その歩みを止めないで 8
肩で息をしながら玄関に転がり込んだ。
擦りむいた膝もそのままに祖父の部屋に駆け込む。
立てる足音も気にしなかった。
「おじいちゃん!!」
「どうした朱音。うるさいぞ」
祖父の部屋には祖父の他に兄がいた。
兄は嫌そうに顔をしかめていた。
「刀が必要なの! 強い刀がどうしても必要なの!」
祖父は怪訝そうに眉を寄せた。
「なんだ朱音、強い刀? 何故欲しがる?」
言葉に詰まる。
こちらの事情は話せない。
どうやってあの蛇女が把握しているかはわからないし、もしかしたらばれないかもしれないけれど、もしばれた場合、まゆがどんな目に合うかわからない。
「それは、言えない……でも! どうしても必要なの! それもすぐに!」
祖父はため息をつくとこちらに向き合った。
「術具化ができる人間は少ない。だから商品も貴重だ。気軽にやるわけにはいかない。だから、今回も条件は前と同じだ。お前がつくれ」
「つくる! つくるよ! 時間がないの! 今すぐできる!?」
「いい加減にしろよ!!」
兄が怒鳴った。
兄が私に向けて口を開くのは久しぶりだった。
「調子に乗るな! 周りにちやほやされて思いあがったか!! じいちゃんにそんなわがまま言って!」
怒っている。兄が、ものすごく、怒っている。
「お前、本当は刀鍛冶なんて本気で目指していないだろ! 才能があるなんてもてはやされて、調子に乗って焼き入れにだけ手を出して! 今日は俺が焼き入れの練習をさせてもらう予定なんだ! いつも気まぐれに手を出して、その分俺の練習する機会が失われているんだよ。ただ才能があると言われてその気になっているだけのやつが、本気でやっている俺の邪魔をするなよ!」
そんなつもりじゃなかった。
私は、本当は兄の方が刀鍛冶に向いていると思っている。
だから、最終的には跡継ぎは兄になるだろうと思っていた。
私は兄を応援していて、邪魔をする気なんてなかった。
確かに、私は才能があるって言われて、それで焼き入れの修行をして、でも、本当は、周りの期待以外に刀鍛冶を目指す理由を持っていない。
兄はそれに気が付いていたのか。
「それに、お前は今焦っている。霊力操作は繊細な作業だ。そんな状態で成功するわけないだろ」
はっとした。
そうだ。
私はここで失敗するわけにはいかないのだ。
まゆを助けたいのなら、普段つくっているよりも多い霊力で成功させないといけない。
いつもより難易度の高いことをするんだ。
焦っている場合ではない。
「……落ち着いたようだな。よくわからんが、何か事情があるみたいだし、今日のところは譲ってやる。だが、本気で刀鍛冶を目指していないならもうやめろ。迷惑だ」
「ごめん。ありがとう」
兄はふんっと鼻を鳴らすと部屋を出て行った。
祖父との話はよかったのだろうか。
兄は怒っていたのに、それでも私に順番を譲ってくれた。
兄は優しい人なのだ。
あの日、私が霊力操作の練習に手を出した日までは、私の面倒もよく見てくれたし、周りの期待が私に移った後でもコツコツと努力を重ねてきた真面目な人なのだ。
私がいなければ、兄はもっとずっと生きやすかっただろう。
「話はついたようだな。では朱音、まずはその膝の血を何とかしてからだ」
刀身を火に入れる。
ここからが本番だ。
もう時間がない。
一発で成功させる。
私は刀に霊力を通し始めた。
「おい朱音!? 何をしている! そんな量の霊力を流したらコントロールができん!」
うるさい。
集中しているのだから邪魔しないで。
あの妖怪は圧倒的に格上だ。
でも、不意打ちとはいえ榊は一度あいつの背中に刀を刺すことに成功している。
だから、霊力の多い武器さえあれば、何とかなるかもしれないのだ。
私はもともと霊力が多い方ではない。
それでも刀鍛冶においては霊力の量が多くてもどうせ繊細な操作ができないのだから今までは霊力が少なくても問題にはならなかった。
でも、今回はそれではだめなのだ。
あの妖怪を倒すには、今までと同じような量ではいけない。
もっと、もっと!
霊力がぶれる。
それでも何とか刀身内を進めていく。
頼む。
できてくれ。
刀身の温度が上がる。
時間をかけてゆっくり進めすぎると間に合わない。
集中、集中。
「朱音……」
霊力が刀身の先端まで行き、折り返す。
今まで扱ったことのない量の霊力の操作で頭がくらくらする。
でも、その沸騰しそうな脳みその、芯の部分は何故か冷えていた。
私は今、限界に挑戦している。
温度が規定値まで上がりきった。
刀身を火から取り出し水で冷やす。
水から刀身を取り出して眺めた。
「……霊力のぶれが酷い。これでは明日中しか持たないだろう。だが……それでも、霊力が循環している。成功、だ。朱音、よくぞこれだけの霊力量で成功させた!」
成功……。
体中の力が抜けてその場でへたり込む。
せっかく貼った絆創膏に砂がついた。
体内の霊力をほぼすべて刀に込めたせいか、体が怠い。
「これだけの霊力を一度に使ったんだ。今日は休みなさい。この刀は明日の朝までには仕上げておく」
そうだ。
期限は明日まで。
明日までに手に入れば間にあう。
あとは他の職人にまかせよう。
私はまゆの家に電話をかけて、まゆを家に泊めると弟に伝えると、ベッドに倒れこんだ。
始発のバスに榊とともに乗り込む。
あの妖怪に出会ってから七日目の土曜日。
今日が、蛇女に示された期限の最終日だ。
榊の手には私が渡した包みがある。
中身は昨夜つくった刀だ。
「この刀、名前は?」
「純也ソードの強化版、スペシャル純也ソードだよ」
「相変わらずだせえ名前」
榊は少し笑った。
それはまるで呆れているかのように見えた。
これほどわかりやすい名前はないというのに。
不満なのだろうか。
いや、これはきっと緊張していてうまく笑えなかったのだろう。
「榊、大丈夫そう?」
「ああ……いや、どうだろうな。今まで戦闘の前にこんな気持ちになったことがないんだ」
榊は自分の手のひらを見つめると、何かを確かめるように握って開いてを繰り返した。
「なあ刀谷、俺は戦うことが好きだ。お互いの命を懸けて渡り合うのはゾクゾクするし、相手が弱いとがっかりする。逆に強い奴だと血が騒いだ。でも……」
動かし続けていた手のひらをぐっと握りしめ、榊は続けた。
「今は怖い。今までは懸かっているのが俺の命だけだった。だから、例え強者であろうとも笑って向かっていけた。でも、今はお前たちの命も懸かっている。守らないといけないものがあると、こんなにも体が重くなるものなんだな」
拳には力が入りすぎているのか、少し震えていた。
「退魔師は、妖怪から人を守るのが仕事だ。だが、俺は今までずっと、戦いを楽しむばかりで守るなんてことはしてこなかったらしい。だから、今、こんなに怖いんだ」
私は固く握られた榊の拳にそっと触れ、こわばった指を広げた。
「そんなことないよ。だって実際に私は榊に守られたよ。榊が来てくれなかったら私はあの蛇女に、ううん、その前にあの黒い妖怪に殺されていた。榊はちゃんと人を守っていたんだよ」
榊の指から力が抜けていった。
「だから、だからね」
「……ありがとう、刀谷」
バスが止まる。
戦いのときが迫っていた。