第八百五章 ラフォンの魔法
「やはり、すごいな」
桟敷席へと続くカーテンの外側で、俺は呟いた。舞台はちょうど、アナベルが登場した頃だろう。
「そうですね……」
セルジュがそれに続く。しかしお互い思い描いている人物は違うだろう。
俺は、カジミール二世を演じるアンリ・ジョフレイに。セルジュは、アナベルを演じているエステル・ピアフに。
互いに違って、それで良いのだ。
お互いに贔屓の姿を思い描いている時だった。
「トルブレ家のものだ」
と、急に声をかけられた。
「トルブレ家? あぁ、アレット様になにか?」
俺は答える。暗闇でわからないが、声からして壮年の男のようだ。
「城まで馬車で来て、皇太子殿下の馬車でこの劇場に入られただろう? 取り残された馬車が劇場前まで来ている。そのまま家へと帰るように、伝えてはくれないか?」
「あ、良いよー」
フランシスは言った。
「終演後に、伝えておくね」
「さようなら、血にまみれた王」
舞台の声が聞こえてくる。そうして、漏れていた光が消え、
「私こそ、本当の王者。エリザベート! 愚民たちよ、ひれ伏せ、這いつくばれ!」
マルグリット・フランソワーズの歌声が響き、再び劇場に光がようだ。
「ブラヴォー!」
桟敷席から、フレデリックの声と拍手が聞こえる。それに続くのは、アレットのものだろうか。
やがて、二人は軽い階段を下り、カーテンを捲った。
「おどろいたよ、本当に」
「え、えぇ……そうね」
お二人とも、未だにラフォンのかけた魔法にかかっておりますよ。フレデリックは俺が買ってきて手渡したパンフレットを胸に抱き、彼方を見ていて、アレットの瞳は回転しているように瞬きを繰り返す。
ラフォンの魔法。
自分で思い付いておいて、良い例えかもしれない。我ながら、少し誇らしくなった。
「楽屋に寄られますか?」
俺は問う。それに対してフレデリックは、
「いや、このまま帰るよ。皇太子が楽屋に訪れたなんて、大騒ぎになってしまうだろう?」
と、彼は答えた。確かにそうだ。
「わかりました。……それと、アレット様──」
「あ、ボクが言うよ!」
すかさず、フランシスが手を上げた。
「朝、アレット様は自宅の馬車で城まで来たじゃないか。それで、フレデリック様の馬車でここまで来られている。だから、残された馬車が劇場前につけてあるみたいなのだよ」
「やだ、すっかり忘れていたわ……」
アレットが、頬に季節外れの紅葉を散らす。
「それでね、その馬車で直接家に帰るようにって、伝令? 召使い? が来て言って行ったよ」
「わかったわ……寂しいけれど、今日はこれでお別れね。さようなら、フレデリック」
「馬車までは一緒に行こう。少しでも長く、君と話がしたい」
フレデリックは言う。これはボニファーツの教えだな。
そうして、また二人は手を繋いで歩き出した。
もう既に、客の捌けた劇場を二人は歩いて行く。途中、支配人があらわれた。
「フレデリック皇太子殿下と、アレット・ド・トルブレ様。今日はご観劇ありがとうございます」
新たに支配人になって、二度目の公演だ。緊張しているのが目に見えてわかった。
「その……いかがでしたでしょうか? 今回の公演は」
「楽しかったよ。また観たいな」
刹那アレットを見て、フレデリックは言った。
「ありがとうございます」
そう言って、支配人は二人が外に出るまで頭を下げ続けていた。
劇場の外は、貴族たちの馬車はなくなり、王宮用と、トルブレ家用の馬車だけが残されていた。御者が気が付き、それぞれの扉を開ける。
「さようなら、フレデリック」
馬車に乗り込みながら、アレットは言った。
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