第七百十五章 労いのお茶会
「フレデリック皇太子殿下、サンルームにお茶会の準備が調いました」
と、扉向こうで召使いが言ったのは、マルグリットが再び楽譜をあさり出している時だった。俺は懐中時計を見る。
針は、午後二時半を指していた。
「あら、お茶会があったのね」
楽譜をしまい、カバンを閉じたマルグリットは言った。
「まぁ、身内だけの小さなものだけれどね」
フレデリックは頭を掻いた。
「もっとピアノを弾きたいけれど、今日のところは、この辺りにしようか」
「は! フレデリック皇太子殿下!」
マルグリットがふざけて兵士の真似事をする。しかし皆が無言なので、
「あら? 滑った?」
照れくさそうにそう言った。
「い、いや、滑った訳ではないよ。大丈夫、マルグリット」
アンリが慌てて言葉を紡ぐ。
「無理をしなくて良いわ、アンリ。滑った事は己でもわかっているから」
顔を真っ赤に燃やしながら、彼女は立ち上がった。
「よし、アンリ、エステル。行くわよ」
「は、はい!」
踵を返し、マルグリットは歩いて行く。そうしてセルジュが開けた扉の前で振り返ると、
「それでは、ごきげんよう。フレデリック皇太子殿下、アレット様」
そう言って、膝を折った。あまりにも優雅だったので、一瞬彼女がオペラ歌手と言う事も忘れてしまうようだった。
いや、その前にマルグリットはジェルボー家の生まれだ。幼い頃から教育を受けているのだろう。
「さよなら、劇場で逢う日を楽しみにしているよー」
アンリとエステルが必死に頭を下げている最中、扉は閉じられた。
「さて、僕たちも行こうか」
グランドピアノから離れ、アレットに近付き、フレデリックは言った。
「君は目一杯のおめかしをしているようだね、アレット」
「あら、気がついていたの?」
おっと二人の時間が始まってしまった。お茶会は三時頃からだ。準備が調ったと言っても、紅茶は彼らが来てから淹れるだろう。
もう少し、二人の時間があっても良いのかもしれない。
「フレデリック、あなたはこの服で大丈夫なの?」
「あぁ。朝から髭も剃ったし、服もフランシスのお見立てで着ているから、もう完璧だよ」
その言葉にアレットが、
「もう、フレデリック。いい加減従者を信用なさい? 主人の髭剃りは従者の仕事よ?」
と、腰に手を当てた。
「昔母上から聞かされた、父上の母国の話が怖すぎてね。それ以来、人に接するのが少し怖いのだ」
これは、フレデリックの本気の言葉だろう。確かに、度重なる暗殺未遂事件があった。堕胎の毒を盛られた事もある。たくさんの人も死んでいる。それを、フレデリックは幼心に恐怖したのだろう。
言い忘れていたが、今日のお茶会はルドルフが主催したもので、エルが母になってから初めてのお茶会だ。それには、エルの母親としての日々の労いも兼ねて行われる。
「そろそろ行こうか」
フレデリックはアレットの手を取った。
「楽しみだわ、ルドルフ様とエルにはしばらく逢っていないから」
確かに、フレデリックが旅から帰ってきてからお茶会は開催されていなかったな。エルも妊娠していたし、皆が忙しかった。ただ、それだけの事だ。
廊下へ出て、サンルームに向かう。敷かれた紅い絨毯に射し込む陽光から見て、サンルームは暖かい事だろう。
やがて、サンルームまで辿り着くと、数人の影が見える。恐らく、ルドルフとエルの姿だろう。
「僕たちが最後になってしまったね」
と、フレデリックは急いで扉を開く。そこには、予想した通りルドルフとエルの姿もあった。
「兄上、遅れてしまい、申し訳ありません」
暖かい部屋の中、弟の言葉が響いた。
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