第一枠
一人の男が、汽車に揺られながら外の景色を眺めている。彼の視界の先では、真っ白に染められた大地が高速で通り過ぎていき、吹雪というほどではないが、絶え間なく降りしきる雪が流れるように後ろへと過ぎ去っていく。
窓のさんに肘を置いてその様子を眺めていた男は、いつまでの変わることないその景色に飽きたのか、大きなあくびと共に伸びをした。男はかなりの巨体で、両腕を伸ばそうとすれば腕が伸び切る前に両方の掌が天井に着いてしまうほどだ。決して広くはない汽車の乗車席に座る彼は常に身を縮めているのだが、少しでも自由に体を動かそうとすれば向かいに座る身なりのいい老紳士がしっ責を込めた鋭い目を向けてくる。それに気づかないふりをしつつ、男は再び座席に身を沈めた。
汽車の揺れはかなり激しく、また車輪と線路の間で奏でられる甲高い金属音や車両がきしむ音が常時鳴り響いているため、とてもではないが快適な旅とは言えない。
だがそれでも、他の移動手段と比べると目的地までの到着時間は雲泥の差だ。それに今も変わらず降り続けている雪の中を馬や自分の足で進んだらと思うと、汽車の中は暖かな気温に保たれているにもかかわらず男の全身を身震いが襲う。
いつまでたっても変わらない景色に嫌気がさしたのか、あるいは暖かな鉄の箱に運ばれている安心感からか。男は深く息をつきながら視線を窓の外に戻す。
すると、男の両目が遥か空の彼方から汽車のほうに向かってくる黒い染みのようなものを捉えた。その染みは男が見ている間にも急速に大きくなっていき、やがて人間など軽く一飲みにできそうな巨大で奇怪な怪鳥がその全貌を現した。
分厚い灰色の雲により太陽が隠されているため、その細部までは確認できないが、ところどころ羽が抜け落ちている皮膚は腐っているかのように垂れ下がり、さらに口から絶え間なく唾液を垂れ流しているその姿から、それが普通の生物ではないことは明確だった。
「あー、まいったな」
男がそう呟いた瞬間、怪鳥はそのスピードを緩めないまま、すさまじい衝突音と共に、汽車の先頭車両に激突した。戦闘車両はその衝撃により脱線したのだろう。男が乗る後方車両がそれに引っ張られるようにして横に揺れたかと思うと、横転して地面に激突した。まるでミキサーのような車内でせめて座席からは吹き飛ばされないよう、男は近くの座席の取っ手を握りしめて身を縮める。
車両には男以外の乗客も大勢乗っており、悲鳴や怒号がそこかしこから湧き上がるが、それを覆いつぶすように車両と地面がこすれ、木製の車両が地面により削り壊される音が響き渡った。やがて、ようやく慣性が失われ車両は動きを止める。男はそれを確かめると、今は頭上にある汽車の窓をたたき割り、車両の外に這い出た。
「やれやれ、聞いてた話とはだいぶ違うな。こういうのはもう少し先だと思ってたが……」
服についた細かな木の破片を払いながらそんなことをつぶやく男の視線の先では、この大惨事を引き起こした元凶である謎の怪鳥が、先頭車両を執拗に攻撃している。まるでその中に隠された餌を探し出すかのように、怪鳥は嘴でしきりに車両を啄んでいた。
その車両に誰が乗っているかを思い出した男は、まるで他人事のような口ぶりで呟く。
「おうおう、威勢がいいこった。こんな化け物まで寄ってくるとは、色男は大変だな」
その言葉と共に男が左手を怪鳥に向けると、男の下腕部から金属がぶつかり合う”カシャ、カシャ”という小気味よい音が鳴った。直後、まるで絡繰人形の部品のように男の左腕が展開され、数秒後には男の腕は金属や木材で作られたボウガンに変形する。
おそらくはヘビィボウガンに分類されるであろうそれは並みの男が抱えて持つような代物だが、男がその重さに怯むような様子はない。だが、それも当然だろう。なにせボウガンは最初から男の腕の中にあったのだから。
「腹が減ってんならこれでも食っとけ」
下腕部に沿って乗せるような形で装着されたそのボウガンの弦はすでに引き絞られており、そこには鈍く光る杭のような矢が装填されている。その矢が、男の声を合図にしたかのようにひとりでに発射された。
「グギャアアアア!!」
「クカカ、魔銀の矢は効くだろう」
ボウガンから放たれたミスリル矢は狙い過たず怪鳥の首に突き刺さると、そこから肉を焼くような音と白い煙が発せられる。
よほどの激痛なのだろう。怪鳥は直前まで襲っていた車両の存在を忘れたかのように暴れまわり、その痛みをもたらした元凶に狙いを定めた。
「ガアアアアッ!」
全長が四メートルに及ぼうかという怪鳥が、男を踏みつぶそうと吶喊する。いくら男が巨体であるといってもその身長は二メートルを若干超える程度。その体重差は歴然であるはずなのだが、男はなんとその突進を真正面から受け止めた。
「ぬおおおおっ……!」
降り積もった雪とその下の地面を深くえぐりながら、男の身体が怪鳥に押されていく。しかし、十メートルほど後退したところで、信じられないことに両者の動きが止まった。それに気づいた怪鳥がさらに力を籠めようともがくが、やはり男がそれ以上下がることはない。
「ぐ、ぬ……見た目の割には大した力じゃねえなあ!おらあ!」
「ギャ、コ……」
怪鳥の嘴を抱えるようにして相手の動きを止めた男は、その嘴を思い切り地面に叩きつけた。それにより地面に押し付けられた怪鳥の頭を、男は右手で殴りつける。さらに殴打を繰り返した男は、もう一度両腕で嘴を抱え持ち、渾身の力を込めて締め上げる。
「おおおおおお!」
「コ、コ、コカカカ……」
地面に打ち倒されたままの怪鳥が弱々しく首を振るが、男は力を緩めない。やがて、嘴からメキメキという軋み音が鳴り始めた。このまま嘴を締め潰そうとさらに力を込める男だったが、怪鳥が不意にこれまでよりも一層激しく暴れだす。
「のあっ!?」
それまで地面に押さえつけられていた頭を男ごと振り上げ、怪鳥は滅茶苦茶に体を揺らした。突然の暴走に驚いた男の腕から少し力が抜けた隙に怪鳥はひときわ首を激しく振り、男の腕から逃れることに成功する。
「ガアアァァ……」
男がもんどりうって数メートル先の地面に落下するが、怪鳥はそれに目もくれず翼を広げ、曇天の中へと飛び去った。すでに男も最初の標的である先頭車両も襲う気はないらしく、車両を急襲した時と同じ速度でその場から離れていく。
「あ、てめえ!ミスリルの矢は置いていけ……って、逃げ足も速えな、おい」
地面に倒れていた男は上体だけを起こして左手のボウガンを構えるが、ものの数秒で点ほどの大きさになった怪鳥を見て、左手を下ろした。そのまま男は力なく地面に倒れると、頭上に広がる灰空を見上げる。
「あー、暴れるだけ暴れて逃げやがって……これからどうすんだよ」
愚痴るように男はそう呟くが、いつまでも雪をベッドにして横になっているわけにもいかない。倒れている間に薄く積もった雪を身体の上から払いのけ、男は立ち上がった。
「せっかくの汽車もここまで壊れちまったらただの鉄くずだな。えーっと、俺の席は確かこの辺りだったか」
男はまず、まだ何とか原形を保っている、自分が乗っていた車両のもとに戻ると、先ほど自分が出てきた窓から巨体をねじ込んだ。
汽車の中は阿鼻叫喚、とはいかないまでも惨憺たるありさまだ。乗客の荷物はそこら中に散らばり、けが人のうめき声がそこかしこから響いてくる。だが、男はそんなそんな惨状には目もくれずに、席近くの荷棚を探り始めた。
「多分この辺に……お、あったあった」
目当ての物を探し当てた男が手に持つのは、黒い皮でしつらえられたトランクケースだ。横幅一メートル、高さ五十センチほどのトランクを手に持ち、男は再び窓から外に出る。
「で、あいつは確か先頭車両だったな」
次に男は先ほど怪鳥が襲っていた先頭車両に向かう。怪鳥が激突し、さらに激しい攻撃が加えられていたため、先頭車両はひときわ損傷が激しい。おそらくほかの車両のような生存者もいないだろう。だが、男はそんな車両まで歩いていくと、もう使い物にならなくなった座椅子や外壁を投げ飛ばしながら、何かを探し始めた。怪鳥を圧倒した怪力を用いて男が捜索を続けていると、瓦礫の隙間から淡い光が漏れ出す。その周りにある残骸を取り除くと、ようやく男は目的の人物を見つけることができた。
「よお、色男さん。旅が始まって早々、えらい災難だな。クカカカカ」
「……助けてくださってありがとうございます、フランタさん。あの鳥はどこに?」
瓦礫の下から現れたのは光る半透明の繭に覆われた一人の青年だった。繭により怪鳥の攻撃や周囲のがれきから身を守っていたのであろう青年は、周囲を不安げに見回しながら元凶を探す。
「あの鳥なら追い払ったから安心しろ。痛めつけておいたから、また同じのが来ることはねえだろう。貴重なミスリルを持ってかれたがな」
青年にフランタと呼ばれた男は、事も無げにそう言うと近くに転がっていた青年の荷物を拾い上げ、持ち主に向かって放り投げた。だが、宙を舞う荷物は青年を囲む繭に阻まれて地面に落ちる。
「……魔法ってのは便利なもんだなあ。お前さんの魔法であの鳥は追い払えなかったのか?」
そのフランタの問いに、青年はため息をついて答える。
「フランタさん、前にも言いましたが、私が修めているのは”教法”と呼ばれるものです。この通り、守護魔術や治癒魔術はそれなりに使えますが、咄嗟に攻撃に利用できるような魔術はあまりないのですよ」
「ふむ、魔法っていうのはよく分からんな。それより、さっさとここを出発して”ラキーワ”に向かうぞ。こっからそんなに距離はないはずだから、線路を辿れば夜には着くだろう」
汽車は使えなくなったが、目的地までの道は線路が教えてくれる。聞いていた到着時間を鑑みれば、日没前後には目的地であるラキーワという村に着けそうだ。そう考えてのフランタの言葉だったが、歩き出したフランタの背に静止の声がかかる。
「お待ちを、フランタさん。まさか、この場から何もしないまま立ち去るおつもりですか?」
「おつもりもなにも、さっさとここを出発しないと凍えちまうだろうが。ただでさえ雪が降ってんだから、先を急ぐぞ」
「……他の乗客たちを置いていくつもりですか?」
その言葉を聞き、ようやくフランタは青年が言いたいことの合点がついたようだ。しかし、それを理解したフランタは顔を渋面でゆがめる。
「おいおい、”ヘルシング”さんよ。まさか怪我人を担いでいこうなんて言い出すんじゃないだろうな。中途半端な偽善はやらないほうが身のためだぜ?」
「やらない善よりやる偽善、ですよ、フランタさん。それに治癒魔術ならそれなりに使えるといったでしょう?」
名をヘルシングというらしい青年はそう言うと辺りを見回し、地面に放り出された乗客の一人に近づく。年頃の少女であるその乗客の脇腹には汽車の壁に使われていた木材が突き刺さり、さらに左ひざはあらぬ方向にねじり折れているようだ。
ヘルシングは、そのままであれば数分のうちに命を落とすであろう少女に近づくと、その横に膝まづく。
「あ、あ……たす……けて……」
「大丈夫、安心してください。すぐに元通りになりますから」
血反吐を吐きながらかすれ声で助けを求める少女に、ヘルシングは優しくささやくと、少女の額に触れて目を閉じた。
「”癒せよ、天意”」
フランタの耳に届くか届かないかの声量でヘルシングが呟いた瞬間、少女の身体が淡い光に包まれる。光に包まれた少女の身体の変化は目覚ましく、まずは腹に刺さっていた木材がひとりでに抜けていく。さらに時間を巻き戻すかのように腹に空いていた風穴と膝が、健康であった時のそれへと戻っていった。
わずか数秒での出来事だったが、すでに少女の身体には傷跡すら残っておらず、血の気が引いていた頬も赤みを帯びている。その変わりようを見ていたフランタが瞑目するが、一番驚いたのは直前まで死にかけていた少女自身だろう。少女は信じられない様子で自分の脇腹を触り、次いで目の前のヘルシングに抱き着いた。
「あ、ありがとうございます!神官様!わたし、もう駄目かと……」
「怖かったでしょうが、もう大丈夫。よく頑張りましたね」
そう言って、ヘルシングはなおも抱き着いたままの少女に微笑みかけた。首ほどまで伸びた滑らかな金髪といかにも優し気な整った容姿をもつ神官、さらには死にかけた自分を救ってくれた異性の相手とくれば、夢見がちな少女の心を射止めるには十分すぎた。先ほどとはまた違う意味でヘルシングに熱い眼差しを送る少女だったが、ヘルシングはそんなことに気づきもしない様子で少女を放し、フランタに振り返る。
「さて、これで僕らが担いでいく必要はなくなりましたね。それでは、他の怪我人の方の捜索を始めましょう」
「おいおい、まさか怪我人全員を治すつもりか?」
「ええ、もちろん。フランタさんも協力してくれますよね?」
「ああ?なんで俺がそんなことを……」
「わ、私がお手伝いします!」
そう声を上げたのはヘルシングに命を救われた少女だ。少女は面白くなさそうなフランタの顔をちらりと一瞥すると、ヘルシングに詰め寄る。
「あの……私、剣も魔術も使えませんが、神官様のお力になりたいです」
「ありがとうございます。あなたは強い心をお持ちですね。お名前を伺っても?」
「ウィルミナ・ステラと申します。えっと、神官様は……」
「おっと、これは失礼。私はアルミン・ヘルシングと申します。気軽にアルミンと呼んでください」
「は、はい!アルミン様……」
少女―ステラ―はヘルシングに熱いまなざしを送るが、当の本人は自己紹介を終えると周囲に首をめぐらす。
「さて、ステラさん。早速ですが、怪我人を探しましょうか。怪我人を見つけたら不用意に動かさず、私を呼んでくれますか?」
「はいっ!頑張ります!」
そう言ってステラが列車の残骸に向かって駆けていく。
「さっきまで死にかけてたその辺の女を篭絡してこき使うとは、とんだ鬼畜神父様だな、おい」
先ほどまで血反吐を吐いて死にかけていたとは思えない姿を見ながら、フランタがそう皮肉る。だが、ヘルシングはそんな小言を気にすることもなく、自身も列車の方に歩きだした。
「命を救われた人が別の人を救おうとする。これぞ人のあるべき姿だとは思いませんか?」
「……さてな、俺には惚ける女しか見えないが」
「…………」
今度こそヘルシングは答えず、またフランタに振り返ることもなかった。
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