第七十一章 マウロの故郷
二週間と言うのは無惨にも早く過ぎるもので、あっという間に、北の大陸の、クォーツ国とは真逆の港町に着いてしまった。
「本当に着いてしまったんだな……」
デッキに立ち尽くし、俺は呟く。
「シャルル! 早く降りろよ!」
「あぁ、ごめん」
オリヴィエの言葉に、我に帰る。慌ててタラップを降りると、既に馬車も降ろされ、皆集まっていた。いや、アイリスが見当たらない。
「姫様は?」
俺の問いに、オリヴィエは並ぶボヤードの方へと視線を向けた。カモメに囲まれ、黒髪が揺れている。ポワシャオへと手紙を送る為、伝書鳩を空に放ったら、それに続いてカモメが群がって来た。そんなところだろう。
「姫様も行きますよ」
オリヴィエが声をかける。俺の時と大違いだ。
「あ、ごめんなさい」
カモメの海から潜り抜け、アイリスがあらわれる。頭に未だカモメが一匹止まっている。可愛い。
それを振り払い、彼女は俺たちと向き合った。
「ついに大陸に帰ってきたのね」
アイリスは言う。
「そうですね」
オリヴィエが言葉を継いだ。
「あっという間だったなー」
と、フランシスがぼやく。その後ろで、マウロが幾度か頷いていた。
本当にあっという間だった。夜明け前、王宮へと馬を走らせたのが、昨日の事のようだ。
「どこに行かれますか?」
と、オリヴィエがいつもの文句を告げる。
「そうね……」
アイリスは悩むように指で唇に触れた。
「一つ提案があってな」
と、マウロが話かけた。
「なに?」
アイリスはマウロを見た。
「いや、俺の故郷がここから少し行ったところにある小さな漁村なんだ。もう二人とも死んじまって俺の育った家はないだろうが、良かったら、寄ってみないか?」
そう言えば、マウロの義父は漁師だったな。
「良いわ、行ってみたい」
興味深げにアイリスは言った。
「よし、決定だな」
「御者は俺がするぜ?」
早く乗れよ、そう言って、マウロは義者席についた。そうして全員が乗り込んだ事を確認すると、馬車は雑踏の中を走り出した。
と、途中、馬車が止まる。
「どうした?」
オリヴィエが垂れ布をめくり上げる。
「いや、ここが俺の捨てられていた教会なんだ」
そう言えば、マウロは産まれてすぐに兄弟たちと共に教会の前に捨てられたと言っていたな。
「見てみたいなぁ」
と、フランシスがオリヴィエに重なる。
「重い! 一人で見ろ」
オリヴィエは言って、フランシスを退けた。
「隊長のけち」
フランシスは頬を膨らませる。いやいや、どこがけちなんだ。
「大きな教会だから、後ろからも見えるぞ」
と、オリヴィエは言う。
俺とアイリスは目配せしあって、後ろ側の垂れ布をめくった。
白い、大きな教会だ。この世界にあるのかどうかわからないが、ゴシック建築のようだ。両側に二つの塔を抱え、中心には咲いた花のような穴が彫られている。その下や横には、聖人だろう人物の像がたくさん置かれていた。
「大きい教会ね」
「そうですね」
それだけ言うと、圧倒されたように二人で黙したままだった。
「もう行くぜ」
マウロの声がする。もう少し見ていたかったが、これはしょうがない。
やがて町の騒音が遠ざかり、外へと出た事を知った。
「心地が良いから、前の垂れ布は開けておくぞ」
オリヴィエはそう言って、垂れ布をまくり上げ、止めた。
草原が広がっていた。草が風になびき、波を作る。その左側に、砂浜、そうして海があった。草の碧と、海の蒼が混ざる。海沿いを走っているのだ。
これが、マウロが幼少期に見ていた景色なのだろう。
やがて小さな漁村の前で、馬車は止まった。前の垂れ布を下ろし、俺たちは馬車を降りた。茶色や、黄色と言った建物が並んでいる。奥には、小規模な港があった。
マウロを先頭に、漁村の中へ足を踏み入れる。すると、一人の猫の獣人が駆けて来た。
「マウロ……あんたマウロなの?」
するとマウロはおどろいたように尻尾を膨らませた。
「ジャンヌか!?」
「ジャンヌって?」
と、アイリスが顔を出した。
「お、俺の幼馴染みです」
マウロさん、浮気現場を見られたような顔をしないでください。
「お袋さんと親父さんが続いて死んでから、銃士になるって言って村を出ていって十年……どこでなにをしていたの? この人は誰?」
幼馴染みさんぐいぐい来ますね。
「マウロはクォーツ国で立派な銃士ですわ」二人の間を割って、アイリスがジャンヌに話しかける。「そうして私はアイリス・ド・ラ・マラン・クォーツ。クォーツ国の王女です」
「お、王女様!?」ジャンヌがこうべを垂れた。「申し訳ありません、私のような村の女が話しかけてしまいまして」
「頭を上げて。私はそう言う角ばった対応が苦手なの」と、アイリスは続ける。「それに今は国の掟で旅に出ている身……ね?」
「は、はい」
マウロに対する態度とは売ってかわって、至極素直な返事だった。それもそうだ。同じ大陸だからと言って、国が連立している訳ではない。平凡な民が王族に逢うなど、ほとんどないだろう。特にここは城下町でもないのだ。
「マウロはとても強くて頼りになるのよ」
と、アイリスはマウロの腰を抱いた。
「照れ臭いですよ、姫様」
マウロは照れ隠しのように軽くアイリスの手を離した。ジャンヌの目がきらりと光ったのが見える。これは予想だにしない修羅場が待っていそうで怖かったので、俺はアイリスの腕を持ち、二人の間から離した。
「なになに?」
不思議そうにアイリスが聞いてくるので、
「嫉妬は怖いですよ」
と、囁いた。これには彼女も理解したのか、幾度か首を振って、
「そう、ね」
と、苦笑した。
「しかしあんたが立派な銃士ねぇ」と、ジャンヌは手を腰に当てた。「あんなにやんちゃだったあんたがねぇ」
どれ程やんちゃだったんだ、マウロさん。
「マスケット銃やレイピアよりもこん棒を使う事が多いけどね」
フランシスが顔をだす。
「今も背中に背負っているしな」
と、オリヴィエ。
「そうなの?」
と、ジャンヌは笑った。
「ジャンヌ、俺の家はまだあるのか?」
と、マウロが聞くと、
「もう別の人が住んでいるわ」
時が過ぎすぎたのよ、と、ジャンヌは悲しげに言った。
「そうか……」
「まぁ、しょうがないさ」
確かに、十年は経ち過ぎだ。俺はガックリとしているマウロの肩を叩いた。
「折角帰って来たんだから、港で魚料理でも食べて行きなさいよ。ランザース爺さんが喜ぶわよ」
と、ジャンヌは言った。
「そうだな」と、マウロは頷き、俺たちを見た。「ちょうど昼飯時だ。とても旨い料理を出す店を知っているんだ。食べに行こうぜ」
「わかった」
皆が頷く。
「じゃあな、ジャンヌ。また帰ってくるよ」
「期待しないで待っているわ」
幼馴染み同士の会話を終たマウロの案内で、俺たちは港へと向かった。
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