第七百七十四章 フレデリックの夢
間も無くして扉が叩かれ、ブランシュが部屋に飛び込んできた。
「熱に続いて咳がお出にならるようになったとお伺いしましたが……」
町医者は白衣を羽織りながら、こちらに近付いてくる。フレデリックはブランシュの存在に気がついたようで、その、黒曜石のような瞳を開けた。
「こんにちは……せんせ……」
そこまで言って、彼は再び深い咳をする。
「喋らないで結構です。兎に角、胸の音を」
ブランシュは聴診器を取り出した。俺たちはフレデリックの服をはだかせようとすると、
「服は着たままで大丈夫ですよ。布団は退けて貰いたいが……」
との答えが返ってきた。
「フレデリック様、少し寒いかと思われますが、しばらく我慢していてください」
俺はそう言って、彼の何重にも重ねられた掛け布団を剥いだ。
すかさず、ブランシュが聴診器を上下を繰り返す胸に当てる。何点かあてがった末、小さなため息と共に、彼は聴診器を外した。そうして、
「私が今まで見てきた疫病の患者と同じような音がします」
静かに申告した。
「恐らく、疫病かと」
最悪だ。一番始めに、そんな感情が頭に沸いた。
「はは……そうか……」
咳き込みながら、フレデリックは言葉を紡ぐ。
「先生……僕は、死ぬのかな?」
すると、ブランシュが、
「今まで私が見てきた疫病の患者の中で、死んだものは誰もいません。絶対に、死なせませんよ」
と、被せられた布団から出る細い手に己の手を乗せた。
「あぁ、色々な……こ、とが、したかったなぁ……」
咳の間に、最後の抵抗のようにフレデリックは言葉を発する。
「今度の、オペラの観劇だろう? ……それから、ローザにも……逢いたかった……それから、さつま芋の蜂蜜がけも、再び食べたかったし……なにより」
彼は再び咳をした。そして、
「アレットの……花嫁姿を、見たかったなぁ……」
「見られますよ、絶対に」
そう言ったのはブランシュだった。
「私は今言いましたよね? 今まで私が見てきた疫病の患者の中で死んだものは誰もいないと。それはヒトも同じです。皆、元気になられていますよ」
「そう、かい?」
フレデリックは言った。
「兎も角、眠っていてください」
幼子をなだめるようにブランシュは言うと、俺たちに振り返った。
「皇太子殿下の熱はどのくらいですかな?」
「四十一度ちょっと」
フランシスが言った。
「お前、いつの間に計ったんだ?」
俺が聞くと、
「キミたちが入口で揉めていた時だよ」
さらっと言った。だんだんと、彼が仕事ができる猫になって行く。良い事だと思うが、このもどかしさはなんだろう。
「昼間から下がっていないですな……」
ブランシュはため息混じりに言った。フレデリックは、今は静かに目を閉じている。起きているのか、寝ているのか。それはわからない。
「エルフの薬も効かないとなると……いや、待てよ?」
町医者は顔を上げた。そうして、なにかカバンの中を漁ると、トカゲの干物を取り出した。
「こ、これは?」
俺は恐る恐る問うた。
「サラマンダーの干物です」
ブランシュは答える。
「サラマンダーは火神の化身……熱風邪の時に処方していましたが、疫病の熱も冷ますかも知れません。使った事はありませんでしたが、もしかしたら熱だけでも下がるかも知れません」
「成る程」
俺が頷くと、
「幸い、急患はおりません。今夜はここに留まる事ができます。皆さんも、ここから離れる事はできないでしょう」
確かにそうだ。疫病を振り撒くようなものだ。
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