第七十六章 ボニファーツ伯一
「ボニファーツ伯に逢いに行きたいの」
夕食の際、不意にアイリスは言った。
「あの、婚約者の?」
皆で珍しく声が揃った。
「そうよ、ポワシャオもハダ王子に逢いに行ったように、私もボニファーツ伯と話して互いの想いを話し合いたいわ」
「おい、」
と、俺はフランシスに囁いた。
「ボニファーツ伯の顔を見た事はあるのか?」
「ボク? ボクは知らないよ。国が違うからさ」
姫様に直接聞くんだね、と、言われてしまった。
「そうか……」
俺は静かにため息を吐いた。
「どうしたんだ、シャルル」
と、オリヴィエが聞いてくる。ボニファーツ伯に逢って、正気でいられる自信がありませんなんて言える訳がない。
「なんでもない。好きに決めてくれ。先に寝るぞ」
そう言って俺は布団に入った。心臓が恐ろしいほどに高鳴っている。それを抑えるためだ。理由を知っているフランシスに、にたりと笑われた気がした。
「どうしたんだ? あいつ」
マウロの声が聞こえる。
「どうって事ないよ」
と、フランシスは言った。さすが腐っても銃士。口が固い。
「具合が悪いのかしら」
アイリスは心配そうだ。
「大丈夫ですよ」
俺はそれだけ言って、目を閉じた。
あくる日、眠りから目を覚ますと、マウロとオリヴィエが、既に準備を終えて寝台に腰かけていた。
「おはよう」
「おう」
マウロが片腕を上げる。
「おはよう。昨日誰よりも早く寝た癖に三番目か?」
などと、オリヴィエが俺を茶化した。
「茶化すなよ」
「冗談だよ」
と、彼は笑う。
「そう言えば、ボニファーツ伯に逢うと言う話はどうなったんだ?」
俺が聞くと、
「あぁ、逢う事になったよ。シュトゥーベン国の次男だそうだ」
「そうか」
オリヴィエの言葉に、俺は頷いた。
「ん……」その時呻き声が聞こえ、フランシスが目を覚ます。「ん、あ、おはよう」
みんな早いね、と、身体を伸ばす。
「ん、あぁ」
マウロが答える。恐らく一番始めに起きたのだろう。
「姫様を起こさなきゃ」と、フランシスは寝台から立ち上がり、己の役目のように、アイリスの肩を揺さぶった。「姫様、朝ですよー!」
「……え、う……」
目を擦りながら、アイリスは起き上がる。
「はーい、皆様朝ごはんですよ! 今日はコーンポタージュとギッフェリですよ!」
店主が入ってきたのはそれと同時だった。深めの皿を部屋の真ん中に置かれた卓上へと並べ、パンの入ったバスケットをその中央に置いた。そうして、黄色いコーンポタージュを皿に注いで行く。トウモロコシの良い香りが辺りを漂い、皆溢れる唾液を飲み込んだように思えた。
焼きたてのギッフェリは三日月型のパンで、一口食べてみると、バターの堪らない風味が口内を駆け巡った。
「美味しい……」
思わずこぼれ落ちた言葉に、店主が笑みを浮かべるのが目に入った。
トウモロコシを煮込んで作ったのだろうコーンポタージュも美味なもので、ギッフェリに浸けるとそれが更に美味しく感じられた。皆あっと言う間に食事を平らげてしまい、店主の笑顔を始終見る事になった。
朝食が終わり、準備を整えると、俺たちは部屋から出、受付へと向かった。受付には、昨日アイリスが送ったアイリスの花が飾れていた。
「先に馬車を出しておけ」
宿泊費を払いながら、オリヴィエは言った。
「了解、隊長!」
マウロが元気よく答え、外へ出ていった。
「俺たちも行ってるか」
俺が言うと、フランシスとアイリスは頷いた。
外では既に馬車が出されていて、マウロが御者席に座っていた。
「シュトゥーベン国への道は隊長が地図を貰って来るだろう。御者は俺が勤めるぜ?」
「お前方向音痴じゃなかったか?」
「そんな事ねぇよ」
と、会話をしている間に、オリヴィエがやはり地図を片手に宿から出てきた。
「お前が御者をやるのか?」
と、オリヴィエは問う。
「隊長まで俺を方向音痴だと思ってんのか?」
「いや、そんな事はない。任せるよ」
オリヴィエはそう言って、馬車に乗り込んだ。残るのは俺一人だ。彼に続き、後ろから馬車に乗る。中ではオリヴィエが前の垂れ布をまくり、道乗りを指示している。やはり不安なのだ。
やがて、馬車がゆっくりと走り出す。ついにボニファーツ伯とアイリスが対面するのだ。果たして彼女はポワシャオのように恋をしてしまうのだろうか。
それはそれで少し寂しいな。そう思いつつ、俺はあぐらをかいて揺れに身を任せた。
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