第二十六章 ポワシャオとアイリス一
確かに宿の前に馬車が止められている。扉の近くで壁に寄りかかっていたオリヴィエが、俺を見た。
「フランシスに饅頭を持たせて、今までなにやってたんだよ」
やばい。結構お怒りだ。よく見れば、辺りは宵闇に飲み込まれ初めている。
「ひ、人助け?」
「人助けぇ?」
訝しげに彼は俺を見上げた。
「泥棒って聞こえたから、思わず追いかけてしまって……」
「それで?」
「捕まえたんだが、その荷物の持ち主がこの国の第三皇女だったんだよ」
「ほぅ」
オリヴィエの瞳が、興味深げに煌めいた。
「で、礼がしたいから、明日皆で城に来てほしいって……」
「わかったよ。部屋に入ったら姫様に言ってみると良い」
きっと喜ぶぞ、と、宿の扉を開いた。目前にある受付の隣には、赤いランタンが灯されている。廊下は赤一色の壁に、柱も深紅に塗られていた。オリヴィエに続いて黒い格子が隠す階段を上り、直ぐ近くの部屋の戸を引いた。
「もうキミの分はないよ」
と、フランシスは怒ったように言った。冷めきった角煮饅頭には興味がなかったので、食べてくれていたようで良かった。
「ごめん、思わず飛び出してしまって」
俺は髭を動かした。
「ひったくりみたいだったけれど、無事に捕まえられたの?」
寝台に座ったアイリスが首を傾げる。よし、今が言い時だ。
「はい。それで、その荷物を盗られたのがこの国の第三皇女ポワシャオ様で、礼がしたいと明日城に呼ばれまして……」
「それは本当?!」
アイリスの声が喜びに変わるのがわかった。そう言えば王に謁見したいとか言っていたな。アイリス姫とポワシャオ皇女……中々良い友人になるのではないだろうか。この出逢いは将来的な事にも関わって来るのだろう。アイリスが王位を継いだ時、きっと力になってくれる筈だ。
「第三皇女のポワシャオ様ね……逢うのが楽しみだわ」
と、アイリスが呟く。
ここで戸が叩かれ、夕食が運ばれてきた。部屋にランプが灯され、薄暗い部屋の中、食卓が始って行く。蒸籠から取り出されたのは、エビ餃子だろうか。皿に乗ったアヒルの丸焼きを、皮だけ削ぎ落として行く。蒸した薄餅にそれを乗せ、ネギや胡瓜を加え、タレをつけ巻いたものが差し出された。これはいわゆるクリスピーダックか。初めて食べるかもしれない。他にも炒飯や、エビチリなど、ここで食べられると思っていなかった料理が出され、少し戸惑う俺だった。
「これは美味いな」
クリスピーダックを口にし、マウロは言う。俺もそうだ。
オリヴィエが宿代にいくら支払っているか知らないが、今まで食事に苦労した事はほとんどない。これも行き倒れて、スライムに飲み込まれた旅人のお陰だろうか。
「だろう」
ニヤリとオリヴィエは微笑する。
「家で世界中の料理が出たと思ってたけど、これは初めて食べるかも」
と、クリスピーダックにフランシスが感動している。
アイリスは、共に出された紹興酒が気に入ったようで、抱えて飲んでいる。今度は部屋の中なので、宿まで連れて帰る心配はない。きっと、そのまま仰向けに倒れこんで眠ってくれることだろう。
「もう飲めない……」
と、それだけ言って、寝台に倒れこんだ。その手からすり落ちた杯と酒の瓶を、すかさず俺とオリヴィエがそれぞれ床に落ちる前に捕まえる。
フランシスが小さく拍手した。
「でも姫様、随分変わられたよね」
アイリスが眠りに落ちるのを見、彼は言った。確かに、肩の力が抜けたように思える。
「それだけ、俺たちを信頼してくれるようになったと言う事だろう」
と、オリヴィエは寝台に座り、腕を組んだ。
「まぁ、良いことじゃないか」身体を伸ばし、マウロが言う。「シャルル、お前なんかどう思う?」
「俺?」
思わず俺は己を指差した。
「前世とは言え恋人にそっくりな姫様に、結構懐かれてるじゃないか」
痛い所を突きますね、マウロさん。
「そうそう、興奮するの?」
フランシスがニヤニヤしながら俺を見る。変態猫め。
「だんだん区別をつけられるようになったよ」
俺は言った。確かにアイリスは絵美に似ている。だが、絵美ではないのだ。
そうして、俺はアイリスを護る立場にある。このまま旅が終わり、アイリスが結婚したとしても、彼女が死なない限り、護り続けよう。
そう、思えてきた。
「まぁ、いいや」
と、フランシスは寝台に横たわった。
「寝るか」
オリヴィエが言う。
「そうだな」
俺とマウロは頷き、己の近くに置かれたランプを吹き消した。
途端、辺りは闇に包まれる。猫は夜目がきくので、辺りを普通に見る事ができるが、人間では月や星の明かりを頼りに生活できているのが本当に凄いと思う。
新大陸、三日目は、こうして幕を下ろした。
 





