第二十章 ハネズ国一
遠くに見えていた城下町に着いた時、日は既に天辺にあった。町の前で馬から下り、堀に囲われた門の前から下ろされた橋を渡る。堀の中には水が張られていて、鯉がパシャンと跳ねた。
入り口から真っ直ぐに、城への道が敷かれている。すぐに宿の看板が目に入ったので、慌てて部屋を取った。
オリヴィエが代表して手続きをしている。
「馬を置いておきたいのだが、どうすれば良い」
その問いに、宿の受付の娘は笑みを浮かべ、
「馬屋がありますので大丈夫ですよ」
と、答えた。
「ありがたい」オリヴィエはこうべを垂れた。「あぁ、あと、この辺り──できればハポン地方に詳しい者がいれば教えていただきたいのだが」
「……ご老中のキト様が詳しいかと思います」
娘は少し思考したようだったが、己の中で納得がいったようで、顔を上げた。
「どこに行けばお逢いできるだろうか」
「まだお城で政の手伝いをしているかと」
「城に入るのは難しいのか?」
すると彼女はころころと笑い、
「キト様は私の祖父です。夕方になれば、帰ってきますよ」と、言った。「お部屋にてお待ち下さい。帰ってき次第お伝えしておきます」
「わかった。ありがとう」
こうして馬を馬屋に繋ぐと、俺たちは案内された部屋に入った。やはり畳敷だ。まだ暖かい季節なので炬燵はなかったが、これは寒くなると炬燵ができるのだろう。
「感じの良い匂い……」
フランシスが畳に寝転がる。
「藁の匂いね」
アイリスが座る前に、さっと座布団を下に敷いた俺は完璧だろう。
「でも、なんか変な感じー。靴を脱いで上がるなんて」
「それがマナーなんだよ」と、オリヴィエは呆れたように言った。「郷に入れば郷に従えと言うではないか」
「どちらにしても足が楽だから良いじゃあないか」
荷物を枕に寝転がるマウロが言葉を継いだ。寝る気満々だ。
まぁ、日が上ってから、天上に行き着くまで馬で駆けたのだ。疲労がたまっていてもしょうがないのかもしれない。俺もなんだか疲れてしまった。このまま横になれる。これが畳の良い所だろう。
「お、寝るのか? シャルル」
オリヴィエが振り向いた。
「ごめん、少し休ませてもらう」
「気にするな。キトと言う老中が来たら起こしてやるから」
いやその前に起こしてくれ。眠る姿を見られたくはない。そう言いかけた唇は、瞼と共に閉じられた。……
「──シャルル、」
名を呼ばれた瞬間目が覚める。窓から入る日は、赤く染まっている。まずい、寝過ぎたか。
「なんだ、起きたのか」
と、不思議そうな顔をして、オリヴィエが言った。
「あれ……キト老中は?」
「まだ来てないよ。耳が良いな、たまたまお前の話で姫様と盛り上がっていたのだ」
なんの話で?! 思わずオリヴィエの肩を掴み、引き寄せ囁いた。
「まさか隼人の事は言ってないよな?!」
「あぁ、言ってない言ってない」がくがくと肩を揺すられ、彼は答える。「四年前、お前が故郷から遥々都会に出てきた時の話だ」
「そ、そうか。ならば良い」
色々な意味で厄介な事があるので、特にアイリスの前では前世の事は余り話したくはない。こうやって人は、過去を忘れて行くのだろうか。
「こっちに来いよ」
と、マウロが手招きする。
「あぁ」
俺は立ち上がり、彼の隣に座った。その隣にはフランシスがいて、アイリスを囲うような形になっていた。フランシスは喜んで腕を絡めてくる。最近はもう慣れてきた。
「どんな辺境にこんなやつがいたのかってくらい強くてね、ディティエを一発で倒したのはいまだに記憶に新しいよ」
と、フランシスが言った。ディティエさん負けすぎでは?
その時──
「失礼します。祖父が戻りましたので、連れて参りました」
引き戸越しに娘の声がした。オリヴィエが立ち上がり、引き戸を引いた。
「さぁ、おじいちゃん、彼らが私が話してた猫さんたちだよ」
娘に導かれ、キトが姿をあらわした。白髪混じりの黒髪を背中で束ね、象牙色の肌をしている。額によったシワが、彼の歩んで来た人生を感じさせた。
「私がキトです。こんな辺境までようこそ、お客人」声は案外凛としている。「ハポン地方についてお聞きしたいとか」
「はい」アイリスが言葉を紡いだ。「私の母に、ハポン地方の血が入っているようなのです。そのルーツを知りたいのです」
「だからあなたは黒髪なのですな」キトは言った。「国はどこの国でしょうか?」
「西の大陸のクォーツ国と言う国ですわ」
「お母様のお名前は?」
「キキョウと言います」
「ふむ」
アイリスの言葉に、キトは首を傾げる。
「あの、」と、アイリスが言った。「ハネズ国と言う国が、なにか鍵を握っているようなのです」
すると、キトは急に目を見開き、アイリスへと近付いた。
「ハネズ国ですと?!」
「は、はい」
圧倒され、アイリスは一歩引き下がる。老中は悲しげな面持ちで、彼女を見た。
「悪い事は言いません。ハネズ国の事は諦めなさい」
「なぜ?!」
アイリスが声を張り上げる。
「もう、既に存在しない国だからです……」
キトの声は潤んでいた。





