第五十四章 メル・ハプナ皇子三
雲の上を渡る夢を見た。ふわふわとして心地が良い。見下ろす地上は東京の景色で、そのまま落ちてしまえば、隼人に戻れるかのような気がする。飛び降りる事もできる。絵美、お前の顔が見たい。触れたい、できうるならば、口付けしてみたい。
しかし、今は護るべき人ができてしまった。まだ、そちら側に行く事はできない……。
──俺は静かに目を開けた。床はふかふかとした布団で、目前には、泣きそうなアイリスの顔がある。俺はなにか悲しませるような事をしただろうか。彼女は俺が目覚めた事を知ると、
「シャルル! 良かった!」
抱きついて来た。あれ? これいつもフランシスにやられてなかったか? 辺りを見回すと、銃士たちは皆いるフランシスの方に視線を移すと、彼はそれに気がついたのか、
「今回ばかりは姫様に譲ったよ」
と、言った。
「ここは?」
俺は起き上がる。脇腹の傷がまだ疼く。寝かされていたのは、天蓋付きの寝台で、クッションが端に山積みにされている。
「私の部屋ですわ」
縁に腰かけたアージュが言った。
確かに、先ほど入った部屋と同じものだ。そうか、俺はメルに刺されたのだ。
日は傾き始め、俺がどれ程眠っていたかを物語るようだった。
「すみません、褥を──」
「大丈夫ですよ、気にしないでください」アージュは俺に触れた。「酷い傷だわ……メルは言っても聞かないだろうし、一度社会勉強として牢獄に入れてしまおうかしら」
確かにその通りだ。ついでに刑罰も受けるべきだと思います。
未だアイリスは俺にしがみついたまま、涙を流している。
「そんなに泣かないでください」
思わず頭を撫でていた。
「生きてる、シャルル……」
言葉になっていない。
「生きてますよ、大丈夫です」
「ごめんなさい、私の所為だわ……」
「違いますわ、アイリス様」
と、アージュが言葉を継いだ。
「悪いのは我が子です。それに、そんな風に育ててしまった私にも罪があります」
だから涙を拭って、と、言った。
「動けるか? シャルル」
逆光で見えなかったが、その声はオリヴィエだ。
「なんとか……」
俺が答えると、
「石の寝台より、絹の褥の方が傷は痛くないか」
「大丈夫だ、宿に戻ろう」
だから肩を貸してくれ、と、俺は言う。彼は頷き、俺の脇に手を回した。起き上がると、やはり少し痛い。
「シャルル、本当に大丈夫なの?」
アイリスが横で言った。
「大丈夫ですよ、元気百倍です」
本当は冷や汗が背を伝ったが、俺は拳を作り、腕を振り上げた。宿には回復薬がある。それも目当ての一つだった。
一歩踏み出してみる。少し痛みが走ったがさほどでもない。戦場では、こんなものは傷の一つにもならないだろう。
アージュの部屋を出、門へと向かう。
「本当に平気か?」
マウロが声をかけてくる。俺は小声で、
「まぁまぁだな……回復薬の力を借りるよ」
と、言った。
「俺がスライムを潰しておいて良かったな」
「そうだな、ありがとう」
やがて門まで辿り着くと、メルが腕を組み、こちらを見ていた。こいつまたなにかやるつもりか? オリヴィエの手がレイピアに伸びる。しかし、彼は申し訳なさそうに、
「すまなかった」
と、言った。アージュに散々怒られたな。そうしてアイリスを見ると、
「アイリス、女を産め。俺か息子に嫁がせる」
お互いの国の発展の為に、と、続けた。
「わかったわ。気の強ーい女の子を嫁がせてあげる」
アイリスは答えた。そうして視線を前に向けると、歩き出した。
通常の二倍くらいの遅さで宿に着くと、急いで俺は竹筒に入った回復薬を口にした。うへぇ、苦い。いや、良薬口に苦しだ。ここは耐えよう。傷が癒えて行くのがわかる。回復薬強し。
「大丈夫ー?」
と、薬を渡したフランシスが言った。
「あぁ、良くなってきた」
「旅人用の回復薬だからね。下手な高級品よりも良く効くのさ」
そうなのか。ヴェストを脱ぎ、脇腹を見遣ると、何らかの葉と包帯が巻いてある。それを取り去ると、傷の跡すら消えていた。再び言うが、本当に回復薬強し。
「あぁ、良かった……」
傷のあった辺りを見、アイリスが泣き出しそうな声を出す。
「はいはい姫様泣かないでー、シャルルは死んでないから」
フランシスは俯いた彼女の肩を叩いた。きっと俺よりもアイリスの扱いを知っている。
すると、店主があらわれ、
「皆様ご無事でなによりです」
と、料理を運んでくる。
「今日は薬を盛ってはいないな」
オリヴィエが問い詰めると、
「いやですよ旦那、そんなもの入っている訳ないじゃないですか」
店主は言う。
「では、今ここでこの料理を食べられるか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。昨日は特別皇子さまの命令で……あっ」
「ほう」
やっぱり薬盛られてたんだ。
「やはり外で食べるか」
オリヴィエの言葉に、店主は慌て、
「本当になにも入っていません、折角作ったのですから食べてください」
「店主がここまで言っているんだ、隊長。宿で食べよう」
マウロはオリヴィエの肩を叩く。
「まぁ、そうだな……わかった。貰おう」
「ありがとうございます……!」
店主は皿を置くと、土下座するほど頭を下げた。
夕食を終えると、再び二手に別れて眠る事になった。
今日は沢山の出来事がありすぎて疲れてしまった。未だ微かに疼く傷を上にして、俺は瞼を閉じた。
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