第二十一章 ハネズ国二
キトの話によれば、数十年前ハネズ国は大国セキチク国の植民地だったらしい。それに反旗を翻した有志たちがあらわれ、セキチク国王の命を狙ったのだと言う。
しかし結局は密告者の手によって計画は失敗し、憤慨したセキチク国王の命令により、ヒネズ国は壊滅されたとキトは語った。アイリスの母とその親戚は、恐らく戦乱に紛れて大陸を渡ったのではないかと言う。
「あなたがハポン地方にいらしたのも何かの縁かもしれません。ただ、ハネズ国の名は他所では余り口に出されぬよう」
セキチク国は大国ですから、とキトは釘を刺した。
「わかりました。貴重なお話、ありがとうございます」
ただ、キトの肩の向こうの壁を見つめ、アイリスは言った。
「それでは、失礼いたします」
頭を下げ、キトは部屋から出ていった。
足音が遠ざかり、やがて消えた頃、いつまでも前を見たままのアイリスの肩へ手をかけようとすると、
「私はなにも知らなかった!」と、彼女は振り向き俺の肩を掴み、「お母様や、親戚のおば様、おじ様がどんな気持ちでいたのかを! 全く知らなかった! お母様が私に聞かせてくれた話、ハネズ国の誇りを、単なる興味本位でしか思っていなかったのよ!」
俺に抱きついても、その嗚咽が止まることはない。アイリスの涙が俺の体毛に沈んで行く。俺は思わず腕を回し、彼女を抱き締めた。胸が引き裂かれる思いだ。この感情の名前は、俺自身知らないものだった。
他の皆はなにも言わず、ただ、見守っている。
涙も枯れ果てた頃、アイリスは静かに俺の腕の中より離れ、ふらりと立ち上がると、俺たちを見回した。
「無様な姿を見せてしまいました。明日にもここを出ましょう」
どこか決意したかのように、その瞳は炎を抱いている。
「どこに向かうの?」
と、フランシスが言う。
「セキチク国に向かいます。そこで、王に逢います」
「止めましょう。今の姫様は感情で動いておられる」と、オリヴィエが立ち上がる。「王に逢って、どうなさるおつもりですか? もし、命を奪う事を目的としているのならば、我々はあなたをお止めしなければならない義務があります」
「なぜ祖国の恨みを晴らせない──」
アイリスがそこまで言いかけた時、オリヴィエの拳が彼女の腹を打った。倒れこむアイリスを、畳の上に寝かせてやると、彼は俺たちを見た。
「ハポン地方を早めに出よう。姫様が起きた場合、酷だが薬を嗅がさせてもらう」
「そうだね。ボクは賛成だよ」
フランシスが軽く手を上げる。
「俺もだ」
と、マウロは言った。
「賛成だ」
俺は頷いた。
そうとなれば、善は急げとばかりに宿を出、アイリスはオリヴィエが抱え、彼女の馬は俺が横につけて引っ張る運びになったが、
「なぁ、オリヴィエ」
馬屋で、俺はオリヴィエに声をかけた。
「どうせなら馬を返して馬車に乗り換えないか? 姫様も仮にも床があった方が眠りやすいだろうし、荷物が置ける。御者は代わる代わるすれば、負担も減るだろう」
「馬車か……」オリヴィエは少し考えてから、「そうだな」
と、言った。
こうしてアイリスを俺に預け、馬車の手配をしに行った。
「まさかルーツが途絶えているとはねぇ」
傍らに立ったフランシスが言う。
「セキチク国からの間者に別に狙われる事はないと思うが、その前に姫様が戦争を起こしそうで恐くてな」
と、アイリスを見る。眠る姿はまだ子供だ。
「待たせたな」その時、馬車の準備を終えたオリヴィエが駆けてきた。馬車は木製で、楕円に膨らんだ布の屋根付きだ。覗いてみると中々広い。「ついでにこの大陸の地図も買ってきた。ヨウシャン地方がここから近いな。そこに向かおう」
「了解」
馬車に荷物を積み込みながら、フランシスは言った。
「俺が最初に御者をやるよ」
と、マウロが名乗りを上げた。先程ゆっくり眠っていたらしいですからね。元気百倍なのだろう。
アイリスを馬車に乗せると、オリヴィエが用意したのだろう藁の上に寝かせる。寝付け薬もついでに預かった。最後に彼が馬車に乗り込み、
「マウロ! 飛ばして良いからなー」
と、言った。え、いや、マウロさんが飛ばすと大変な事になりませんか?
「了解だ、隊長」
マウロはそう言うと馬鞭を振り上げた。怯えて耳を立てたが、案外そうでもない。少しスピードの早い安全運転だ。
「シャルル、寝ておいた方が良い」
どこから持ってきたのか、掛布を俺に手渡し、オリヴィエは言った。
「明日の朝からの御者は任せたからな!」
妙に優しいと思ったらそう言う事か。
新しい大陸、二日目は、馬車の中で終わりを告げた。





