第七百二章 運命のひと
その後も主人、クロードから発せられるセクシャルハラスメントにも似た発言に、マーリャがエリーを姿だけでも”立派なメイド”にしようとしている点が、歌詞だけでも目にとれた。
確かに、面白い作品だ。
歌だけで芝居を魅せる。それがオペラの醍醐味でもあるのだ。
なので、エタンのような庶民たちが憧れるのだろう。エタンの場合は、俺の従者として、オペラを観られる。結構な贅沢なのだろう。
現に、庶民の一週間稼いで得た収入が、オペラを一回観られるか観られないかだ。それにオペラ座の中は、紳士淑女の社交場でもある。
正直に言ってしまえば、庶民には入ってこられない特別な空間なのだ。
それは俺も、アンリのパトロンになってから知った事だが。
なので庶民は、一年に一回の新年コンサートに殺到するのだろう。借り物の宮廷服や、ドレスを身にまとい、いささか緊張した面持ちで。
やがて曲が終わると、小さな拍手が上がった。勿論、俺も拍手をしている。
しかしその中で、一番大きな拍手をしたのは、マルグリット・フランソワーズだった。
「みんな良かったわよ! エステル、だんだん自信が付いてきたかしら? 稽古場よりも声が出ている。それと、アンリ。長年組むなんて思いもしなかったけれど、毎公演毎に進化している。クロードの変態っぷりがたまらないわ」
大女優は仲間たちを褒め称える。そうして、
「なによりも素晴らしいと思ったのは、フレデリック様、あなたよ」
「……え? 僕かい?」
皇太子はおどろきの声を上げる。
「えぇ。私が渡したのはオーケストラ用の楽譜……ピアノパートは伴奏に徹している。主な曲調がヴァイオリンだから。それを、ピアノのソロパートに置き換えるなんて、普通の人間じゃあできないことよ?」
「……楽器を演奏する者は、誰もができると思っていた」
と、フレデリックは項垂れた。
「それも才能の一つよ」
楽譜の回収ついでに、フレデリックの額に指を押し当て、マルグリットは言った。
「思っていたよりも面白そうな舞台だな」
俺は言う。
「ドーヴェルム作だったか?」
「そうそう! 良く覚えていたわね、シャルル」
楽譜をカバンへとしまい込みながら、マルグリットは頬笑んだ。
「彼の作品は、結構突飛なものが多いな」
「だから、”伝説の人”と、呼ばれているんだ」
アンリが間に入ってきた。今まで変態を演じていたとは思えない、爽やかな青年だ。
「伝説の人か……いつか呼ばれてみたい」
俺が呟くと、
「キミは既に生きる伝説だから!」
フランシスまで話に入り込んで来た。
「40才近くで、油の乗りに乗った若手を数名一気に相手にして傷ひとつ負わずに勝つなんて、普通の猫ではないよ」
確かにそうかもしれない。
「そんな面白い事をやったの? 見てみたかったわ!」
楽しいもの好きの女優は言う。
エステルと言えば、部屋のすみの方でセルジュとなにか話をしている。チケット、と言う言葉が聞こえてきたので、”メイドの品格”の舞台チケットの事だろう。
そうなると、俺もアンリに聞いておいた方が良いのかも知れない。
「ところでアンリ、チケットだが……」
すると彼は、
「初日の分は確保してあるよ。いつもの桟敷席で良いんだよね?」
そう尋ねてきた。
「面白かったら、リピート欲しいんだ。一応僕も主演に入るみたいで、桟敷席ならチケットを確保できる」
「ありがたい。今は金は持っていないから、また稽古帰りを訪ねよう。ついでに黒鳥亭で食事でもとろうか」
「僕の為に? ありがとう」
頬を赤く染め、アンリは言った。
「シャルルはボクの運命の猫なんだからね、キミには渡せないよ」
と、すかさずフランシスが言うと、
「大丈夫だよ、僕にとっての運命の人は、エマニュエル・ダンカンただ一人だから」
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