第七十章 旅の真相
食後、カクテルが飲みたいと言い出したのはアイリスだった。
「では、特別にお客様のイメージでお作りしましょう」
「本当?」
船員の言った言葉に、彼女は声を弾ませた。
「お名前をお聞かせ願いますか?」
船員は言う。
「アイリス・ド・ラ・マラン・クォーツよ」
「えぇ!?」船員がおどろいて声を上げた。「クォーツ国の姫君様でしたか……こりゃあおどろいた」
「隊長、言ってなかったのかよ」
と、マウロはオリヴィエを見る。
「一応高貴な方が乗ると言っただけで……」
ばつが悪そうにオリヴィエは苦笑した。
「わかりました、お作り致しますので、しばらくお待ち下さい」
と、船員はかけて行った。次は恐らく船長があらわれる事だろう。
「もー、隊長ったら。しっかり言った方が良いよ」
船員が出ていったあと、フランシスがぼやく。
「”高貴な方”で通じると思ったんだがなぁ」
オリヴィエもぶつぶつと呟いた。
「大丈夫よ、私は気にしてないわ」
と、アイリスが言う。すみません、こっちが気を使うんです。
やがて、やはり船長がカクテルを持ってあらわれた。
「これはこれはクォーツ国の姫君様とは知らずに、なにかご無礼をおかけしましたでしょうか」
「いいえ、全く。立場は違っていてもこの世界に生きている者同士よそんなにかしこまらないで」アイリスは言った。そうして出されたカクテルを見た。赤い、美しい色だ。「まぁ綺麗」
「あなた様をイメージしました特別なカクテルでございます。ラズベリーリキュールに、ピーチ果汁、それをジンで割りました。”アイリス”と申します」
「ありがとう」アイリスは頬笑み、カクテルを口にした。「……美味しい」
と、呟く。
「よろしければ皆様の分もご用意致しました。どうぞ、お飲み下さい」
「これはありがたい」
と、オリヴィエがショットグラスに手を伸ばす。次々にカクテルが回され、俺の方まで運ばれて来た。
水面に、さざ波が立つ。一口飲むと、ラズベリーとピーチの甘酸っぱい味に、ジンの辛みが包まれ、とても良い味わいだ。
「美味しいな」
俺が言うと、
「そうだね」
フランシスが答えた。
するとアイリスが、
「このカクテルのレシピをいただけないかしら」
と、言った。
「レシピですか?」
船長が首を傾げると、
「えぇ、国に帰っても飲みたいものだから」
「お気に召されたようでなによりです。今、持って参ります」
船長は未だ緊張しているようだった。慌てて駆けて行った。
「船長、大分緊張してるね」
と、フランシスが冷やかすように言った。
「あんまり言ってやるな」
オリヴィエがフランシスの袖を掴んだ。
「はぁい」
その手をやんわりと取り上げ、フランシスは言う。
「お待たせ致しました」
船長が羊皮紙を片手に戻って来、アイリスへと手渡した。思わず皆でそのレシピを覗き見る。
羊皮紙には丁寧な文字で、レシピが書かれていた。慌てたにしては、綺麗な字だ。
「ありがとう」アイリスは羊皮紙を丸め、「置いてくるわ」と、自室へと消えていった。
「美味しいカクテルだったねぇ」
ボクの分も作って貰おうかな……と、言う。
「止めておけ」と、オリヴィエが制止した。「俺たちはただの護衛だ。遊びじゃないのだぞ」
その時ちょうど自室から出て来、それを聞いたアイリスは、少し寂しそうに言った。
「みんな旅の仲間よ。銃士隊で作って貰えば良いわ」
「いえいえ、ご心配なく。我々が行くような酒場にカクテルは置いてありませんので」
「そうだ、安い葡萄酒で十分さ」
オリヴィエとマウロが口々に言った。
「そう? 少し興味があるわ……」
アイリスがオリヴィエを見た。これはいつかお忍びであらわれるかもしれない。そんな恐怖が、皆の背筋を走った。
カクテルを飲み終わり、ほろ酔い気分で自室に戻ると、再び扉を叩かれた。
「シャルル? 入っても良い?」
その声はアイリスだ。
「どうかなさいましたか?」
まさか彼女があれだけの酒で泥酔する筈はない。恐る恐る俺は扉を開けた。彼女は部屋に入り、寝台に座る。俺は椅子に腰かけた。
アイリスの月明かりに照らされる姿は、やはり高貴で美しいものだった。
「あのね、少し寂しくなって」
「なって?」
おうむ返しに俺は問う。
「シャルルなら話し相手になってくれるかと思って」
俺が!? 思わず後退る。
「フランシスの方が話が合うのでは?」
そう言うと、
「やはり将来従者にと想っている者の方が心を寄せやすいわ」
と、アイリスは続けた。俺は未だ悩んでいるが、彼女の中では既に俺は従者となるものなのだろう。
「なぜ俺を従者なんかに?」
と、俺は尋ねる。
「実はこの旅の目的に、将来の従者を決める事も含まれているの」アイリスは言葉を継いだ。「あ、今言った事は他のみんなには内緒よ」
そうだったのか。しかし、己の心は納得していない。
「俺はあなたに屈辱を与えた者です。それなのになぜ」
するとアイリスは、
「数名の指南役候補を殺して、自分はこの国一番だと天狗になっていた私を目覚めさせてくれたのはあなただわ」と、彼女は言う。「失礼な事を言ってしまった事はごめんなさい。でも、その時から、私が王位を継いだ時に傍にいてくれる者はあなただと思ったの」
「そうなのですね」
と、俺は言った。全ては初めから決められていたと言う事か。なるほど、納得した。
「もう旅も終わりね」
外の暗い海を見て、アイリスは呟いた。
「お寂しいですか?」
俺が聞くと、
「楽しかったもの。色々な事を知ったし、色々な人に逢った。王族では絶対にできない旅だったわ」
まぁ、結構贅沢もしましたけど。と、言いかけた口を閉ざす。これはスライムと行き倒れた数々の旅人のお陰だ。
「そう言えば、ポワシャオから手紙が来たの」と、アイリスは言った。「ハダ王子と上手くいっているみたい。応援しなくちゃ」
「それはなによりです」
「お互いの結婚式には参加しあおうと約束しているのよ」
友情はやはり美しい。
と、アイリスはあくび一つした。
「眠いですか?」
「そうね……私だけ喋ってしまったわ」
「お気になさらずに」
俺は答える。
「部屋に戻るわ。話し相手になってくれてありがとう」
「いえいえ、いつでもどうぞ」
「それじゃあ、おやすみなさい」
そう言って、アイリスは俺の部屋から出ていった。
しん、とした部屋の中、寝台に座り、そのまま横たわる。アイリスの座っていた場所は、未だ淡い熱を帯びている。
「俺が人間だったらなぁ……」
ぼそりと俺はひとりごちた。人間ならば、ボニファーツ伯からアイリスを奪い去る事ができるだろう。しかしそんな事はできないのだ。
残酷な現実から逃げるように、俺は目を閉じた。
お読みいただきありがとうございます。
レビュー、感想等よろしければ書いてくださると幸いです。
 





