第七百七十七章 疫病の特効薬
ブランシュがなんの連絡もなしに城へと、そうしてフレデリックの部屋にやって来たのは、昼過ぎの事だった。
「特効薬ができましたよ!」
部屋に入るなり、彼は言った。フレデリックは、時折酷い咳をするが、今は安静に眠っている。徹夜の俺たちは、少し交代で眠ろうかと言う事になり、まずセルジュが木漏れ日のなかで眠りかけた時だった。
その吉報に、セルジュは飛び起きた。そして、
「本当ですか!? 先生」
と、ブランシュの肩を掴んだ。
「まだ試験薬の段階ではありますが……それに加えて……」
町医者は言い淀む。
「それに、加えて?」
俺が問いかけると、
「後遺症はなくす事はできませんのですよ。ここに来る前に試しにさる貴族の娘さんに処方した所、瞬く間に良くなりましてね。しかしながら、彼女は光を失ってしまった……」
ブランシュは続ける。
「恐らく失明は突発的な事だと思いますが、どうしましょうね」
これは、俺たちには荷が重すぎる判断だぞ。せめて、アイリスの許可が必要だろう。
「少し待っていてください、先生。そろそろタオルを変えに召使いがやって来るでしょう。その折りに、アイリス様への伝言を託しましょう」
「そうですな」
それをわかっていたかのように、ブランシュは椅子に腰掛けた。
「なにはともあれ、薬が見つかって良かったよー」
温度計を片手に、フランシスは言った。
「三毛猫さん、あれから発熱はありましたかな?」
ブランシュは聞いてくる。彼は大きく頷いて、
「大丈夫。今計ったら三十七度台前半だったよ」
「まだ微熱がございますな」
医師は小さくため息を吐いた。
「サラマンダーも、そんなに効果はなかったようですな」
「そんな事はないよ、先生」
と、フランシスは言う。
「一度は熱は四十度まで上がったんだよ? 奇跡的な事じゃないか!」
その言葉に、ブランシュはおどろいたようだった。
「疫病が流行り出してから、貴族の屋敷を回る事が多くなりましたが、そのように言われた事はありませんでしたよ」
と、頭を掻いた。
「なんだか、照れますね」
「先生は腕が良いと思うよ? 城に滞在しているローランサン先生も良い先生だけれど、ブランシュ先生はもっと実力があると思う」
フランシスがそう言うと、急にブランシュのその大きな瞳から、涙が溢れだした。おどろいたのはフランシスの方だ。
「どうしたの!? なにか、ボク変なことを言った?」
「いえ、違うのです、違うのです」
涙を拭い、ブランシュは答えた。
「私は、軍医として前の戦に参加しましてね、目の前で仲間が死んで行くのをずっと見てきました。その仲間の遺品を、生き残ったフィンチと共に配って回る際に、軍医の癖になにをやっていたのか、など、酷い言葉をかけられた事がずっと頭に残っていましてね。己はずっと仲間たちの未練を救うように、病人や怪我人を見てきました。それが、このような事で誉められたのは初めてでしてね」
そうか、ブランシュは軍医として戦争に参加していたのか。フィンチと知り合ったのは、その辺りだろうか。
間も無く扉が叩かれ、昨日のプードルの召使いが、タオルの替えを持ってきた。俺は彼女を部屋に入れないように扉越しに使ったタオルを手渡し、新たなタオルを受け取ると、
「至急、アイリス様に伝えて欲しい。疫病の特効薬ができた。まだ試薬品で、後遺症もなくならないらしい。フレデリック様に処方して良いか、聞いてきてくれないか?」
「は、はい!」
彼女は慌てて言葉を継いで、絨毯の上を駆けていった。
さて、やる事はやったぞ。あとはアイリスの返事を待つだけだ。俺は踵を返し、フレデリックの眠る寝台に近付いた。
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