第七百二十二章 終幕
「出ていくですって!?」
マーリャの一声から、第二幕は始まった。クロード邸の、主人の部屋の前のようだ。長い廊下のようなセットに、扉が幾つか並んでいる。
「そんな勝手が許されると思って?」
「もう、堪えられません!」
エリーが叫ぶように歌う。
「今から旦那様にお暇のお願いを申し出るところです。止めないでください、マーリャ様」
「あなたは私の本心を理解してはいないようね、エリー」
泣く子をなだめるように、マーリャは口ずさむ。
「あなたの、本心?」
エリーが顔を上げる。
「あなたには素質があるわ。でもまだ、それがあらわれていないだけ……所謂、宝石の原石のようなものよ」
「それは、本心からでしょうか……?」
エリーの声がわずかに上ずる。
「はじめから見込みのない娘には厳しく接したりはしない質なの。あなたができると思うから、私は言うのよ?」
「本当に?」
「信じなさい、いい加減に」
マーリャは己の懐からハンカチを取り出し、エリーの顔に当てる。
「明日から胸にさらしではなく下着をつけての勤務を許可します。仕着せも、一枚で良いわ。もし旦那様に触られたら、私に言いなさい」
「はい、マーリャ様……」
背中を叩かれながら、エリーは涙を拭く。
「立派なメイドになることね。よろしくて? エリー」
「はい、わかりました!」
「ここは、かしこまりました、よ?」
マーリャの冗談混じりの言葉に、二人は笑いあった。
やがて、時は過ぎ行き、ある日マーリャの元に一つの手紙が届く。彼女はその手紙を見るなり、クロードの部屋の扉を叩いた。
「旦那様、よろしいでしょうか?」
「おぉ、マーリャか。入ってもいいぞ」
「失礼します」
盆が回り、クロードの書斎があらわれる。年を重ねたクロードは、髭が顎にまで達していた。
「どうしたのだ、マーリャ?」
クロードは問う。
「突然ですが、お暇をいただきとうございます」
「え!?」
マーリャの言葉に、主人は立ち上がった。
「いったいなにがあった。聞かせておくれ」
マーリャはいったん間を置くと、
「──はい。父が、倒れました」
と、歌った。
「母からの手紙です。お読みください」
と、先ほどの手紙を手渡す。舞台が薄暗くなる。マーリャとクロードは動きを止め、老いた声が、聞こえてきた。
「マーリャへ。いつもお手紙ありがとう。突然の事でごめんなさい。じつは、お父様が倒れたの。仕事中に、しかも木から落ちて。背骨を折って、もう一生歩けないとお医者様は言っていたわ。幸い、持ち家で済んだけれど、日々の食料にはお金がかかる……それに、私も結構な年になってしまった。お願い、故郷に帰ってきて頂戴」
「身勝手な両親だな」
舞台が明るくなり、クロードが言い放った。
「お前が書いた手紙には、返事の一つ寄越さないで、今更母親面か」
「そのような事をおっしゃらないでください。私の両親です」
「あぁ、すまなかった」
クロードは頬杖をつく。
「それで、実家に帰るのか?」
「できれば、お暇をいただければと思います」
「わかった。長年メイドを努めてくれた礼だ。金も包ませよう。故郷に帰る事を許可する」
「ありがとうございます」
と、マーリャはこうべを深く垂れた。
再び盆が回り、廊下に出る。盗み聞きでもしていたのだろうエリーが泣きそうな声で、歌った。
「マーリャ様、もう帰ってこられないのですか」
「そうね、エリー。これからよろしく頼むわね」
「それは、どういう……」
「あなたはメイドの品格がどういう事か理解したと言う事よ。よろしくね」
そう言って、マーリャは捌けていった。
暗転から、舞台は明るくなる。演者達が出てきて深く礼をする。オペラが、終わったのだ。
お読みいただきありがとうございます。
評価(下にある☆を★で埋める)、ブックマークの他、レビュー、感想等よろしければ書いてくださると幸いです。日々の創作の糧になります!
 





