第四十三章 シャルルの葛藤
夕食はステーキが出た。焼き加減は久しぶりのレアで、ありがたく俺の腹の中へと納まって行った。そう言えば、この世界に来てからステーキなんて食べたか? まぁ、それは置いておいて、アイリスは食べた事がなかった様子で、子供のようにきらきらとした眼差しでステーキを眺めている。可愛い。
「姫様、早くしないとお肉が固くなるよ!」
アイリスの隣に座ったフランシスが言う。アイリスは恐る恐るナイフとフォークを手に取り、
「これで、切って食べれば良いのよね?」
と、声を震わせている。ご馳走を見て、目が眩んだようだった。
肉にナイフが入り、肉汁が溢れ出す。それが鉄板に流れ、ジュージューと良い音色が奏でられる。まるで卓上のオーケストラだ。それをソースに付け、口に運ぶ。途端、アイリスは笑顔になった。
「美味しい!」と、出された白ワインを一口飲み、「お父様やお母様にも食べさせてあげたいわ」
コックがにこにことそれを眺め、気合いを入れた。
「王族はステーキなんて食べないんだねー」
まぁ、貴族も食べないけどね、と、フランシスが口ずさむ。
「食事は大抵白いお皿に乗って切り分けてあるから……」
アイリスが呟いた。それはしょうがない事だ。
ステーキが片付けられると、デザートが運ばれてくる。アイスクリームだ。ミージ島産のグラスに乗せてあると、コックが言った。
手元に置かれたスプーンで、一口口に運ぶ。バニラのようだ。さっぱりとしていて、結構美味しい。ミージ島産だと言うグラスは、綺麗なものでで細かい切れ目が入っている。切子のようなものだ。
「綺麗だな、これ」
シャンデリアの明かりにグラスを翳して、マウロは唸る。
「持ち帰っていただいても大丈夫ですよ」
と、コックが言うと、
「お、そうか?」
「いや、旅の邪魔になるので遠慮しておこう。申し訳ない」
マウロのすぐ後に、彼の言葉を遮るかのようにオリヴィエが言う。
「ちぇっ、良いじゃんかよ隊長」
マウロが舌打ちする。
「割れたらどうするのだ。ただでさえ手の込んだものだ。割れて泣いても知らんぞ」
「泣かねぇよ」
と、やり取りをしている間に、グラスは片付けられてしまった。マウロが一瞬泣きそうな顔になった。
「そう言えば、今夜は特別な満月の夜らしいですよ」状況を宥めるように、コックが言った。「外は少し寒いようです。ホットワインなどご用意致しますから、デッキにてご覧になられてはいかがですか?」
特別な満月だって? 俺は胸が踊った。実は隼人の時は、天文学部の部長だったくらいだ。
「是非見てみたい」
俺は立ち上がった。しかし他の皆は酒が回り、ぐったりとしている。いや、その中で一人、アイリスは元気そうだ。
「私も見てみたい。良いかしら?」
と、言った。
ドキドキするとはいえ、仲間がいるのはありがたい。
「行きましょうか、姫様」俺はアイリスを促し、「ホットワインを二つ。よろしく」
と、コックに言って外へ出た。
やはりデッキは少し肌寒い。そう言えば、季節は晩秋に近付き始めているのだ。空を見上げれば、満天の星屑の中に、一際大きな赤い月が存在した。やはりそうだ。スーパームーンだ。
「綺麗……」
デッキの柵に寄りかかり、アイリスはうっとりとした声を出す。月明かりで彼女の顔に陰りが差すので──いや、やっぱりドキドキする。
「ホットワインをお持ち致しました」
コックがあらわれる。
「ありがとう──シャルルもどうぞ」
アイリスが受け取り、俺に手渡した。
「ありがとうございます」
ホットワインを貰うと、俺は礼をした。一口飲むと、葡萄の芳醇な香りが口の中に広がった。それと共に、シナモンも薫ってくる。ホットワインなど初めて飲んだが、美味しいものだ。
「大きな月ね。それに赤い」
アイリスが言う。
「スーパームーン、と言うのですよ」
俺は答えた。天文学部部長を舐めるなよ。そう言いながら、片手をアイリスの腰へと伸ばす。そして、彼女の腰を抱いた。
あ、と小さい声がして、やがて体重がかかるのがわかった。アイリスの腰は細く、触れた腕は冷ややかなものだ。心臓の鼓動が重なる。ドキドキする癖に、なぜ自分は今こんな大胆な事をしているのだろう。それは寒さの所為だ、そう言い聞かせる。ただ温めあっているだけだ。
アイリスはアイリスで、大好きなもふもふに腰を抱かれて幸せだろう。このままこうして二人で空を見ていては罪だろうか。
旅をずっと続けられれば……。
旅を終えれば、アイリスはボニファーツ伯と結婚するのだろう。そうして子供を成し、国を継ぐのだろう。俺を従者にするように国王に進言すると言っていたが、正直、二人の子供を見る勇気がない。
俺は、凄く臆病者だ。
「あ、ごめんなさい」
アイリスが慌てて俺の腕を離す。その顔は赤く染まっている。
「い、いえ、こちらこそすみません」俺は言った。「中に入りますか?」
「そうね……そうしましょうか」
アイリスも承諾し、リビングへの扉を開けた。
「おー、帰ったか!」
またマウロと煙草を賭けたポーカーをしているオリヴィエが、振り返った。フランシスの姿がない。既に自室に入ったのだろう。
「姫様もお眠りになられますか?」
赤い鼻でオリヴィエが丁寧に言った。
「眠い……寝るわ」
と、言ってアイリスはあくび一つ残して部屋へと消えていった。
「お前もやるか?」
と、オリヴィエはゲームを持ちかける。
「いや、大丈夫だ。ポーカーは自信ないんだ」
そう言って、俺も己の部屋のドアを開いた。スーパームーンの所為か、部屋はいつもより明るく感じた。
寝台の縁に座り、ブーツを脱ぐ。そのまま布団を掛けると、目を閉じた。
酔いに任せたとは言え、思わず腰を抱いてしまった。アイリスは俺の気持ちを勘づいているのだろうか。だとしたら、俺は旅から抜け、一足先にクォーツ国に戻らなければならない。
それも嫌だな……そんな事を思いながら、深い眠りに堕ちていった。





