第七百十三章 エステルとアレット
一斉に拍手が湧き上がる。その中で特に大きな拍手をしていたのは、エリーを演じるエステル・ピアフだった。
「すごいですね! 私よりもエリーの感情が表に出ている」
「それはアレットちゃんの声が透明無垢だからよ」
と、マルグリットは口を挟んだ。
「エステル、あなたのエリーも素晴らしいと思っていてよ? でも、音楽院の教育が邪魔をしている。その皮が剥けるのを楽しみにしているわ」
「ありがとうございます、マルグリットお姉さま……」
エステルは言った。するとマルグリットが、
「まぁ、明日の稽古には今のアレットちゃんを上回る実力をつけているのでしょうけれど」
そう答えた。
「え?」
と、エステルは首を傾げる。
「まさか、お姉さま、私が独り稽古している事を知って……?」
「勿論お見通しよ。可愛い後輩ちゃん」
マルグリットは彼女の頭を何度か優しく叩いた。
「確り育って頂戴ね。いつか、私を越えられるほどに」
それは──
「それはどう言う事ですか? マルグリットお姉さま」
俺が考える前に、エステルが言っていた。マルグリットは一瞬黙ってから、
「いやねぇ、私だって良い年なのよ? なにがあるか、わからないじゃない? だから、いつ倒れても良いように後継者探しの真っ最中って訳」
と、肩を竦めてみせた。
「まだまだ倒れないでくれよ? マルグリット」
アンリは腰に手をあてる。
「あなたが倒れたら、オペラ業界は大変な事になるだろうね」
「あなたがいるじゃない、アンリ」
大女優は言い返した。
「僕は男優だよ。あなたの代わりには慣れない」
「じゃあ、エステルがいるわ」
と、新人女優は二人のベテランたちの言い合いに巻き込まれる。
「え? え?」
眉毛が落ちるのではないかと言うほどに垂れ下がっている。やはりまだ自信がないのだなぁ。
「エステルにはもっと経験を積ませるべきだ。メイドの品格だけでなく、もっと」
「それはあなたの考えかしら?」
マルグリットは腕を組んだ。
「エマニュエル・ダンカンからの教えだよ。だから僕は、エマニュエル主演の舞台に始めは脇役の一人としてデビューしたんだ」
「そう言えばそうだったわね。暴君のピエール役も、やっと回ってきた役だったし」
その言い合いを止めたのは、フレデリックだった。
「僕が物心つく前にエマニュエル・ダンカンは死んでしまったけれど、彼は未だに伝説として語り継がれているよ」
そう言ってピアノの椅子から立ち上がり、
「次はなにを歌うのだい?」
そう言った。すると、
「経験を積むと言う事で、エステル、マーリャをやってみない?」
マルグリットは無茶を言い出した。
「え、お姉さまの、役?」
エステルの声は震えている。
「そう。稽古場ではできない、今だからこそできると事よ。エリーはアレットちゃんにお願いしても良いかしら?」
「あ、はい! 嬉しいです」
アレットは声を上げた。マルグリットの無茶振りにも、なれてきたようだ。
「それじゃあ、これが良いかしらね」
マルグリットは楽譜を取り出した。
「二幕の冒頭の、マーリャとエリーの掛け合いの歌よ? と、言うかこの舞台はほとんど掛け合いの歌なんだけれども」
そう苦笑して、マルグリットはフレデリックに楽譜を渡した。それから、
「エステルは覚えているわよね?」
エステルは大きく頷いた。アレットにもう一枚の楽譜を渡し、マルグリットは目を細める。
「じゃあ、始めるよ」
フレデリックがそう言ってピアノに向かう。新米とは言え、女優と令嬢の歌だ。どうなるのだろう。少しばかり楽しみだ。
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