第七百七十章 オリヴィエの不安
「わかった」
オリヴィエはそう言うと、立ち上がった。
「細心の注意を払おう。お前ら、わかったか?」
「おう」
と、マウロが頷いた。そうして、
「しばらくはカースケェト街には近づかねぇよ」
彼は続ける。
「それにしても、女王様は知っているのかよ。王都にスラム街があるって事を」
「それに一番頭を抱えてらっしゃる。前王と同じようにな」
俺は言った。
「しかし、格差は広がるばかりだぜ? 本当に、大丈夫なのか?」
その言葉に、俺はマウロに飛びかかりそうになった。アイリスが、本当に吐いたため息を、否定されたような気がしたからだ。
しかし、彼の言う通りでもある。ため息を吐くばかりなら、誰だってできるのだ。
「兎も角、セドリック殿はアイリス様を城に縛り付けておくと言っていた。スラム街の視察に訪れる事はないだろう」
「成る程」
話が長引きそうだと判断したのか、オリヴィエは再び椅子に座り、相づちを打った。
「問題は、フレデリック様だ。そのような事をセドリック殿は言っていた」
「なぜ、フレデリック様が?」
彼の旅の仲間──ヴァーレルが言った。
「セドリック殿は知っていたぞ?」
俺は言う。
「主に旅の仲間と共に、時折俺たちを早く上がらせてフレデリック様が下町を闊歩されている事を」
その言葉に、若い銃士たちはざわめきたった。その中で、リュカが手を上げ、
「申し訳ございません! 実を言えば、この間……」
「この間?」
俺はおうむ返しに問うた。最悪のシナリオは、恐らく調っているのだろう。
「この間、カースケェト街に、俺たちと共にフレデリック様が、足を踏み入れられました……」
「なんだと……?」
たまたま隣に座っていたオリヴィエが、リュカの襟首を掴んで持ち上げた。
「なんの目的だ。言わなければ、それなりの処置をしなければならんぞ」
「カ、カースケェト街の入口付近に、昔から営まれている美味い饅頭屋がございまして……」
首が締まり、苦しげにリュカは告白した。そう言えば、フレデリックは大の甘党だったな。
「足を踏み入れられられたとしても、ほんの数歩です。俺たちも、さすがにスラム街は仮にも皇太子殿下が足を踏み入れられる場所ではないと判断いたしましたので」
「そうか……」
部下の報告に彼の襟首を掴んでいた手を離し、銃士隊隊長は言った。
「病の潜伏期間はどれほどなのだ?」
「わからん。俺も、その事は聞かされていない」
俺は答える。
「フレデリック様がスラム街近く、ましてや中に入られたなど夢にも思っていなかったからな」
「問題は、感染力と言う事か」
オリヴィエは頭を抱え、くしゃくしゃと己の頭の毛を掻いた。どうにもならない悔しさが、彼を支配しているようだった。それは俺も同じ事で、一つ隣のオリヴィエを見て、複雑な表情をする事しかできなかった。
「後遺症で目が見えなくなると言う事だったが、それは永遠に視力を失うと言う事なのか?」
「一時的なものだと聞いた。一生ではないらしい」
俺は言った。すると、オリヴィエは少し安心したようで、
「成る程、それならばフレデリック様に王位継承権は残る訳だな?」
と、呟いた。
「どうしたのだ、隊長。突然、王位継承権など」
俺は問いかけた。すると彼は顔を上げ、
「いやな、ここでは言えん事だ」
などと言った。気になるじゃないか。
もっとも、彼の言いたい事はわかる。恐らく、ルドルフに王位継承権が発生する……つまるところシュトゥーベン国の血がクォーツ国を支配する事への不安だろう。
“これからは、シュトゥーベンの血がクォーツ国を支配する”、大昔に、亡きシュトゥーベン国王妃の言葉が、俺の中で巡っていた。
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