第七十七章 ボニファーツ伯二
「着いたぜ」
マウロの声に目が覚めると、ちょうど馬車が門番に止められているところだった。
「私はクォーツ国の継承権第一位のアイリス・ド・ラ・マラン・クォーツです。ボニファーツ様に逢いに参りました」
「クォーツ国のお姫様ぁ?」と、門番は垂れ布を上げ、訝しげにアイリスを見る。「こんな汚い姫様がいるかぁ?」
酷い門番だ。はなからアイリスを疑ってかかっている。
「これを見せても無駄かしら」
アイリスはそう言って、首から下げていたネックレスを差し出した。門番はじろじろとそれを見ると、
「こんなネックレス信用できるか」
ネックレスを馬車の中に投げつけ、言葉を継いだ。これはやりすぎだ。俺はレイピアへと手をかける。それを、オリヴィエが制した。
「隊長、なんで」
俺が問うと、
「お前の評価が、この国の姫様の評価になりかねない。我慢しろ」
怒りを抑えるように凄んだ声だ。
フランシスはネックレスを拾い、アイリスへと手渡している。これは国に入れないか? そう思った時だった。
「やぁ、久しいねポール」
外から声が聞こえた。爽やかな声だ。青年だろうか。二人の門番がざわめく。
「お、おう」マウロの動揺する声がする。「そうだな」
「君の彼女は馬車の中かい?」
「そうだ」
訳がわからないが、話を合わせる事にしたらしい。
「彼らは僕の客だ、ジェルマン、ナゼール」
道を開けるように、と、声の主は言った。
「は! わ、わかりました」
門番が道を開けたようだった。ガタカダと門を通り抜ける事ができた。
「君たちも借りを返したいだろう? ちょっと乗せてくれるかい?」
と、彼は馬車の後ろから乗り込んでくる。金髪の、白い肌の中々の好男子だ。
「どこまで行くんだ? 恩人さんよ」
マウロが前から話しかけてくる。
「王宮までお願いできるかな」
「王宮!?」アイリスが思わず声を張り上げた。そうして首を傾げる彼に、「私たちも王宮を目指していました」
「敬語は止してくれよ。俺はボニファーツ・レオンハルト・シュトゥーベンだ。よろしく」
「ボニファーツ、様」
アイリスが口を手で覆った。
「どうしたんだい?」
と、ボニファーツは尋ねる。
「私、許嫁のアイリス・ド・ラ・マラン・クォーツですわ……」
そう言った彼女の声は震えていた。
「え!?」と、今度はボニファーツが声を強張らせる。「それって、本当の話?」
「はい、そうです」
アイリスの言葉に、彼は天を仰いだ。
「なんて事だ。肖像画と全く違うじゃないか。僕はこんな綺麗な人を妻にするなんて……」
「綺麗だなんて……」
顔に紅葉を散らし、アイリスはボニファーツから視線を反らす。そうだ、そのまま俺なんかを忘れて恋に落ちてしまえば良い。それが一番良い選択なのだから。
「シャルル、大丈夫?」
と、フランシスが話しかけてくる。
「なんで?」
と、俺は聞くと、
「なんだかキミにしては珍しい、寂しそうな顔をしていたからさ」
さすが目ざといお方です。
「わかってるだろ?」
俺が返すと、
「あ、そうか」
フランシスは離れて言った。それを不振に思ったのがオリヴィエで、俺へとすり寄って来、
「なんの事かあとで説明してもらおうか」
と、威嚇されてしまった。怖いです、隊長。
「そう言えば、とっさにポールと呼んでしまったけど、本当の名前を教えてくれないか? ここにいる猫さんたちも」
ボニファーツは御者席のマウロに話しかける。
「……マウロだ」
と、返ってきた。
「マウロか! 良い名前だ。他の猫さんたちは?」
「オリヴィエと申します。クォーツ国の銃士隊隊長を務めております」
「ボクはフランシス。銃士隊員だよ」
「──シャルルと言います」
不味い、思わずぶっきらぼうに答えてしまった。
「シャルルは少し人見知りなんだ」
と、フランシスが気を使ってくれた。ありがたい。あとで何を要求されるかが怖いが。
「で、アイリス様はなぜこの国へ?」
ボニファーツが振り返る。
「あなたの顔が、見てみたかったから」
恋を知った乙女のように、アイリスはボニファーツから顔を背け、言った。
「僕の顔を?」
「はい、幼少期の肖像画と、名前だけ教え込まれた婚約者が、どのような方なのかと」アイリスは続ける。「実を言えば、私はクォーツ国の掟で世界を回る旅に出ていました。その帰り道にふと、シュトゥーベン国へと寄ってみたくて……」
「そうか、僕に逢いに来てくれたのか」
「そう言う、事です」
二人は見つめあい、その内ボニファーツがアイリスの手を取った。
「嬉しいなぁ」
と、顔が近付いて行く。ボニファーツの唇がアイリスの唇へと触れそうになった刹那、アイリスは手の甲を翳し、口づけを拒んだ。
「唇は、初夜の褥で……」
「あはは、そうか。残念だったな」
と、ボニファーツは苦笑した。
やがて、王宮まで着くと、ボニファーツは、
「それじゃあ、次に逢うのは結婚式かな?」
と、言って馬車からひらりと飛び降りた。
「あの、」
地に降り立ち、一歩踏み出した彼に、アイリスは声をかけた。
「なんだい?」
ボニファーツは振り向く。
「明日、明日あなたを訪ねても良いかしら?」
すると彼は顔に満面の笑みを浮かべ、
「あぁ、良いよ。待っているから」
と、言った。





