第十八章 市場にて
夕飯は、オリヴィエの提案で市場にて食べる事になった。港の近く、トタン屋根が続く市場からは、エキゾチックな薫りが漂い、肉や魚の串焼きや、譲って蛸ボール、醤油の匂いは目や鼻を楽しませた。懐かしい匂いだ、言うなれば、祭りの時分の縁日のようなものだ。
適当に食べ物を買い、焼き鳥屋の側に設けられたテーブルと椅子に腰をかける。ただ席を借りるだけでは申し訳ないので、麦酒を頼んだ。
「姫様は飲めるの?」
注文する時、フランシスがアイリスに話しかける。
「お酒は嗜む程度なら……」
アイリスは言う。これは飲兵衛の証だ。
「じゃあ、麦酒を五つ」
と、オリヴィエが頼んだ。
「ねぇねぇ、何から食べる?」
麦酒がジョッキで運ばれて来、フランシスは声を弾ませた。
「まず乾杯してからだ」
「ちぇ、」
オリヴィエの言葉に、彼は小さく舌打ちした。
「それじゃあ、新しい土地に乾杯!」
「乾杯!」
と、掲げた杯を交わす。
一口飲むと、俺は早速串焼きへ手を伸ばした。美味い。目の端に、この店の焼き鳥を頼むマウロの姿が入る。
「美味しい!」
アイリスが喜びの声を上げる。右手に魚の串焼き、左手に麦酒を持っている。姫様、庶民にどっぷり浸かってらっしゃいますね。
宴もたけなわの頃、ふと耳をすませると、唄が聞こえる。見遣れば、フードを目深に被った詩人が、近くの出店の側で歌っている。これが噂に聞く流しと言うやつか。
「どうした? 流しが気になるのか?」
赤い鼻のオリヴィエが尋ねる。
「いや、大丈夫だ」
そう言えば宿を探すのを忘れていた。誰かがまともなうちに見つけなければ。
「おかわり!」
と、アイリスの声が聞こえる。声からして、すっかり出来上がっていらっしゃる。何杯目でしょうか。
隣を見ると、フランシスがテーブルに俯せて寝息を立てている。斜め前のマウロも、うとうととしている。
まともな者は俺だけじゃないか。
「そろそろ宿を探そう!」
オリヴィエに、俺は言った。
「お、おう?」一瞬なんの事かわからなかった様子だったが、このままでは野宿になるかもしれないと言う恐怖に、オリヴィエはハッと酔いが醒めたようだった。「今からあるか?」
「探してみよう」
確か、即身仏を見に行った途中の道に、宿屋を見かけた気がした。
「おい、フランシス、マウロ。起きるんだ。姫様ももう行きましょう」
と、オリヴィエが皆を起こしてくれた。フランシスは伸びを一つすると、起き上がった。ふらついたので俺が支えると、
「何? 夢の続き?」
と、言った。なんの夢なのかは聞かないでおこう。マウロはまだまだ行けると言う顔をしている。問題はアイリスだ。
「やだー、まだまだ飲み足りないぃ。無理やり引っ張って行くのなら父上に言いつけてやるー」
すっかり駄々っ子だ。オリヴィエが困った顔で俺を見る。何でも頼らないで下さい。まぁ、姫が一番懐いているのがいつの間にか俺になっていたからだろう。
「姫様、行きましょう」
と、俺が彼女の手を取ると、
「もふもふー! 抱き締めてー!」
自ら腕を絡めて来る。
「おい、何したんだよ」
オリヴィエが怪訝な顔を俺に向ける。
「な、なんでもない」
アイリスを抱き上げ、俺は首を振った。重くなったと思ったら、彼女は既に眠りに落ちていた。
俺の案内で、宿のあった場所を探す。
「あった、ここだ」
宿と書かれた巨大な提灯が掲げられていた。のれんを潜ると、蝋燭の明かりの中、女将と見える女性が、駆けてきた。
「いらっしゃいませ」
「夜分にすまない。部屋は用意できるだろうか? できれば五人眠れる広い部屋が良い」
「大丈夫でございます」
オリヴィエの言葉に、女将は恭しく答えた。よし、部屋も確保ができた。
案内された部屋は畳敷で、部屋の入り口でブーツを脱ぐよう俺は言った。
「お布団が敷かれていませんが……」
女将が不安げに呟くので、
「大丈夫だ。我々で敷く」
俺は静かに言った。
「わかりました」
女将は引き戸を閉じた。
「布団は?」
オリヴィエが聞いてくる。
「そこのふすまに入っているだろう。それを敷くんだ。俺も手伝うよ」
入り口付近にアイリスを凭れさせかけ、俺はふすまを引いた。思った通り、六組の敷布と掛布がある。
「これを、こう敷くんだ」
敷布を取り出し畳の上に敷き、俺は言った。
「わかった」
銃士の皆は己で己の布団を敷いた。アイリスの分は俺が敷いておこう。皆布団に潜り込む。俺はアイリスを寝かせ、布団をかけた。
こうして、最後に少し慌ただしかったが、東の大陸の一日目が終わりを告げた。
 





