第三十四章 女将特製バスケット弁当
宿で夕食をすませると、皆疲れていたのか、ランプを吹き消し、一斉に床についた。俺は中々寝付けず、ごろごろとしていると、もぞもぞ動く影が見えた。影の主は寝台に座り、外を見上げているようだ。誰かと思い、身体を起こす。
アイリスが窓台に頬杖を付き、夜空を見ていた。彼女は俺に気がつくと、こちらへと視線を向けた。
「シャルル……?」
どうしたの? と尋ねてくる。
「いえ、中々眠る事ができなくて」
と、俺は苦笑した。
「そう。私も同じよ」アイリスは再び視線を外の景色へと戻し、「ねぇシャルル。ホームシックってかかった事はあって?」
ついに来ましたかホームシック。まぁ、まだ18歳の乙女なのだ、仕方がない。そう思った時、アイリスから真逆の言葉が紡がれた。
「私は不思議と感じないの。その上、クォーツ国では王女然としていなければならないとしていたのが、今アイリスと言う一人の人間となって、逆に清々しくて、気持ちも安らかでいられるのよ」そうきたか。彼女は答えを待っているのか、それともただの慰みを求めているのか。まだ俺にはわからない。「私、王女失格ね」
と、アイリスは続けた。
「そ、そんなことはありません──」
俺は思わず否定したが、良い答えが浮かばない。そう言っただけ、黙りこむ事しかできなかった。
「ごめんなさい、私、わがままだわ」月夜に、頬へこぼれ落ちた光が反射する。しかし、それを拭い、彼女は前を見た。「もう寝ましょう? 愚痴を言ってしまったわ」
と、布団に潜り込む。俺もそれに倣い、布団を被った。
翌日、女将手作りの弁当を朝食代わりに貰い、早めに町をあとにした。その理由は、
「また新しい大陸に行きたいわ」
と、言うアイリスの一言だった。どうやら、大陸と言うか、十数の島からなる、ルチェ諸島に行きたいらしい。ルチェ諸島は絹の道の出発点だ。
そこへ辿り着くまでの船が出ている港は、クコウではなく、別の港町らしい。遠いので、早く出発した次第だ。
「港の名前はなんて言うんだ?」
馬車の中、俺はオリヴィエに尋ねた。ちなみに御者はマウロがつとめている。
「サカーラと言うようだぞ」
と、彼は地図を指差した。かなり遠いな。それに、途中町や国が存在しない。これは……
「まぁ、野宿決定だな」
「そうだな……」
そんな俺たちの会話に、アイリスが入ってくる。
「野宿? やってみたいわ」
姫様、野宿はそんな興味本位でやるものではありません。今は馬車があるので、大分楽になると思うが。
「今回はこの前みたく急いでないから、夜も進まなくて良いからねー」
と、フランシスがあくび混じりに言った。
「そうね、あの時は私の所為で急いだのよね」
「隊長が止めなかったら、もー、姫様戦でも起こしかねない勢いだったんだからね」
彼は足をばたつかせる。
「フランシス、」
と、オリヴィエが注意する。フランシスは小さく舌打ちすると、オリヴィエから背を向け、俺にしがみついてきた。そうして、
「ボクは本当の事を言ったまでだよ?」
と、甘えてくる。
「もっとオブラートに包んで言うという事ができるだろう?」
彼の首元を持ち上げ、俺は言った。すると彼は心地好さげな顔で、
「ここ、気持ちいい。もっとやって」
などと言う始末だ。俺が呆れてオリヴィエを見ると、彼は肩を竦め、首を振った。好きにさせとけ、恐らくそう言っている。しかし困るのは俺の方だ。上手く動く事ができないのだから。
「とりあえず、朝食の弁当でも食うか」
と、オリヴィエは大きなカンパーニュを取り出した。蓋代わりの厚い皮を取ると、中身がくり貫かれていて、その間にサンドイッチが綺麗に並んでいる。彼はその中のサンドイッチをいくつか蓋に乗せ、御者のマウロに手渡した。
「ありがとさん、隊長」
前方から声がした。
さぁ、食べてみよう。サンドイッチは卵やツナ、ハムチーズなど、案外レパートリーに富んでいる。卵を手に取り、口へと運ぶ。バターの風味が利いていて中々美味い。卵には厳しい俺だが、これは今まで食べてきた物の中で、かなり上位に入る。恐らくまだゆで卵が温かい状態で、皮を剥き、バターをその熱で溶かしたのだろう。通りすがりの旅人にそこまでしてくれるなんて、なんて優しいのだろう、涙がでちゃう。
「美味しいね」
まったりとフランシスが言った。そう言えば、宿の隣はパン工房だったな。さすが古くからある店だ、それぞれそれだけの物や、サービスで今まで稼いできたのだろう。
後ろの垂れ布から覗いた地面は、草原から砂地になっている。地図からすると、この先に砂漠があり、サカーラの港はその向こう側にあるようだ。
「砂漠に入る前に馬に水を飲ませたいな」
と、マウロが言う。
「そうだな……ここで一旦休むか」
オリヴィエは答えた。そうして隅にあった桶を二つ持ち出し、馬車の中に置かれている樽の中の水を注ぐ。ある程度水が溜まると、
「シャルルも持てよ」
と、水の入った桶を持たされた。
先にオリヴィエが下り、俺は桶を手渡す。二つとも桶を下ろすと、俺も馬車を下りてその一つの取手を持った。これがまた重い。
「大丈夫かー?」
既に馬の方まで歩いていたオリヴィエが声をかける。
「なんとか大丈夫だ」
俺はそう言って、馬まで歩いて行った。
馬は水に飢えていたようで、桶に顔を突っ込んで水を飲んでいる。
「そろそろ砂漠に入る。御者は俺が代わろう」
と、オリヴィエが言うと、
「大丈夫だ。心配すんなよ、隊長」
マウロがオリヴィエの背中を叩いた。





