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本懐

作者: 惰眠

あなたはいつも輝いて見えた。克己的な姿勢で生き、内に秘める邪心を容易く殺して見せた。雪のように透き通る肌が印象的なその女は、世界が澱んで見える僕の中で唯一、輪郭がハッキリとした存在であった。


僕が目覚めると、Aはいつも部屋にいない。テーブルに放置されていたAの飲みかけの牛乳にコーヒーを溶かして飲むのが日課になってしまった。散らかった部屋で際立つ白いマグカップは、いつだったかの陶器市でAが買ってきたものである。ゴミ屋敷同然の僕たちの根城を見渡せば、脱いだ服が山積みになっている部屋の角で僕の影が伸びている。


客観的に見ても、Aはどこか変であった。嫌いなものが多く、口を開いては何かに文句を付けて否定する。そんなAのひねくれた性格が僕は好きだった。一種の逆張りからくる反発心に裏打ちされた、信念のような一貫性は僕を魅了して離さない。生活の精神的支柱を自己完結できるその生き様を、僕は羨望の眼差しで見ていることしか出来なかった。


僕はと言うと、利己的で怠惰な寂しがり屋と言う他ない。努力から逃げ、降りかかる厄災を器用さだけで何とかしてきた。自分の弱みは消して人に見せないAの優しさにかまけては甘え、己の醜い欲望を貫いては欺瞞でその場を凌いで逃げた。生まれついての微々たる才に陶酔する自分を誰かに許して欲しかったのかもしれない。異常なまでの依存体質が、いつも僕の内臓を焼き焦がす。自立とはまるで正反対の場所に僕はいて、何をするにも惰性と睡魔に飲み込まれる。


時間だけがすぎていく、掴みきれないふわりとした生活は、僕をより一層孤独へと追いたてる。いつしかAの中で僕は必要がなくなり、僕の元から離れてしまうことが恐ろしくて仕方がない。優しく包み込む抱擁の中で、虚しさが確かに鼓動を打つ。


その夜はやけに静かだった。ぼんやりとした不安が頭から抜けず、絶望の淵に怯えて僕はAを抱き寄せて泣いていた。Aは驚く程に熱い身体を動かして、はにかみながらキスをしてくれる。何故この女は僕を甘やかすのだろうか。優しさの裏に潜む、愛情とは異なるまばゆい思想は何なのか。えも言われぬほどの無性な苛立ちが募り、僕はAを無理やりに犯した。Aはそれでも笑って僕を受け入れてくれる。心と身体のアンニュイな閉塞感が僕を満足させたのか、短い微動の後に僕はAのなかで果てた。Aの脱力した足の付け根から垂れる精液は酷く濁っている。Aの顔が一瞬悲痛で歪み、瞳が曇ったのを僕は見逃さなかった。その瞬間僕は僕の中で消えた。力任せにAを殴り、罵倒し、全体重を乗せて首を絞める。Aは逃れようと必死で抵抗し、僕はより力を込める。苦しみにもがく蒼白な横顔はこの世で最も美しく、醜かった。


いつまでそうしていたかわからないが、気づけばAは泣いていて、僕は部屋で立ち尽くしていた。微かに聞こえるAのすすり泣きが現実を強く意識させる。まだ、ほんのりと温かい体温が消えた時、僕は初めてAと一緒になれる気がした。


風呂場の鏡を見ると、土気色をした顔が映る。汚れの知らない純白なAと交われば、僕の中にある重たい質量は消えてなくなると思っていた。しかし、内に秘める暴虐性を純情にぶつけても、己の劣情から解放されるのみで他に何も残らない。自縄自縛ゆえの肥大する欲求が、いつしか理性を凌駕する間違いようのない事実だけがそこにあった。"明日"に希望を持って生きていても、やって来るのはいつだって"今日"である。


それから僕は、切れ味の良い剃刀を手に持つと勢いよく手首を裂いた。逃げるようにして流れ出る血液は黒く、ただひたすらに美しかった。

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