸であり、布切れのようなものを身に纏っている。
「お前の母親も泣いて悲しんでたぜぇ?」
フローラによって引きずり表されたのはカイデンの母親だった。
美しい顔には泥がいくつかついている。
「カイデン、ユウカ」
母親が口を開く。
「お願い。この人の言う通りにして、そうすれば、痛めつけられないの」
「そうだ。お前の親父を殺してから、俺とこの女がどんなに仲良かったか知ってるよなぁ?」
「この人の為に戻ってきて。お願い、ね? また、みんなで暮らしましょ? ユウカの子供たちも会いたがっているわ」
あぁ。
面白い。
レヴィアスは笑みを抑えられなかった。この母親は、もはや、自らの保身しかない。
杞憂だった。
「母さん、僕はね」
カイデンは勇者の剣を構える。
「僕はね、勇者なんだ。魔王を倒す、勇者なんだ」
そうだとも。
お前は勇者だ。
協力してやる。
「この糞ガキ! 魔王ビタン様をなんだと思ってやがるんだ!」
金棒を振り回してフローラが襲い掛かる。重い一撃だろう。まともに受ければ、防御なんていくらの効力もない。
しかし、まともに受ける必要はない。
後ろに跳び下がり、金棒のリーチから逃れる。空振りの金棒が地面に激突し、轟音と共に大穴が空く。
カイデンはレヴィアスが驚くほどにタフで身軽だ。ここまで野盗を何人も相手してきていたが、力を貸す必要はあまりない。避け続けることに注力をし続ければ、いつしかフローラのスタミナが切れる。
しかし、そういうのはフローラも理解していた。スタミナ切れを狙われるというのは、よくある手段だ。
だからこそ、カイデンの母親を鎖で縛って連れている。
鎖を握って振り回す。と、カイデンの母親は、鎖の先に繋がれたままにつられて振り回された。
「母親がお前に会いたいってよ!」
振り回されたままの母親は、悲鳴を上げながらカイデンへと近づいてくる。
避ければいい。しかし、そのまま、地面へと激突する。勢いから見るに死ぬか重傷は免れない。
かと言って受け止める選択肢。それが最善。しかし、受け止めればカイデンが重傷を免れない。
そこに金棒の重い一撃。
カイデンの冒険も終わる。
かまわない。カイデンはそう考えた。避ける事で母親が死ぬのは嫌だった。何より、勇者としてすべき行動ではないと思った。受け止めたほうが勇者らしい。そして、フローラの金棒を避けるだけの自信もあった。
それは困るんだよ。
レヴィアスは、迫りくるカイデンの母親へと魔力を集中させた。
「発火」
受け止めようと手を広げるカイデンに向かってくる母親は、体の端から燃えて、塵になって消えた。
母親の口は何か話していたが、レヴィアスは関心はなく、風に吹かれて散っていく。
「すまない。防衛のため、力を向けてしまった」
呆然とする勇者カイデンに対してレヴィアスはそう詫びた。
嘘だった。
が、カイデンはそれを信じるだろう。何故ならば、勇者だからだ。
「親殺しめ」
フローラが言った。それは戦意を喪失したような声であったものの、金棒を振り回してくるだけの力はあった。
しかし、もはやカイデンにとってこれ以上の戦いは無意味だった。
金棒を、前に、進んで避けるとフローラの前腕を斬り上げて断ち切る。金棒が触れなくなったフローラは恐れるに足りず、膝を折って命乞いをしたが、助けるだけの理由も何もなかった。首を切り裂いた。呼吸が止まるまで、カイデンは見ていた。
カイデンはそれを見届けると、小屋へと向かう。
小屋には囚われていたオークハート村の住人が何人もいた。彼ら、彼女らは皆、傷ついていた。
「みんな、もう大丈夫だよ」
手枷足枷を全て解いて回ると、老婆がカイデンを抱きしめた。その老婆をさらに別の男が抱きしめる。
いつしか、カイデンの周りにはオークハート村の住人が、顔なじみがいた。彼らは皆、安堵の涙を流している。
「カイデンくん。ありがとう」
「ありがとう」
皆、オークハート村の顔なじみである。
それが勇者の心を支えていた。