第六十九章 マグロで一番美味しい部位
リビングに戻ると、アイリスが仁王立ちで俺たちを睨んだ。
「みんなしてどこに行っていたのよ!?」
どうやら、彼女が自室から出てきた時、俺たちは釣りをしていたようだった。
「デッキにて釣りをしておりました」アイリスに跪き、オリヴィエは言った。「大物が釣れましたので、夕食がとても豪華になりますよ」
「大物?」
アイリスが尋ねる。
「マグロでございます」
「本当?!」
声色が嬉々としたものに変わった。
「シャルルが釣り上げたのですよ」
オリヴィエが言うと、
「ありがとう、シャルル」
アイリスは微笑んだ。
クォーツ国でも、マグロは高級品だった。特に新鮮なものは、王侯貴族にしか振る舞われる事はなかった。アイリスは王族だから食べていた筈だ。そうか、旅に出てからならば、久しいものだろう。
俺たち庶民はマグロ……ましてや魚すら食べた事のない者も多いのだが。
夕食は、コックの言っていたとおり、皆の待っていたマグロ料理が並べられた。刺身から始まり、カツレツ、頭部の煮物、カルパッチョ、その他にも、色々と細々とした料理が皿に乗せられている。
「マグロのお刺身なんて、いつ以来かしら」
うっとりとアイリスは言う。それから、岩塩を降られた赤身の刺身を箸で取り、口に運ぶ。
「美味しい!」
と、幸せそうに言った。
この時代はトロは脂が多すぎると、俺たちに回ってくる。俺はトロの美味さを知っているが、皆は知らないだろう。余り物のように、隅で縮こまっていたトロを箸で掬い、醤油を付けて食べる。上質な脂身が美味い。それに、微かに甘味がある。俺が美味しそうに食べていると、
「美味しいの……?」
と、アイリスが聞いてきた。
「俺は好きですが、こんな庶民の食べ物が姫様のお口に合うかどうか」
「食べて見なければわからないでしょう?」
うっ圧が強い。物凄い好奇心だ。
「では、後悔されても知りませんよ……」
「わかったわ」
アイリスは俺に倣い、トロに醤油を付けて食べる。トロの所為か、既に醤油の表面は脂が浮いている。問題はアイリスだ。彼女は無言でトロを味わい、やがて咀嚼した。しばらく黙っている。やはり、庶民の味は大人過ぎたか?
「姫様?」
と、アイリスの隣にいたフランシスが声をかける。
「──お」
「お?」
「美味しいぃぃいいっ!」
凄い声だ。
「なにを食べさせた!?」
その声に、マグロの頭部をつついていたオリヴィエがおどろいて俺を見た。
「ト、トロ?」
俺は頭を掻く。
「なんてジャンキーなものを食わせるのだ」
と、オリヴィエが詰め寄ってくる。
「ごめんごめん」
俺は苦笑した。
「トロ? この食べ物はトロと言うの?」
そんな俺たちを横目に、アイリスは呑気に質問する。
「はい、そうです」
オリヴィエと声が重なる。
「国に戻ったらお父様に頼んでみましょう……」
うっとりとした声だ。余程気に入ったらしい。
「残りは食べられますか?」
と、オリヴィエが尋ねると、
「いいえ、シャルルの言う通りこれは庶民の食べ物ね。王族が独占してしまったら、あなたたちに届かなくなってしまうわ。私たちは少しいただければそれで良いのよ」
アイリスが言葉を継いだ。立派になったものだ。
「わかりました」と、オリヴィエは俺を再び見遣り、「シャルルお前独占しようとしていただろう」
あ、ばれた。
「そ、そんなことないさ、隊長」
「言い淀むところが良い証拠だ」
腰に手をやり、オリヴィエは俺を睨み上げる。それに負けて、俺はもう一切れトロを貰うと、アイリスの向こう側に座る銃士たちへと、トロの乗った皿を渡した。
「頭の煮物もくれよ」
と、俺は言った。
「了解、回してくれるか? フランシス」
マウロは言った。
「わかった」
アイリスの前をマグロの頭部が通り過ぎる。目玉と目が合ったようで、アイリスが一瞬小さな声を上げた。
「目玉、もらって良いか?」
俺は問う。
「良いぞー、食いしん坊」
皿を見ると、ほとんど食べられている。食いしん坊はどっちだ。
箸で目玉を掬い上げる。ぷるぷるしている。口に運ぶと、ほとんどぷるんとした食感が支配する。それに、臭み抜きに使った生姜の味がするのだ。美味いとしか言えない。神様に感謝だ。
閉めにと運ばれて来たあら汁も、ルチェ諸島で食べたものと違う美味さだ。どちらも捨てがたいが、俺としては今回のあら汁の方が好きだ。それに白米があると最高なんだがなぁ……しかしそんな贅沢を、この世界で求めてはいけない。が、ルチェ諸島で立ち寄った土産物屋で見かけ、お取り寄せについて聞いたところ、世界のどこにでも運ぶと言うので、もしかしたら、クォーツ国で米が食べられる日がくるのかもしれない。
それだったら幸せだな、そう想いながら、俺はあら汁を飲み干した。
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