第四十章 模擬戦
「あー、暇だー!」
ソファの背凭れに伸び上がりながら、フランシスは言った。
「トランプでもするか?」
オリヴィエが言うと、
「もう飽きたよー、運動不足になってしまうよ」
フランシスは首を振った。
「じゃあ、デッキに出て模擬戦でもするか?」
と、俺は提案した。すると三人はばっと俺を見、
「良いねぇ!」
そう言った。やはり、身体は定期的にでも動かした方が良い。と、四人でぞろぞろとデッキへと出た。
オリヴィエが船員に訳を話し、承諾を得る。
「誰からやる?」
と、フランシスは言う。
「俺は隊長とやってみたいな」
俺は言った。どうやら俺と一試合してみたかったらしいフランシスは少ししょげた様子だった。
「じゃあ、ボクはマウロとで良い」
そんな適当に言わないでください、マウロが悲しい眼差しで見ています。
「俺はレイピアでも強いんだぞ」
と、マウロが言っても、
「だってこん棒振ってるイメージしかないし」
フランシスは頬を膨らませる。
「まぁ、始めるか」
オリヴィエは言って、俺にレイピアの先を突きつけた。
「そうしよう」
俺も負けずにレイピアを抜く。そうして静かにオリヴィエの前に切先を向けた。
お互い気合を入れ、レイピアを突く。カンカンと剣のぶつかり合う音が響く。オリヴィエの剣先が頬を掠め、数本の毛が散るのが見えた。さすが隊長。しかし俺も負けてはいられないぞ。
と、彼のレイピアのナックルガードに向かって、己のレイピアを突いた。
カンッと言う音がして、オリヴィエが一瞬よろめいた。そこをついて、一気に攻め立てる。倒れるかと思いきや、やはり腐っても銃士隊の隊長だ。すぐに持ち直して、再び俺へ突端を向けた。布の破れる音がして、チェニックに切れ目が走った事がわかった。貴重なチェニックだ。あとで縫ってもらうからな。
切れ目を入れてしまった事に、オリヴィエは刹那臆した様子だった。それをもチャンスに、俺は彼のレイピアを弾いた。音が鳴り、レイピアが転がる。それと共に倒れた彼にレイピアの先を突きつけた。
「容赦ないな」
起き上がり、オリヴィエは俺を見る。
「隊長だってそうだったじゃないか。チェニックをどうしてくれるんだ」
「すまん、縫うよ」
「よろしく」
俺は笑った。
「すごーい! やっぱり強いね」
フランシスが拍手する。
と、その時、上から見張りの声が響いた。
「海賊だー! 北東の方角にマストが!」
「また出たのか……」
その声に、オリヴィエは肩を竦めた。
北東の方角を見ると、確かに、黒い髑髏付きのマストが近付いて来るのがわかった。唯一違うのが、向こうから砲弾を撃ち込んでこない事くらいだろうか。
「船を乗っ取る気なのか?」
オリヴィエもそれに気がついたのか、口早に言った。
「スクリューを回せ! 最大にだ!」
船長の声が響く。しかし海賊の方も全力で近付いて来、追い付かれてしまった。バンダナを頭に巻き、シミターを片手に持っている。遭遇するのは二度目だが、今回の海賊の方がザ・海賊と言う感じだ。
「どうする?」
と、フランシスが尋ねる。
「当たり前だ、向かいうつさ」
オリヴィエが言った。
やがて海賊船から同じように板を渡され、海賊たちが乗り込んでくる。
「我々が食い止める! 船員の方は中へ!」
オリヴィエは声を張り上げた。
その言葉に従い、デッキの上には海賊と俺たちだけになった。
「リビングへのドアは死守するぞ」
「わかってる、隊長」
オリヴィエと背中合わせになり、海賊たちの胸元にレイピアを突きながら、俺は言った。アイリスだけは護らなければならない。
フランシスも、相手の心臓を的確に狙ってレイピアを突いている。マウロはと言うと、珍しくレイピアを手に戦っている。それが案外強い。こん棒を振り回すだけじゃなかったのか。
「た、退却ー!」
海賊船に残った船長らしき男が叫ぶ。俺たちの乗った船の上で生きている者が慌てて瀕死の仲間を連れて逃げ帰る。去るものは追わず。俺たちはなにもせず、その姿を見ていた。
そうして海賊船が遠ざかるのを見ていると、
「ありがとうございます……」
恐る恐る出てきたこの船の船長が俺たち一人一人の手を握り、感謝の言葉を口にする。
「それほどの事でもない」オリヴィエが言った。「それよりも、この惨事を片付けなければいかん」
「死体だけ海に捨ててくだされば、飛び散った血などのデッキの掃除は致しますので……」
「わかった」
オリヴィエは頷いた。
その言葉に、俺たちは死体を片付け始めた。一気に乗り込んで来たので、今回は数が多い。うんざりするな。
「うんざりしていないで手伝え」
人の心を読んだような注意が飛ぶ。はーい、やりますよ。
死体を持って、海に投げ込む。簡単な作業だと思うだろう。生きている者は持ち上げられる時、ある程度筋力を込めているので、軽い。だが、死体となれば全ての体重がかかって来るのだ。それが、重い。
ほとんどマウロがやってくれた死体掃除を終え、俺たちは船内へと入った。
「まぁ、血だらけ……どうしたの?」
部屋から出ていたアイリスが不安げに尋ねた。
「ちょっと海賊が来まして」
「海賊?! 大丈夫なの?」
声が不安げなものにかわる。
「やつら逃げて行きました。ご心配なく」オリヴィエがアイリスに跪く。「あなたが無事で何よりです」
「私ったら護られてばかりだわ……」
「あなたを護る事が私たちの仕事ですから」
「そうね……そうよね……」
アイリスは少し俯いて、踵を返し部屋に戻っていった。
「馬鹿隊長!」アイリスがリビングから出ていったあと、フランシスが声を張り上げた。「姫様の気持ち考えてあげなよ! 折角旅にもボクたちにも慣れてきたのに」
「だが仕事は仕事だろう?」
オリヴィエは瞬きする。
「仕事でもこれは特別な仕事なんだよ! シャルル、姫様の所に行ってあげて! ボクはこの馬鹿を説教しているから」
──え、俺?
確かに姫様に一番懐かれているのは認めるが……。どうにでもなれと、俺はアイリスを部屋の扉を開いた。
アイリスは寝台に座り、海を見ていた。その横顔は絵にしたように美しく、声をかける事を一瞬戸惑った。
「シャルルー!」しかし、アイリスは俺を見るなり、抱きついて来た。白く細い腕が見える。それに、すすり泣いている。「私って、荷物なの? ただ世界中を引き回される、心のないぬいぐるみ?」
「そんな事はありませんよ」
俺はそっと言った。それと同時に回した手で、彼女の背中をぽんぽんと叩く。
「本当?」
「はい、本当です」俺は続ける。「確かに私たちに課せられた任務は、あなたを護る事です。しかし、それ以上のものも得る事ができます。それがお互いに尊い経験に繋がるのです」
「ありがとう……」アイリスは俺から手を離した。それと同時に、「血がついてしまったわ」
と、苦笑した。
「手伝いますか?」
「いいえ、大丈夫よ。それにあなたも血まみれよ」
あ、そうだった。
「着替えてきた方が良いわ。私ももう少ししたらリビングに出てくるから」
またトランプでもしましょう? と、アイリスは言った。





