第百二十一章 クレソンサンドは意外に美味しい
翌日、日が昇ると同時に、宿屋が用意してくれた弁当を持ち、俺たちは馬を駆けた。
少し曲がれば、俺の故郷のマーシ村が見える。それを刹那馬上で見、俺は再び前を向いた。ここは昔、友人たちと駆け回った土地だ。
前世の記憶は薄まりつつあり、既に隼人だった頃の母親の顔を、思い出せない。母親と言えば、揚げ鶏とシチューが得意な、悩み事は全て美味しいお茶一杯で解決すると思っている、優しい母猫しか浮かばない。
このままいけば、いつか己が隼人だったと言う事も忘れ、絵美の事も遠い追憶のようになるのだろうか。
それは、少し寂しいぞ……。
「どうしたの? シャルル」
「は、え?」
傍らを駆けるアイリスの声に、現実に引き戻される。
「なんだか、悲しそうな顔をしていたわ」
「な、なんでもないです。お気になさらずに」
俺は言った。
「そう」
なにか辛い事があったら言ってね? と、言われてしまった。そんなに辛い顔をしていたのか。俺は、
「申し訳ないです」
と、答える事しかできなかった。
「シャルルが姫様に心配かけてるー!」
フランシスが大声で言う。おいおい、それは大声じゃなくても良いだろう。
「なんだと……?」
ほらー、オリヴィエ隊長が睨んできたー。
「なんでもありません! 隊長!」
俺は声を大にして言った。
「本当に?」
「本当に本当です」
「信頼するぞ?」
そう言ってオリヴィエは俺から視線を反らした。
しばらく草原を行くと、立っている木を見つけ、オリヴィエは馬を止め、再び後方へと振り向いた。
「朝飯にするか」
「良いね」と、フランシスが言う。「もう腹ペコだよ」
マウロも賛成のように何度も頷いている。
アイリスはと言うと、
「そうね、食事にしましょう」
賛成のようだ。
早速皆でその木の元へ向かう。近くに来てみると、それは結構な大樹で、広い木陰が広がっていた。
心地の良い風が、吹き抜けた。
勿論シートなど持っていないので、草を絨毯に皆で弁当の入ったバスケットを中心に座る。バスケットは以前食べたような、パンをくりぬいて作られたもので、ゴミも出さずにちょうど良い。
バスケットの中は、くりぬかれた中身のサンドイッチのようだ。マスタードマーガリンの塗られたキュウリサンドや、クレソンサンド、タマゴサンドなどが詰め込まれていた。
「美味しそー」
キュウリサンドを手に取り、フランシスは言う。
「お、美味しいぞ」
既にタマゴサンドを頬張っているマウロが言った。
なら俺は、クレソンサンドから食べようか。
鼻を近づけると、クレソンの青臭い匂いがする。それを隠すのが、マスタードのつんとした香りだ。俺はためらいなくそれを口へと運んだ。美味い。口の中で、パンとクレソン、そうしてマスタードが混ざりあう。匂いだけでは青臭いかったクレソンも、パンとマスタードに抱かれ、青臭さが消えている。代わりに少しぴりりと辛い。
「美味しい」
と、俺は呟いていた。
アイリスはタマゴサンドを嬉しげに食べている。人の喜んで食べる姿は好きだ。特に、アイリスならば尚更だ。
可愛い娘が楽しげに食事をしている。うん、大好きだ。
「パンの耳だけでも美味いぞ」
と、バスケットの蓋を食べたオリヴィエが言った。
「本当か?」
と、皆で手を伸ばし、朝食はあっという間になくなってしまった。
「さて、行くか」
と、オリヴィエが立ち上がり、マントに付いた汚れを払った。
皆頷き、馬に乗る。
「今日はどこまで行けそう?」
と、アイリスがオリヴィエに尋ねている。
「夕方には港に着くでしょう」
オリヴィエは答えた。
まだ日は、天上に上がってはいない。
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