第四枠
「領主に会えない、ですか?」
「ああ、お館様は日が落ちてからしか人とお会いにならない。今日の夜まで待つんだな」
思わず聞き直したヘルシングだったが、やはり目の前の村長と呼ばれてる男の返事は冷ややかだ。落ちくぼんだ眼と高い鷲鼻が特徴的な村長は、吐き捨てるようにそう言うと、足早にその場を去っていった。残されたヘルシングとステラは思わず互いの顔を見やる。
「……困りましたね、アルミン様」
「ええ、本当なら今日のうちに皆さんが帰れるように手はずを整えるつもりだったのですが……この分だと帰る準備を終えるだけでも、もう一泊しないといけないかもしれませんね」
フランタが空き家を出た少し後に同じく外に出たヘルシングとステラは、朝のうちにこの村の領主を訪ねようとしていた。要件はもちろん、自分たちを含めた汽車の乗客たちの帰還手段を用意してもらうことなのだが、どうもこれでは領主と話をすることすら難しそうだ。
「もし今晩まで待たないといけないならば、それまでにいろいろと準備しないといけません」
「そうですね。お食事とかお布団とか……」
「それに私の加護もまた掛け直さないと……おや、フランタさん、どこに向かわれるんです?」
これからのことを二人が思案していると、そこに見覚えのある巨体が通りがかった。自分への呼びかけに気づいたフランタは二人のほうに近づくと、遠くに見える洋館を指さす。
「よう、ちょっとこれからお館様とかいう輩に会いに行こうとなあ」
「おや、あなたもですか。でも残念でしたね」
「ん?何がだ?」
「この村の領主様は、日が昇っているうちは誰とも会わないそうなんです。私たちも今それを聞いたところで」
「ああ?そりゃあ、どういうことだ?」
困惑するフランタにステラが村長から聞いたことを伝えると、大男は思案気な表情を浮かべて遠くに霞む洋館を見つめる。
「……ふむ、別に洋館に行くなと言われたわけじゃあねえんだろ?とりあえず近くまでは行ってみるさ」
「確かに、領主本人に会えなくても側近の方とかはいるかもしれませんね。話だけでも聞いてもらえるかもしれません」
「そしたら、今から領主さんの館まで行きますか?」
ステラの提案にヘルシングが首を横に振る。
「いえ、領主の館には私とフランタさんで行きましょう。ステラさんは空き家に残っている皆さんのための食べ物の準備をお願いできますか?これをお渡ししておきます」
フランタが懐から出した皮袋をステラに渡す。彼女が袋の中身を確認すると、そこには数枚の金貨と数十枚はあろうかという銀貨が詰まっていた。
「こ、こんなにですか!?」
「ええ、それだけあれば何日か分の食料は用意できるでしょう。私たちが館に行っている間に他の乗客の方と一緒に買い出しをお願いします。買った物は借りている空き家に運んでもらうか、皆さんで協力して運んでください」
「わ、わかりました!」
皮袋を胸に抱えたステラは、意気込んだ様子でその場を離れた。それを見送ったヘルシングはフランタと横に並んで歩き始める。
「おい、嬢ちゃんにあんな大金渡して大丈夫なのか?ここは王都じゃねえんだぞ?」
ヘルシングは視線を進行方向から外さないまま、軽くフランタに答える。
「彼女だけならともかくとして、乗客たち数人で固まっていれば村人たちも手出しはしないでしょう。僕もこの村を信用しているわけではないですよ」
「ケケケ、疑うべきは村人だけじゃないだろうがよ」
薄笑いを浮かべて嘲るように言うフランタだったが、その言葉を聞いたヘルシングは意外そうな顔でフランタを見る。
「……フランタさん、あの汽車のチケットが一体いくらするとお思いで?あの汽車の乗客の中に、お金に困っている人は一人もいませんよ。皆さん、今頃は今回の事件のことをどうやって面白おかしく知り合いの貴族に話そうかと考えるので頭がいっぱいのはずです」
「……ケッ、これだから金持ちは鼻持ちならねえ」
きまり悪げにフランタが悪態をつく。ちなみにフランタはチケットの確保を伝手に依頼していたため、自分が座っていた固い座席を一体いくらで買ったかなど知らなかった。
「ところで、フランタさんはなぜ領主の館へ?」
「ん?まあ、人探しみたいなもんだ」
「人探し、ですか?」
「ああ、そう大した用事じゃないさ。だが、お前の横にいればその用事も早く済むかもな。なにせ”力号神官”様、直々の訪問だ。あっちも応対しないわけにはいかんだろうさ」
「そういった肩書の使い方はあまり好きではないんですが、今回は仕方ないですね。もたもたしていたら乗客の人たちにまた危害が及ぶかもしれません」
気が乗らない様子のヘルシングは、無意識に首からかけたアミュレットに触れる。そのアミュレットこそが、彼がたった今フランタが口にした力号神官である証拠となる”法具”であった。
法具とは、ヘルシングが所属する”大教会”が保有する数多ある秘宝のことを指す。アミュレットも法具の一つだが、用途としては身分証明書に近い。世界的にも唯一といってよい権威を持つ協会の、上から五番目の役職の者のみが持つ法具のことは、およそ学がある者ならば誰でもその外観と意味合いを知っており、それを持つ者の要求を拒否すれば実質大教会からの要求を拒否することに等しい。
さしもの領主といえども、ヘルシングの訪問を無碍にはできないはずだ。
「ところでよ、ヘルシング。ここの領主はどんな奴なんだ?」
領主の館は村から見える山の中腹に構えられており、村形は大の大人が歩いても二時間はかかりそうな距離だ。しかも道中は山道となっているため、お世辞にも交通の便がいいとは言えない。そのような隔絶された場所に暮らす領主とは一体どのような人物なのかと気になったフランタだったが、ヘルシングから帰ってきた答えはフランタにして意外な言葉だった。
「ここの領主、ですか。そうですね、僕もここに来る前に少し調べた程度なんですが、なんでも人ではないそうですよ」
「人じゃないだと?じゃあなんだっていうんだよ」
怪訝な表情を浮かべるフランタだが、ヘルシングは肩をすくめながら話を続ける。
「噂はいろいろありますね。二百年生きてるとか、領民の子供を食べてるとか、領主同士の争いで相手の領民を皆殺しにしたとか。ま、どれも根拠がない与太話以上のものではないようですが」
「おいおい、なんでそんな領主を今まで野放しにしてたんだよ。んなもん、”大教会”が放っとかねえだろ」
「……身内ごとで恐縮ですが、教会にもいろいろあるようです。それにここは王都から見たら辺境ですが、その歴史はかなり古いらしいですよ」
「歴史と距離ってのは、得てして管理から免れる理由に使われる、ってか。大教会の権威とやらも意外と大したことないんだな、クカカ」
フランタの皮肉を聞いたヘルシングは何も言うことはなく、黙って歩を進めていく。フランタも特に語ることもなくなったのだろう。二人は口を動かさないまま、洋館に向かって歩き続ける。かつてあった往来により道は踏み固められているものの、かがり火などが設置されていることはなく、夜になれば周囲を照らすのは木々の隙間から差し込む月明かりだけになると思われた。
足の下の地面にすり減った石畳が混ざるようになったころ、二人はようやく洋館の門の前に到着した。ただ、門といっても本館まではまだいくらかの距離がある。普通であれば門に駐在している門番が客人の身分や持ち物を確認するわけだが、二人が辺りを見回してもそれらしき人影を見つけることはできなかった。
「さて、ここまで来たはいいですが、この後はどうしましょうか」
「どうするもなにも、このまま進むに決まってんだろうが。こんな門なんざどっかから抜ければいい」
そう言いながら、門の脇を固める石壁の様子を探り始めるフランタ。それを見たヘルシングは、ため息をつきながら静止の声をかける。
「フランタさん、僕たちは交渉に来たんですよ?交渉人が館に押し入ってどうするんですか」
「じゃあここで日が暮れるまで待ってるってのか?俺はごめんだね。お、ここの壁なら何とか壊して……」
「誰だ、貴様ら」
背後から突然聞こえてきた声に、フランタとヘルシングが振り向く。二人の視線の先には枯木のような立ち姿の老齢の男が立っていた。男の手には鍬のようなものが握られており、その先端は二人に向けられている。
直前まで気配すら感じなかった男の出現を訝しみながらも、ヘルシングは笑みを浮かべて男に話しかける。
「こんにちは、ご老人。実はここの領主の方に急を要する用事がありまして。もし館の関係者の方でしたら、取り次いでいただけませんか?」
「…………」
ヘルシングの嘆願を聞いても、男は二人に対する構えを解くこともなく言葉すら発さない。
「おい、じじい。俺はいつまでもここにいるつもりはねえぞ。お前が案内しねえなら勝手に行くだけだ」
「フランタさん!!」
ヘルシングが声を上げるが、フランタは腕組みをして男を睨みつける。フランタは男より頭二つほど大きいため、男が感じている威圧感は相当なものだろう。その威圧感に屈したのか、あるいは興味がなくなったのかどうかは分からないが、男は構えを解くとポケットを探りながら二人の間をすり抜けて門に向かう。
男は羽織っている襤褸の外套から鍵を取り出すと、門の鍵を開けた。長く手入れがされていないのだろう、門は甲高い軋み音を立てながらゆっくりと屋敷のほうへと開く。
「……行け。執事が相手をする。侍女には触れるな」
「触れるな?それはどういうことだ」
フランタが聞き返すが、男はそれに答えることなくフランタを一瞥すると、二人が進んできた方向へと歩み去っていく。道ではなく茂みをかき分けて森に入っていった男は、一分もかからず二人の視界から消えてしまった。
「……ま、結果オーライってやつだな。さっさと進むか」
「……ええ。ただ、この調子だと熱烈な歓迎は期待できなさそうですね」
「クカカ、お前も言うじゃねえか」
二人は軽口をたたきながら門をくぐる。二人が進む道の先には、どこか陰鬱な空気をまとった館が、ひっそりと佇んでいるのであった。
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