第十五章 夜襲
夕食は、思った通りカツオ尽くしの食卓だった。どこから藁を調達してきたのか知らないが、藁焼きに加え、カルパッチョやステーキ、刺身まである。今にも涎が出そうだ。
「美味しそう!」アイリスは嬉しげに言った。「これ、シャルルが釣ったの?」
「まぁ、そんなところです」
俺は耳を掻く。先ほどの告白からか、アイリスが更に友好的になった気がする。もふもふは正義なのだろうか。
それにしても、ここのコックは腕が良い。良い時間を提供してくれたコック長を呼んで下さい! などと叫びたくなる程の美味さだ。早速手を伸ばした藁焼きを食べ、そう思った。これは満足して眠れそうだ。
そう思った矢先──船がぐらりと揺れた。料理が床に散らばる。勿体ない、そうは言ってられないか。
「なんだ?! また海賊か?」
壁に叩きつけられたオリヴィエが叫ぶ。
「船は見えないぞ?!」
マウロが丸窓を覗きこむ。
「きゃあ!」
「姫様!」
アイリスを腕に抱え、俺は辺りを見回した。フランシスは上手く受け身をとり、無事なようだ。
その時、船長が慌ててリビングへ飛び込んできた。
「クラーケンです! 巻き付いて来て離れません!」
「クラーケンだと?!」
船長の言葉に、オリヴィエがおうむ返しに問うた。脳内に、昔聞かされた神話が思い浮かぶ。クラーケン──海の王者蛸の事だ。
「俺が行く」
俺はアイリスをフランシスに任せ、外への扉を開く。オリヴィエが、あとから付いてきた。
「姫様の事はマウロとフランシスに任せてある。俺も一緒に戦うぞ」
「ありがたい」
扉を出た先には、船の先端を巻き込んだ巨大な蛸の姿があった。足がすぐ足元に迫る。巻き取られたら大変だ。俺はそれを避けながら、先端の頭へ向かった。
蛸は心臓が三つあるとどこかで読んだ気がする。エラに二つ、あとは本当の心臓が一つ。真水があればイチコロらしいが、今それを求める事はできないだろう。
見つけたエラの一つ目の心臓へマスケット銃を撃ち込めば、青い血が辺りに飛び散った。驚いたように、蛸の動きが激しくなり、船が揺れる。それを堪え、俺は二つ目の心臓に同じようにマスケット銃を放った。青い血が気持ち悪い。残るのは頭の奥にある本来の心臓だけだ。マスケット銃を使うか、レイピアで突き刺すか──悩みどころだ。
ふと背後を見遣れば、オリヴィエが足を切り落としにかかっている。レイピアでは切り落とせないので、あちらもマスケット銃を使っていた。
俺はエラから頭に登り、ぶよぶよとする上を進む。心臓がどこにあるかわからない。これは破壊的のあるマスケット銃に頼った方が良さそうだ。
「この辺り……かな?」
と、適当な場所を見つけ、銃を突きつける。
その時、蛸は最後の抵抗のようにその身を揺らした。バランスが崩れ、俺は夜の海へ投げ落とされた。
「シャルルー!」
オリヴィエが慌てて浮き輪付きの麻縄を、俺目掛けて投げ込む。冷たい海の中、必死にそれへと手を伸ばした。急いで掴まると、見ていた船員たちが引き上げてくれる。ありがたい。
「無事か?」
蛸足と格闘しながら、オリヴィエが尋ねる。
「あぁ、大丈夫だ。心配ない」
と、俺は再び頭の方へ駆けた。
「無理はするなよー!」
オリヴィエは声を張り上げた。
「わかってるー!」
俺も叫ぶ。そうして、もう一度蛸の頭へと登った。
よし、今度こそ──そう思い、トリガーを引いた。
当たったのか、蛸は声にならない悲鳴を発し、倒れた。滑り落ちるように甲板に戻ると、後ろから蛸の巨体が同じように落ちてきた。いまだピクピクと動いている。青い血や足が、甲板に広がっていた。
「た、倒したのか?」
恐る恐る俺はオリヴィエに聞いた。
「一応な」オリヴィエは血だらけの俺の姿を見て、「まさか始めから弱点に突っ込んで行くとはな。この血は勇者の証だ」
と、俺の胸を叩いた。
船長が駆けて来て、俺とオリヴィエの手を握った。
「さすがです! 乗船時のお約束を守って下さってありがとうございます」
「乗船時の約束って?」
俺が首を傾げると、
「あぁ。船に乗せて貰う事と引き換えに、何があっても必ず船を沈ませないと言う条件がな」
なんて恐ろしい約束を交わしたんだ。
まぁ、俺たちならばどんな敵でも倒す事ができるが。
その時、コックが近付いて来て、
「大味かも知れませんが、明日の朝食に出しましょうか」
クラーケンを?! 食う、だと?!
余りの突拍子のない発言に、俺たちは顔を見合わせた。
「お、美味しいのか?」
思わず聞いてしまった。
「例えどんな大きさでも、蛸は蛸でしょう。毒は毒消しと一緒に煮込みますので大丈夫かと」
とんでもないコックだ。
「あとの清掃はこちらでさせていただきます。銃士さま方は船室のリビングでゆっくり休んでください」
船長が言った。その言葉に従って、俺たちは船室への扉を開いた。
中では、散らばっていたカツオ料理はすっかり片付けられ、アイリスはフランシスと共にカップを傾けていた。匂いからして、紅茶だろうか。マウロは煙草を吹かし、彼女たちを見ている。
「大丈夫でしたか?」
顔を上げたアイリスが俺たちに駆け寄ってきた。
「姫様、今我々をお触りになられますと、血だらけになりますよ」淡々とオリヴィエが言った。「すぐに着替えます。お話はその後に……」
と、彼はリビングの隅でヴェストを脱ぎ始めた。それを見ている俺も、見ていられない姿だ。すぐ己のカバンを漁り、ヴェストとパンツを取り出し着替える。残っている汚れのない服はあとこれだけだ。明日にでも洗濯をしなければならない。旅に服は余り必要がないと言ったのは誰だ。
「良かった、二人とも無事で」
着替えた後、ソファに座った俺とオリヴィエを見、アイリスは言った。一度海に落ちたが、無事であった事に、俺自身も驚いている。あれは咄嗟に浮き輪を投げたオリヴィエと、引き上げてくれた船員のお陰だろう。
クラーケンに立ち向かった時、不思議と恐怖を感じなかった。むしろ、己の勝利する姿すら見えたのだ。
やはり、これが噂に聞くチートと言うやつだろうか。
などと俺が真剣に考え込んでいる間に、他の皆は楽しげに話に花を咲かせている。それは俺の話にもなり、慌てて話の輪の中に入った。
「シャルルが頭に登った途端、クラーケンが暴れ出してな。彼は海に投げ出された。急いで麻縄付きの浮き輪を俺が投げたのだ」と、オリヴィエは芝居がかったように話をしている。「でも感心したよ。船に乗ってすぐにまた、クラーケンに向かって行って心臓に銃弾を撃ち込んだのだから」
凄いだろ? と、続けた。
「すごーい、格好いい。さすがシャルルだね!」
と、フランシスは俺に抱きついた。今日は色々とありすぎて疲れてしまった。俺はフランシスを引き剥がすと、
「ごめん、先に寝る」
未練がましい眼差しの中、己の部屋に入った。室内は少し明るい。丸窓から外を見ると、フルムーン──満月だ。絵美が転校してきて初めての冬、放課後ハンバーガー店でデートして、帰りに見上げた空に浮かんでいたのも、確か満月だった気がする。あの頃が懐かしいかと問われれば嘘になる。しかし、もう隼人に戻る事はできないのだ。それに、今の立場を楽しみ始めている俺がいることも確かなのだ。
いつまでもそんな事を考えていられない。睡魔は容赦なく俺の身体を、寝台へと導いている。もう瞼が重い。それに従い、俺は布団を被った。
航海二日目の夜。波の音が、俺を眠りに導いた。





