その歩みを止めないで 7
ネットで木彫りキットを三つ購入し、一人一つ彫ることにした。
そして、一番上手にできたやつをあの蛇女に渡すのだ。
届いた商品を家に持ち帰り、自室にこもって作業を開始する。
残念ながら見本の鏡は一つしかないので私は写真を見ながらやる。
蔦の曲線が厄介だ。
それに、絵と違って立体なのが難しい。
模様の出っ張り具合にも差があって、その表現がなんとも。でも、やるしかないのだ。
朝になると私は制服を着て学校に行くふりをする。
そしてやはり誰もいないまゆの家に行き、続きを彫るのだ。
見本の鏡を机の真ん中に置き、無言でがりがりと木を彫る。
小学校で買った彫刻刀をまた使う日が来るとは。
「で、できた……けど、どうだろうこれ?」
「俺もだ。初めてにしては上出来だと思うが、見本と同じかと言われるとな」
「私も……でもそんなのやる前からわかっていたことじゃん。気持ちが大事なんだよ!」
私たちは木彫りの枠を完成させた。
キットに入っている鏡を付ければ手鏡の完成だ。
さて、どれをあの蛇女に渡すか。
どれも蔦がガタガタしていたり、小鳥の羽が羽に視えなかったり、木の実に丸みがなかったり。
実力に合わないデザインに挑戦したせいだ。
全体のバランスも、小鳥の位置がずれていたり、彫りが浅くて平面的だったりする。
「どうする?」
「一番上手にできたやつを渡す作戦はやめよう。それよりもなれないながらも頑張って作った感が一番出ているやつにしよう」
榊が作ったものを持っていくことに決めた。
バスの窓から見える空は曇っていた。
風が強く、雲の流れが速い。
私たちは完成した鏡を抱え、山へ向かっていた。
もしこの鏡が駄目だったら、すぐに他の方法を考えなくてはならない。
だから完成したその日に渡しに行くことにしたのだ。
「ねえまゆ、まゆは別に来なくてもよかったんだよ? だってまゆは妖怪が視えないんだから」
「ううん。私も行くよ。だって、そもそもこれは私が鏡を踏んだせいなんだもの」
「でも、まゆは霊力がないんだよ? 妖怪に慣れていないんだし、怖いでしょ?」
まゆは自分の腕をギュッと握りうつむいた。
「そりゃあ怖いよ。初めて視たし、薙刀持って振り回していたし。でもさ」
まゆは顔をあげると真っすぐこちらを見た。
「怖いのは朱音も同じでしょ? 朱音だって、たとえ普段から視えていたって、あの妖怪が危険なことには変わりないんだから」
「でも、私には霊力があるの。いざとなったら、拳に霊力を溜めてぶん殴れば効果はある。もちろん勝てるとは思ってないけれど、それでも抵抗する手段はあるの。でも、まゆは……」
「ねえ朱音、私だけ安全なところにいるなんて嫌だよ。私のせいなのに、私の知らないところで朱音や榊くんが傷ついたりしたら絶対に後悔する」
私だって、まゆが傷つくのは嫌だ。
でも、こうなったらまゆはもう譲らない。
普段はあまり物事にこだわらなくて、大抵の事にはいいよって言ってくれるのに、まゆは時々ひどく頑固だ。
別に、怖いなら逃げたってかまわないのに。
戦う力のないまゆに、危険な場所に行くようになんて誰も強要しないのに。
鏡を割ってしまったのだってまゆが悪いわけではないのに。
昔からそうだ。まゆの家は複雑で、血のつながっていない弟の面倒をまゆはずっと見てきた。
自分がやらないといけないと思っているんだ。
弟とだって一つしか歳は離れていないのに。
まゆだって子どもだったのに。
今回だってまゆが来る必要はないのに。
それでも自分は行かないといけないって思い込んでいる。
どうしていつもそうなんだろう。
私はまゆに無理してほしくないのに。
初めて妖怪を視たあの時だって震えていたくせに。
「せめて、私の後ろにいてよ。あの妖怪が術を使わなければまゆはあいつの姿を視ることすらできないんだから」
「おい、もう着くぞ。……というか、刀谷、お前も来なくてよかったんだぞ。鏡を渡すだけなんだから俺一人で十分だろ」
「何言っているの。一人で行かせるわけないでしょ。もし今回ので駄目だった場合、蛇女の条件が私たちの思っていたものと違っていることになるでしょ? その時、もう一度話を聞かないといけない。その話を聞くのが一人だけっていうのは心もとないじゃない。だから霊力がなくて声が聞こえないまゆはともかく、私は行くよ」
榊は驚いたように目を見開きながらこちらを見た。
「お前、そんなこと考えていたのか。そうだな、話は複数人で聞いたほうがいいか。お、着いたぞ」
七月の空は、もう六時を超えたというのにまだ明るく、山の緑がよく見えていた。
山に入ったら受け取りに来る。
たしか蛇女はそう言っていた。
山に入り少し登る。
他の人がいないところがいい。
道を外れ、草木の隙間を通り奥に入る。
少し開けたところに出た途端、首すじがゾワリとした。
後ろだ。
まゆを背中に回しつつ来た道を振り返る。
そこには相変わらず刃の濡れた薙刀を持った蛇女が立っていた。
何度視ても恐ろしいほどの霊力を備えた妖怪だ。
「まゆ、視える?」
「う、うん。視えるよ」
まゆは声も体も震えていた。
やはり怖いのに無理をしているんだ。
いざとなったら私が守らないと。私には霊力があるのだから。
「来たな小僧ども。さあ鏡を渡すのじゃ」
「ああ。これだ」
榊が差し出した鏡を蛇女が受け取る。
そっと鏡を覗き込んだ蛇女は次の瞬間、榊を薙刀の柄で薙ぎ払った。
榊は数メートル吹っ飛び、地面に転がった。
「ふざけるでないわ! お主、吾がこれで満足すると思うたか!? 吾は同じ鏡を必死に探せと言ったのじゃ。こんな、雑な仕上がりの物でごまかされるものか」
蛇女は怒りに髪を逆立てながらギロリとこちらを睨みつけた。
「お主らには必死さが足りぬ。どれ、本気になれるよう、手伝ってやろう」
蛇女の白く長い尾が目の前に迫って……
一瞬、何が起きたのか、わからなかった。
私の体は横から衝撃を受けて、倒れていく。
とっさに横に向けた視線。
視界に映るのは後ろにいたはずのまゆの横顔。
ああ、まゆに突き飛ばされたのか。
何故?
そのまゆの体に白い何かが巻き付いて……体が地面にぶつかる。
一瞬閉じた瞼。それを再び開いたとき、私は状況を理解した。
「む、こっちの小娘を捕まえてしもうたか。まあどちらでもよいわ。どうじゃ? これで必死になれるじゃろ」
蛇女の尾が私を狙った瞬間、まゆに突き飛ばされて、かばわれた。
だから今、まゆがあの尾に巻き付かれて、捕まっている。
「まだ期限は一日残っておる。死ぬ気で探せ。次もまたふざけたごまかしの品を用意したら、この小娘をお主らの目の前で殺す。それはもう残酷にのう」
「待って! まゆ! まゆ!!」
まゆを捕まえたまま立ち去ろうとする蛇女を追いかけるが、薙刀の柄で軽く足を払われた。
それだけで私は転び、膝を擦りむく。
嫌だ。
まゆを連れて行かないで。
必死に立ち上がり手を伸ばすが、届かない。
走って、走って、走って、木の根に足を取られて再び転んだ。
蛇女の姿はもう見えない。
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
どうしてまゆがこんな目に合わないといけないんだろう。
怖かったくせに、ずっと震えていたくせに、霊力だってないくせに、どうして、私を、かばったりなんてしたんだろう。
私が守らないといけなかったのに。
霊力のある私が、抵抗手段のある私が、霊力のないまゆを守らないといけなかったのに。
「刀谷! 無事か!?」
地面に転がっていた榊が立ちあがって追いかけてきた。
私は無事だ。
まゆがかばってくれたから。
無事に、助かってしまった。
「榊、まゆが、まゆが……!!」
「ああ、わかっている」
榊の返事は冷静だった。
普段なら頼もしいと思ったかもしれない。
でも、今の私には冷たく感じられた。
「わかっているって何!? まゆが連れていかれちゃったんだよ!?」
私は榊の胸倉をつかんで叫んだ。
「あんたにとっては知り合ったばかりの他人かもしれないけどね、私にとってまゆは特別なんだよ! ずっと一緒にいて、妖怪が視えるなんておかしなことを言っても馬鹿にせずに信じてくれる人なんだよ! まゆが、まゆが!」
ただ、後ろで震えていてほしかった。
私の前になんて出ないでほしかった。
私を信じてくれたまゆを、私が守りたかったのに。
「落ち着け!!」
榊の手が、私の手を覆って、そっと胸倉から外した。
「元宮を助けたいんだろう? まだあと一日ある。まだ間に合うんだ」
私の膝から力が抜けた。
その場でへたり込む。
目からは涙がこぼれた。
「……どうすればいいの? ここまでやって鏡、見つからなかったのに、あと一日で用意しないといけないなんて」
「ああ、正直難しいだろう。だから刀谷、役割分担をしよう」
私の肩を掴み、榊は私に言い聞かせた。
「まず元宮の家族に連絡を入れる。騒がれるとまずいからな。お前の家に泊まることにしてくれ。そして、ここからが本題だ」
そう言うと榊は私の耳元に口を寄せた。
「俺はぎりぎりまで鏡を探す。それでもきっと見つからないだろう。そうなったらもう、実力行使しかない」
ひゅっと喉がなった。
榊は、本気で言っているのか。
「だから刀谷は、強い刀をつくってくれ。前に俺に純也ソードをくれたように。あの時よりも強力な武器を」
私の口からかすれたような声が出た。
「……勝てるの?」
「わからない。でも、誰かに話すことは禁じられている。だから、お前が刀をつくって、俺が倒すしかない。俺たちだけで、何とかするしかないんだ」
私は、震える体を抱きしめながら、うなずいた。