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夜空、トマト、人工の運命。

 その日そのメールが白石の目に入ったのは、いくつかの偶然が重なった結果だった。その日彼がこれ以上なく暇だったこと。暇つぶしに始めようとしたゲームのプレイにアカウントが必要だったこと。アカウントの作成にメールアドレスが必要で、その後そのアドレス宛に送られてくる自動送信メールから認証をしなくてはいけなかったこと。


 そして白石がメーラーの受信ボックスを開いたとき、その認証メールとは別のメールがリストの上に堂々と鎮座していたこと。


 ――正確には最後のひとつは偶然ではなかった。必然的にそのメールはトップに来ることになっていたのだ。


 その「無題」という件名の横に表示された送信日時の欄には、「2030/5/31」という文字があった。10年後の今日だった。


 そして差出人のアドレスは、紛れもなく白石自身のGmailのそれだった。



 ◆



 ――――――夜空、トマト、人工の運命。



 ◆



 そうは見えないということは重々承知であるが、白石は自分が割と賢い方の人間だと自負している。怪しいメールを迂闊に開いてはいけないなんてネットリテラシーの初歩はさすがに履修済みだし、そしてそんなリテラシーがもはや過去のものになっていることも心得ていた。さすがに本文を開くだけで感染するウイルスなんてのは、一昔前のお粗末なセキュリティならともかく、現在はほぼ有り得ない。


 そして何より、面白そうではないか。送信日時を未来に偽装してメールを目立たせるという迷惑メールの手口は聞いたことがある。ほとんどのメーラーはメールを送信日時によってソートするから、日付を未来に改ざんすれば上に来て目に入りやすくなる。しかし、送信元までも偽装するものがあるとは聞き及んでいない。それも受信者本人のものに偽装するなんて、よっぽど手間がかかっている。そんな気合いの入った迷惑メールにどんな内容が書いてあるのか、見てみたい。暇でしょうがなかった白石にとってその誘惑は、サハラ砂漠に放り出された二日後、鼻先にご馳走を突きつけられたようなものだった。白石はほとんど躊躇うことなく飛びついた。カチカチと連続したクリック音が薄暗い部屋の中に妙に響いた。


『18:34地震が起こる。M5.8。震度3』


 ディスプレイに表示されたのはそんな文言だけだった。妙なサイトに誘導するようなURLも、不審な添付ファイルも無い。白石は拍子抜けしてしまった。チェーンメールの類だろうか。偽装には力が入っていたのに、中身はお粗末だし陳腐だ。せめて「旦那がアリクイに食われました」くらいのインパクトが欲しい。


 しかし違和感がある。マグニチュードの次に震度が書かれているのはどういうことだろう。言うまでもないが震度というのは場所ごとの揺れの大きさの指標であって、「この地震の震度は3だ」などという言い方はしない。


 ふと白石は壁にかかっている時計へと目を向けた。示す時刻は午後6時33分。ニアピンなのは偶然か。……偶然に決まっている。偶然でないとすれば、メールを開いた時刻を取得してその少し後の時刻表示しているだけだろう。くだらない悪戯だ。


 否定する理由はいくらでも思いついた。しかし白石の中のロマンチストな部分が「少しくらい夢見ようぜ」と囁いてくる。まあこれが予言なのかどうかは、もう少し経てば分かることだ。内心少しだけ期待しつつ、白石は椅子に背中を深く埋めてその時を待つことにした。


 時計の秒針の音がやけにうるさく聞こえる。こういうのを何現象と言うんだったか。そんなことを考えているうちに、やがてその時は来た。


 はじめに感じたのは緩い縦揺れだった。波の到達と共にカタカタと部屋全体が音を立てて揺れた気がした。


 え、マジ。白石は慌てて天井を仰ぎ見た。こういうとき一昔前なら電灯の紐を見れば本当に揺れているのかわかったのだが、あいにく現在部屋の明かりはLEDによって供給されている。


 数秒後には本格的に揺れだした。白石は思わず椅子から飛び退いて床にしゃがみ込んだ。机の下に潜り込むには少し成長しすぎている。その場で頭を抱えて屈む白石の耳に、何かが床に衝突してするような音が届いた。壁時計が砕けて床に無様な姿を晒していた。



 ◆



 どうやらあのメールはマジだったらしい。白石はテレビの画面に浮かぶテロップを眺めていた。確かにあの地震のマグニチュードは5.8で、白石の住んでいる地域では震度3の揺れが観測されていた。


 ツイッターのタイムラインは地震についてのつぶやきで溢れていた。「結構でかかった」「嫌な揺れ方だった」「いや良い揺れ方ってなんだよ」とか。白石も時計が壊れたことをつぶやいておいた。件のメールのことについては書かなかった。荒唐無稽な冗談だとしか受け止められないのは明らかだったからだ。


 白石は再び青白く光るパソコンのディスプレイをまじまじと眺めた。このメールは確かにそれから起こることを言い当てた。まさか、本当に未来からのメールなのではないか。そして差出人は未来の白石自身なのでは。どうやって未来からメールを送ったのかという点にはてんで見当がつかないが、そうだとしたらまあ説明はつく。さっきのメールは地震に対する警告だったのだろうか?


 ――いや、こんなほとんど被害も出ていない地震のために、未来からメールを送るなんて面倒くさそうなことを自分がわざわざするとは思えない。だから今のは信用を得るためのデモンストレーションみたいなもので、本命は別なのでは。自分ならあと一つ二つは予言を的中させてみせてから、満を持してそれを伝えるだろう。白石はふたたび受信ボックスの画面に戻って、新着のメールの受信を試みた。


 ふたたびリストのトップに「無題」の件名が現れた。白石は息を飲んだ。やはり日付は「2030/5/31」。10年後の今日。白石は手を震わせつつもマウスの左クリックをカチカチと鳴らした。


『一週間後の22:45、空からトマトが降ってくる』


 んなアホな。



 ◆



 初夏の夜空。太陽はもう全天を夜に開け渡してしまっていて、月が我が物顔で白道を闊歩している。その行進を仰ぎ見ながら、白石はひたすらデッキブラシで床を擦っていた。


 結論から言うと、本当に降った。白石の家のテラスはスペインのトマト祭りの後みたいに真っ赤に染まり、トマトやらどこからか飛んできた骨組みのようなものの残骸やらでめちゃくちゃになっていた。


 このことは珍事としてニュース番組で取り上げられた。報道によれば、西の方でトマト農家のビニールハウスが突如発生した竜巻によって巻き上げられ、それがこちらで落下してきた、らしい。


 馬鹿みたいだった。


 その後も定期的にメールは来て、プロスポーツの勝敗や政治家の不祥事などを予言し、その全てを当てて見せた。ロトシックスの当たり番号や競馬の勝ち馬などを教えてくれればよいのに、そのような内容のものが来ることは無かった。多分パラドックスとかの問題があるからだと思う。そんなSFを読んだことがあった。


 このメールは間違いなく未来から来ている。白石はほとんどそう確信していたが、しかしその目的についてはまったくのノーアイデアだった。過去にメールを送れるというのは確かにスゴいけれど、その内容は当たり障りのないものばかりで、過去を改変したいとかそのような意図も見られない。


 もしかすると、これは未来から送られてきた迷惑メールなのかもしれない。よくよく考えてみれば今までの予言は未来人からすればみんな公開情報なのだ。地震や天変地異や政治家の汚職なんてのはみんなニュースサイトにログが残っているだろう。言うまでもないが、現在にとっての未来は、さらに未来の時点からすれば過去なのだ。


 だったら次に来るメールはこんなのだろう。


『もっと詳しい未来を知りたい方は↓こちらのメルマガに登録してください!!!!』


 そんなことを考えていたら、懐のスマートフォンがブルブルと振動し始めた。新着メール一件。件名はやはり「無題」で、差出人のアドレスは白石のものだ。しかしこれまでのメールとは明確に異なる点があった。送信日時が表示されていない。どういうことだろうと訝しみつつ、メールの本文を開く。


『このメールの送信時、私は死にかけている』


 ……?


 これは……どう解釈すれば良いのだろう? このメールは少し今までと毛色が違う。「私」なんてのが出てきたのは初めてだし、いつそれが起きるのかを書いてもいない。


「私」とは誰だろう。メールのアドレスを信じるならばこれは未来の白石ということになるが、なぜその危篤を今の白石に伝えてきたのか。今から健康に気を使えということか。ちょうどいいことにトマトなら沢山あるが……。白石は割と貧乏性な男だった。


 しかし過去を改変することは出来ないのではないのか。もし出来るのなら、自分のことだから公営ギャンブルの結果とか値上がりする株の銘柄なんかを送ってきたに決まっている。過去を変えることが出来ないのだとすれば、このメールが送られてきた時点で白石がいつか死ぬことは避けられないのだ。当たり前だった。


 問題はいつ死ぬのかだ。メールには「送信時」に死にかけているとあるが、しかしその送信時はメールからは読み取れないようになっている。つまりこちらとしては白石がいつ死ぬのかは分からない。分かるとすれば、白石がこのまま生き続け、いつの日か何らかの理由で死にかけ、そしてこのメールを過去に送ろうと思い立った時しか有り得ない。


 そこで白石は未来の自分の意図に思い至った。過去を改変することが出来ないと言うことは、当然「メールは必ずいつか送られる」ことになり、そしてそれは「メールを送った時に死にかけている人間は、メールを送ってもなお死にかけている」ことを意味する。「死にかけている」ということは「死んでいない」ということだ。つまり「メールを送った時に死にかけている」ということは、逆に言えば「メールを送るまでは死なない」のではないか。


 このメールを送らない限り、白石は死なないのだ。


 やったー不死身になれるぞ。白石はよろこんだ。いえい。



 ◆



 ◆



 ◆



 ――――とか言ってた自分に腹が立つ。


 この世のものとは思えぬ慢性的な激痛が全身を苛む。常人ならそれだけでショック死に至るような神経パルスの奔流の中に白石はいたが、

 それでも意識を手放すことすらできなかった。意識を手放せばメールを送ることができなくなるからだろう。地獄の責め苦の中でやけに意識は明瞭としていて、時間は限界まで引き伸ばされたように感じられた。


 こんな風になってからどれだけの時間が経ったのだろう。白石はミスを犯していた。確かに白石は「メールを送るまでは死なない」。しかし前提として「メールを送る前に白石は死にかけている必要がある」ことを失念していた。結果として白石はずっと死にかけている。


 白石は思った。


「もう未来からのメールなんてこりごりだぁ〜〜!」


 チャンチャン。

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[一言] トマトが空から降ってくるのパワーが凄いw
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