そのはずなのだけど 2
インターホンの音が聞こえた。
夕食を終えて、数学の参考書を開いていた俺はそれを無視した。
問題の途中だったし、どうせ無視していてもまゆが開けると思ったからだ。
しかし、まゆが動いた気配はなく、インターホンがもう一度鳴った。
おかしいな。
絶対まゆが出ると思ったのに。
そこでふと気が付いた。
まゆは今風呂だ。
俺が出るしかないのか。
しかたない。
インターホンの通話ボタンを押して返事をする。
「はい。どちら様?」
「玻璃くんですよー。お時間ですよー」
そうだった。
二十時にこいつが迎えに来るんだった。
もうそんな時間か。
財布とスマホだけポケットに突っ込んで玄関を開ける。
そこにはジャージを着た玻璃が立っていた。
「やっと来たな! じゃあ行くよ」
そう言って歩き出した玻璃の後ろ姿に声を投げかける。
「俺、具体的にどこに行くのか聞いてないんだけど」
「あれ、そうだった? 近くだよ近く。まあついてきてよ」
首だけ振り返った玻璃はにっこりと笑うとまた前を向いた。
よっぽど肝試しがしたかったのか、玻璃の足取りは妙に弾んでいて、肝試しには似合わないなとぼんやりと思った。
十五分ほど歩いてたどり着いたのは小さな公園だった。
歩いて行ける距離にある公園だが、はっきり言ってこの公園は人気がない。
学区の端のほうにあるから一緒に遊ぶ相手によっては結構遠いし、何より学校の近くにもっと大きくて遊具が多く、グラウンドもついている公園があるのだ。
だから公園で遊ぶとなったら地元の小学生はみんなそちらに行くのだ。
「肝試しってここか? こんな小さな公園で?」
入口から公園の中を見渡す。
街灯の数は少ないが、それでも十分公園全体が見えてしまう本当に小さな公園だ。
向かって右側には申し訳程度に遊具が置いてあって、その周りだけ草が刈られている。
それ以外は雑草が生えっぱなしで、あの中を歩くと足がかゆくなりそうだ。
左側には木が多くて、その奥に小さな神社がある。
あんなに小さくても神社と呼べるのかと疑問には思ったが、お墓に使われるようなつるつるとした石に神社と彫られているのだから神社なのだろう。
「まさかあれか? 入って三十秒で終わるぞ」
「いいからいいから」
玻璃はそう笑うと雑草の中に足を突っ込んでいった。
嘘だろあいつ、サンダルはいていたのに。
この草の中をためらわずに。
勇者か。
そっと自分の足元を見てみる。
布はふくらはぎまでしかなかった。
「何してんのさ! 早く早く!」
先を行く玻璃にせかされて覚悟を決める。
数歩の間、素肌を草にくすぐられてからふと思い出す。
この間、虫刺されの薬を使い切らなかったか?
引き返そうかとも思ったが玻璃が手招きをしている。
まゆが薬を買い足していてくれることを願って俺は突き進んだ。
「さ、楽しい肝試しの始まりだ」
玻璃は神社の前に立つとそう言った。
改めて近くで見ると本当に小さな神社だ。
神社の名前が彫ってある石、二匹の狛犬、赤い鳥居、お賽銭箱、そしてなんて呼ぶのか俺は知らないが神社の中心となる小さな木製の建物。
「あ」
狛犬の横を通り過ぎようとして気づく。
よく見たらこれ犬じゃなくて狐か?
いやでも犬だって狐みたいな見た目しているやついるよな。
「なあ玻璃、これ、犬か狐かどっちだ?」
「狐でしょ」
「いやでも柴犬とか結構狐と似ていないか? もしかしたらこれも狐っぽい犬かもしれない」
玻璃は少し嫌そうな顔をした。
ずっとにこにこしていた玻璃がそんな顔をするとは思わなくて、もしかしてとんでもなく的外れなことを言ってしまったのではないかと後悔した。
「狛犬はもっと潰れた顔をしているよ。これは狛狐」
「そ、そうか。狐か。じゃあここは稲荷神社ってやつなんだな」
「え? 違うよ?」
また間違ったことを言ってしまったらしい。
俺は神社とかには詳しくないんだ。
「狐と言ったらお稲荷様じゃないのか?」
「うーん。まあね。でもここに祀られている方はお稲荷様とは別の方だよ。由来が違うからね」
玻璃は石でできた狐をなでながら続けた。
「ただ、偶然にもここに祀られている方の眷属も狐だったってだけ。まあ狐だけじゃなくて狸とかにも慕われている方だった……らしいよ」
狐と狸って仲が悪いんじゃないのか。
そう思ったけれどこれ以上浅い知識で物を言ってぼろが出るのは防ぎたかったので相槌だけ打っておいた。
「わかったら行くよ」
玻璃に続いて鳥居をくぐり奥まで進む。
最奥まではほんの数歩。
そこにある木製の小さな建物のようなものには扉がついていた。
「はい、肝試しー」
「は!?」
玻璃は微塵も躊躇せずにその扉を開けた。
嘘だろ?
こいつこの神社に詳しそうなくせに信仰心とか持ち合わせていないのか?
「おい! 何やってんだ!?」
「大丈夫だよ。ほら見て。何か入ってる」
慌てる俺を玻璃がつついて中を見るように促す。
そこには何やら円盤状の物が皿を飾る時の台に似たものに飾られていた。
「は、何だこれ? 皿か?」
「出してみればわかるんじゃない?」
そう言いながら中に手を伸ばす。
おいおい!
何考えてんだこいつ!
さすがにまずいと思い玻璃の腕を掴んで止める。
玻璃はその大きな目でこちらをちらりと見た。
「何するのさ」
「それはこっちのセリフだ! 触っちゃ駄目だろ!」
「もー大丈夫だって。何? 祟りとか信じてるタイプ?」
笑いながら玻璃は俺が掴んでいるのとは逆の手をさっと中に突っ込み飾られていたものを取り出してしまった。
薄暗いところから外に出してみてもそれが何かはわからなかった。
何やら細長い紙で巻かれていたからだ。
何と表現したらいいのだろうか。
円盤の直径を通るようにぐるりと一周、次に少しずらしてまた一周、またずらして一周、そうして少しずつずらしていって最終的にすべての面積が覆われた状態になっている。
巻かれた紙の形が「*」に似ている感じだ。
円盤に巻き付いている紙には何やら怪しげな文字だか模様だかわからないものが描かれていて不気味さが漂っていた。
「お、おい……まずいだろ……」
「怖がってんの? 君、お化けとか信じてるわけ?」
「そういうわけじゃないけど、でも、こんなの、駄目だろ?」
玻璃の目が、俺を捉えている。
「あのね、これは肝試しなんだよ? まさか何も怖いことしないと思ってたの?」
「いや、でもこれは」
「いい? 肝試しなら肝を試さなきゃ。そうでしょ?」
玻璃の目に、俺が映っている。
「ここを開けて中の物を取り出しても、後で戻せば誰にも迷惑は掛からないよ。だから、これは祟りとか呪いとかにビビるかビビらないかだけ。つまり、肝試しにピッタリなんだ。ね?」
「そ、うだな」
真っすぐ俺を見つめ続けていた玻璃の目が細められた。
「わかってくれてうれしいよ。じゃあ、はい」
円盤を胸に押し付けられて思わず受け取る。
直径二十センチほどのそれは思ったよりもずっしりと重かった。
「僕はもう肝を試したから、次は君の番でしょ」
「俺の?」
「そうだよ。君の肝試しが終わらないと帰れないよ。ほら、その紙、剝がしてみなよ」
ごくりと唾を飲み込み、手元に視線を落とす。
不気味さを感じさせる何かが描かれた紙。
何を恐れているんだ。
オカルトティックなことを信じているわけでもあるまいし。
とっとと済ませて帰ろう。
指を紙に掛けてゆっくりと剥がす。
円の中心部分までぺろりとめくると、円盤の表面が一部露出して、街灯の光を反射した。
あ、これ、鏡だ。
静かな夜に突然、犬の鳴き声が響き渡った。
思わず肩をびくりと震わせてしまう。
この辺の家の犬だろうか。
驚いた。
背中を汗が流れて行くのを感じる。
知らず知らずのうちに息を止めていたことに気づき、ゆっくりと呼吸を開始した。
そして視線を手元に移して、ざっと顔から血の気が引いた。
俺は何をしているんだ。
手に持っていた鏡を慌てて台に戻し扉を閉める。
心臓がバクバクとうるさく鳴っていた。
「ちょっと、何してんのさ。まだ途中じゃん」
「何言ってんだ! これ器物損害とか、何かに引っ掛かるだろ! いいからもう帰るぞ!」
俺はそう言い捨てると神社に背を向け、速足で雑草を踏み分け公園を出た。
ほんの少し、ほんの十センチ程度めくっただけだ。
あれくらい、自然に剝がれてしまうことだってあるだろう。
大丈夫、俺は大したことはしていない。
罪に問われるほどのことじゃない。
それに、ちゃんと悪いことだって気づけた。
俺は、その場のノリで軽率に罪を犯すような馬鹿にはなっていない。
後ろから玻璃が文句を言ってきたが、気にしている余裕はなかった。