第三十九章 カモメと朝食
次の日の朝、俺が部屋から出てくると、マウロが一人、煙草をふかしていた。
「よう、シャルル」
彼は片手を軽く上げる。
「おはよ」
あくびをしつつ、俺は言った。
「なんだ、まだ寝たりないのか?」
そう言うマウロも、俺に吊られてあくびを一つする。あくびが伝染するって本当なんだ。
「他の皆は?」
と、俺が聞くと、
「姫様がさっき起きてきて外に出てったな。あとはまだ寝ているんだろ?」
そんな答えが返ってきた。
アイリスは外か……カモメと戯れているのだろうか。
「なんだ、外に出てみるのか?」
マウロは言う。
「そうだな……」
俺は答え、外へと向かう扉を開いた。
デッキには、沢山のカモメが飛び交い、その中心に、アイリスがいた。腕にカモメを乗せ、楽し気に口を引き上げている。朝日に映えるその姿は女神のようで、思わず身体が動く事を制止させたようだった。
アイリスは俺に気が付くと、カモメの乗っていた腕を天へ伸ばし、カモメを離した。最後の一匹が指を離れた時と同時に、彼女は俺の名を呼んだ。
「シャルル」
「お邪魔でしたか?」
「いいえ、大丈夫よ」アイリスは頬笑む。その顔が絵美そっくりなんだよー、思わず絵美って呼びかけたくなるじゃないかよー。「おはよう」
「お、おはようございます」
緊張からか、返事がどもってしまう。
「別にもうそんなに改まらなくて良いのよ」
「しかし、姫様は姫様です」
俺は言った。髭がピクピクと動く。
「オリヴィエにも同じ事を言われたわ」
と、アイリスは苦笑した。少し伸びた髪が、潮風に揺れる。
旅を始めてどのくらい経つ? 一月くらいか? ふと自問自答してしまう。もうそれほど、俺はこの世界に馴染んだと言う事か。
前世の記憶も、少しづつ消え始めて来ている。小学校や中学校時代など、既にうろ覚えだ。しかし、絶対にこの先忘れないと言う自信がある記憶がある。
絵美を、初めて見た時のときめきだ。
「お二人さーん、朝ごはんだよー」
船内からフランシスの声がする。また呼ばれてしまった。
「はーい」
アイリスが返事を返し、二人で扉を開いた。
リビングのテーブルに、食卓ができあがっていた。運ばれて来る料理を起きてきた皆も見つめている。
トーストに、ポーチドエッグ。スープと、デザートにヨーグルトが付いてきた。
早速ソファに座り、トーストを手に取った。トーストは程好く焼けていて、塗られたバターの良い匂いが食欲を誘う。一口かじってみれば、やはり、香ばしいバターの香りが口の中で弾けた。
「美味しいねぇ」
と、隣に座ったフランシスが声をかける。
「そうだな」
ポーチドエッグと敷かれたベビーリーフをトーストへ乗せ、俺は言った。その間まま、口にいれる。卵黄の濃密な味に、オリーブオイルの風味がベビーリーフの苦味を良い具合に調和させている。美味い、そう思った。
スープも透明感があり、口に含むと、コンソメの良い香りがする。
「旨ぇ、旨ぇ」
初めて乗った船の食事の時と同じように、マウロは既にヨーグルトまで平らげていた。隣のオリヴィエの食事にも手を伸ばしかけ、腕を叩かれている。
「恥を知らんのか」
トースト皿を持ち上げ、オリヴィエは言う。
「孤児院育ちにそんなものはないね」
マウロはニヤニヤと笑う。
「育ててくれたお袋さんが泣くぞ」
俺が言うと、マウロは一瞬怯んだように思えた。そして、
「ごめんな、隊長」
そう言って、マウロはオリヴィエから退いた。
これは使える。いや、使用用途は不明だが。
「美味しかった!」
食後のコーヒーを飲みながら、アイリスは言った。コックは終始にこやかな眼差しでこちらを見ている。
「昨晩は急なお話だったので簡単なものしか用意できませんでしたが、今朝は食糧船から食べ物を仕入れたので、喜んでいただき幸いです」
フルーツパンチは簡単なものなのか? そんな下らない問いなど止めて、今この瞬間を楽しもう。
「美味しかった、ありがとう」
と、俺はコックに言った。
「そう言っていただけると嬉しいです」
コックは軽く頭を下げる。
この世界に来て美味しい物ばかり食べている。これもチートの力の一つなのか? それはわからないが、美味しいものは美味しいのだ。
食事が終わり、くつろいでいると、不意にアイリスが立ち上がった。
「どうかなさいましたか?」
と、オリヴィエが尋ねると、
「えぇ、ポワシャオ皇女に手紙を書きたくて」
彼女は答える。そう言えば別れ際にそんな約束交わしていたな。
「しかし、ここは海の上。どうやって出すのですか?」
再度、オリヴィエは問うた。
「伝書鳩が手紙と共に来たの」
良くここがわかったな。だから朝デッキでカモメに囲まれていたのか。あの中に鳩が混じっていたと言う訳か。
「わかりました。どうぞ、コテツにもこちらは何事もないと伝えておいてください」
と、オリヴィエが言った。
「わかったわ。書いておくわね」
そう言って、アイリスは船室に消えた。





