第五十五章 川下り
あくる日、とりあえず回復薬を飲む。苦いがその苦味が快感になりつつある己が怖い。無事、昨夜寝たものと同じ寝台だ。アイリスも、オリヴィエもいる。
「良かった……」
と、俺は小さく呟いた。
「おはよう、シャルル」
フランシスの声が聞こえる。それに反応して振り向けば、彼が部屋の入口に立っていた。
「あぁ、おはよう」
俺は片手を上げる。
「傷は?」
「大分良い感じだ」
「そう、良かったね」
と、俺の寝ていた寝台へと腰かけた。尻尾がゆらゆら動き、シーツにシワができる。嬉しいようだ。
「おはよう──って、なんでお前がここにいるのだ」
目覚めたオリヴィエが目を見開いた。
「んー、気分?」
と、フランシスは指を口に添える。気分で他人の床に来ないでください。
「マウロはどうした?」
「まだ寝てるかも。でもそろそろ起きると思うよ」
隣の壁から、んー、と言う呻き声が聞こえる。これはマウロさん起きましたね。
フランシスは寝台から立ち上がり、アイリスの肩を軽く揺さぶった。
「姫様ー! 朝だよー」
「眠い……」
目を擦りながら、アイリスは起き上がった。髪の毛がひょんひょんとはね上がっていて可愛い。彼女は荷物からブラシを取り出すと、あくびまじりに髪をとかし始める。癖っ毛なのか、髪はとかしたあとから再びこうべを上げる。
「お水でもお持ちしましょうか?」
見かねたオリヴィエが、助け船を出した。
「あ、ありがとう」
己の髪の癖を知っているらしく、恥ずかしげにアイリスは言った。
オリヴィエが水を汲みに行くと同時に、マウロが部屋に入ってくる。
「起きたら誰もいなかったからな。心配になって」トラウマわかる。「で、どうするんだ?」
「どうするって?」
と、俺は尋ねる。
「今後の事だよ。早く帝都を出た方が良いんじゃないか?」
あの皇子の気がいつ変わるかわからんし、と、マウロは言った。
「確かにそうね……」アイリスが己を抱き締めた。姫様とは言え、やはり18の少女なのだ。恐ろしい体験をしたに違いない。「ここにいたら、皇子を殺しかねないわ」姫様怖いです。「だから、新しい土地に行きましょう」
「お? なにか決まったのか?」
水の入った桶を手に入ってきたオリヴィエが首を傾げる。
「えぇ、次の土地について」
アイリスは桶を受け取り、言った。ブラシを水に濡らし、髪をとかし始める。なんとか整った様子だった。その時、
「はいはい、みなさん朝食をお持ちしましたよ」
店主が部屋に入ってきた。両手に抱えられたのは、ひよこ豆のスープと、コロッケ、そうして薄いパンだ。
コロッケを、パンに挟んで口に運ぶ。
パンの中で弾けるコロッケは、香辛料が使われ、エキゾチックな風味だ。揚げたての為、猫は辛いのだが、それもまた旅の醍醐味なのだろう。
「揚げたてで美味しいわ」
と、コロッケへ手を伸ばし、アイリスは笑う。良いなぁ、人間。
朝食を食べ終えると、早々に荷物をまとめ、オリヴィエが宿泊費を払っている間に、馬車へ荷物を詰め込む。そうして馬を馬車に繋ぎ、外に出た。ちょうどオリヴィエと同時だった。どうやら地図を貰ったらしく、羊皮紙の巻物を片手に持っている。
「地図かい? 隊長」
マウロが言うと、彼は頷いた。
「あぁ。迷惑をかけたお詫びだと、この大陸全体のものをくれたのだ」
「へぇ、凄いじゃねぇか」
「馬車の中で行き先を決めよう。御者はシャルル、やってくれるか?」
「わかった」
と、俺は答えた。本当は会議に参加したかったが、仕方がない。いつまでも宿の前で居座るのも迷惑だろうと、皆が乗り込んだのを確認し、俺は手綱を握った。
ガタゴトと音を立てて、再び馬車は走り出す。市場を避けて、住宅街から外に出る事にした。砂が目に入らないよう、フードを目深に被る。もうすぐ外の砂漠に入る。熱が籠るが、やはりフードがなければ砂嵐で前が見えなくなってしまう。
「どこに行きましょうか」
背後からオリヴィエの声がする。
「この、帝国領を越えた先にある、西のロッコと言う国に興味があるわ」
大丈夫かしら、と、アイリス。
「わかりました」
オリヴィエが垂れ布をめくり上げ、
「このまま川に沿って真っ直ぐ行ってくれ。船着き場が見えてくる筈だ。そこから一気に川を下るぞ」
「了解、隊長」
と、俺は馬鞭を振り上げた。
帝都からさほど離れていない場所に、船着き場は存在した。
「馬車も乗る事ができる船はあるか?」
と、前の垂れ布をめくり上げ、オリヴィエが尋ねた。
「えぇ、ありますよ」そう言って店主は受付から出て来、大きなカヌーを川に浮かせた。「馬車から降りてカヌーにお乗りください」
「わかった」
と、俺は答え、御者席から降りる。そうして、全員が降りた事を確認すると、手綱を持ち、ゆっくりと桟橋から馬と馬車をカヌーに乗せた。軽く沈む感覚がある。正直に言うと、少し怖い。
「ロッコの近くまで」
と、オリヴィエは金貨を渡している。既に彼以外は皆船に乗り込んでいて、
「やっぱり水の近くは涼しいねぇ」
などと、俺の腕に抱きつきながら、フランシスは言っている。
「そうね」
と、アイリスが答える。助けてください。
そこにオリヴィエも乗り込み、櫂を持った船員が最後に飛び乗った。
「ナイルは暴れ川だからね。少し揺れるかもしれないが、振り落とされないように気をつけて」
船員の言葉に、この川が改めてナイルと言う名の川だと知った。右側を見ると、今まで滞在していた帝都が目に入る。さらば、もう来る事のないだろう国よ。
しばらく船を走らせる事、太陽が真上に昇る時分には、ロッコ国付近の船着き場にカヌーは到着した。上るのは大変だが、下がるのは容易い事なのだろう。
「もう金は払ってある。このまま降りて良いぞ」
と、オリヴィエは言った。まず、馬と馬車を降ろす。冷静な馬で、俺の指示にすぐに従ってくれた。
その後に、アイリス、フランシス、マウロ、オリヴィエの順にカヌーから降り、束の間の船旅は終わりを告げた。
治まった砂嵐の向こうに、屋根が集まった場所がある。恐らくロッコ国だろう。御者は再び俺になり、馬車は走り出した。
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