紅をくれない?
紅、それは命の色。情愛の色、輝かしい唇の色。
私は幼い頃、突然紅を失った。
今でも思い出す、その時を。
助けを呼んでも誰も来ず、犯されるままになる私。
それを愉しげに見つめる彼らは、悪魔の笑みを浮かべてた。
悔しかった。苦しかった。情けなかった。怖かった。悲しかった。虚しかった。
その日から私の紅は消えていた。
皮肉なことは私の名前が紅子であること。
どうしてそれを失った私が、こんな名前で生きなければならないのか。
取り戻したい。何度そう思ったことだろう。
しかし永遠に奪われたそれは戻って来ない。男を見るだけで震えが止まらず、子供を孕むことができなくなった体は股から紅を垂れ流し続けるだけ。
「憎たらしい……」
呪ってやる。呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる。
人が怖くなり、家に引きこもるようになった私。だが、突然に甘い物が食べたくなりふと深夜の街へ赴くと、そこにはとある人影があった。
「よお。誰かと思えば紅子じゃねえか」
その姿を一眼して、私は動けなくなる。
脳裏にフラッシュバックする記憶。いじめられ、校舎の裏側で犯された思い出。
乳を揉まれ、吸われたこと。忘れるはずのない、私の身体を凌辱して心を蹂躙した、かつては少年であった強姦魔の一人だった。
「しょ、少年院から、出てきたの……?」
「そうさ。何か文句でもあんのか? ああ?」
背筋がぞくりとする。
ひ、と喉の中で声が鳴った。
「そうだ。再会記念にちょっと見せてもらおうじゃねえか、お前の体をよお」
一歩、一歩と男が近付いて来る。
手には銀色に輝く凶器。
その表情はあの日と同じ、真紅の嘲笑に歪められていた。
触られる。触られる触られる触られる触られる――。
――気づくと私の目の前には、紅色の血に塗れた男の死体が横たわっていた。
「へ?」
声が漏れる。何故こんなことに、と、自分の手を見てみれば、なんとそこには鋭いナイフが握られていた。
男の物だったはずのそれ、それがどうして私の手に――?
気付いてしまったその時、私は高い悲鳴を上げた。
何故。何故。何故何故何故何故何故何故。どうしたら、どうしたらどうしたらどうしよう。
混乱と恐怖と狂気とが渦巻き、荒れ狂う。
しかしやがてそれらが鎮まった後、私の中にとある考えが不意に浮かんだ。
「そうだ、どうして今まで思い付かなかったのかしら」
奪われた私の紅。
ならば私も奪い返してやればいい。
地面に広がる紅色は、言葉に尽くせぬ程輝いて見えた。
これが欲しい、私はそう思った。欲しい。欲しくて欲しくてたまらない。
私は静かに男の死体に背を向けると、ナイフを片手に歩き出した。
「ねえ、紅をくれない?」
そう言って首を傾げる私を見て、相手の男は何を考えているのだろう。
ガタガタと震え、彼はか細い声で言った。
「べ、紅子、お前。許して、許してくれ。謝るよ、だから……」
「許す? 別に私はあなたのことを怒ってないわ、〇〇くん。大丈夫、私に紅をくれたらいいだけ。ふふ、ふふ、ふふふふふふふっ」
直後、目の前で迸る紅は美しく、私を心から魅了する。
血に濡れた唇を舐めながら、私は呟いた。
「これで五人目。まだまだ足りないわ。ふふふっ」
私は今日も、夜道を歩く。
白いワンピースを血糊で染め上げ、紅の笑いを浮かべて進む。
私の愛を、取り戻すため。物陰で女を組み伏せ、嗤う男。私はその後へ近寄った。
「ねえ、紅をくれない?」
振り返る男は驚きの形相だ。
しかしそれはすぐに恐怖に変わった。
「さ、殺人鬼だぁ!」
ねじ伏せていた女などもはや頭になく、男は腰を抜かしている。
私はその男にナイフを向けて、「ふふっ」と息を弾ませた。
「あら? 殺人鬼という呼ばれ方はあまり好きじゃないの。紅の女とでも、そう呼んでくれるといいわ。ねっ?」
刃物に貫かれ、ゆっくりと横断。
撥ねられた男の首が宙を飛び、ゴトリと床に落ちる。
鮮血が舞う中、襲われていた女は目を見開き固まっていた。私は彼女へと優しく微笑みかける。
「良かったわね。大丈夫、あなたには危害を加えないわよ。……あなたも紅を失わないように気を付けてね?」
私――紅の女は、新しい男を探して次の場所へ向かう。
けれどどんなに命を、その紅を奪ったとて、永久に私の心は満たされない。満たされたと思っても、それは幻想でしかないのだから。
これが私の愛し方。紅を失った女の、虚しい愛の物語。
ねえそこのあなたも、紅をくれない?
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