魔女キリアエルの処刑
堆く積まれた枝が、足元にあった。
遠く、広場の端からでも、その身体が見えるようにと、高く掲げられた柱。
括り付けられた身体は、後ろ手に縛られ、手足からはじわりと血が滲む。
煙で窒息することのないように、細心の注意を払って積まれた薪は、シェーベル猊下自らが指導したという。
長く長く炎がその身を、執拗に炙るように。
それは、残酷な執着。
そっと息を吐いて、真っすぐと前を見る。
シュレージェン。
険しい崖と、漆黒の森。広大な砂漠に囲まれた、過酷な地。
けれど、美しいその場所。
私の、故郷。
代々の巫女が、地母神イナンナの加護を綴ってきた。
私の代でそれが途絶えてしまうことを、申し訳なく思う。
ドミヌス教が興ったその正確な時期はわからない。
その名が広く世界に知られるようになったのは、ここ数十年のこと。
若き青年神官のシェーベルが、布教のためにこの地を訪れたのは、3年前のことだった。
シュレージェンの民は、当初、シェーベルを胡散臭げに見ていたと思う。民は、地母神である女神イナンナの、加護を素朴に信じていたから。そんな女神などいない、神は唯一、ドミヌスだけだ、と叫ぶシェーベルの主張は、この土地の者からすれば、とても奇異に映ったのだ。
それでも、家を与え食物を与え、演説する場を与えたのは、巫女がそれを許したからである。
間違っていただろうか。
冷遇し、追い出せば、今は変えられただろうか。
否、と私は思う。
シェーベルを追い出しても、次が派遣されてくるだけだったろう。
同じようなことが、他の辺境でも起こっていると、私は知っていた。
シェーベルは、青白い顔をした神経質な男だった。
もともとはどこぞの貴族のお坊ちゃまだったらしい。礼儀作法は洗練されていたが。丁寧な言葉と態度で、嘗めるように下から上へと動く目線が大嫌いだった。
「これはこれは巫女様。どちらへおでかけですか?」
気遣うような声音で言葉を紡ぎながら、その言には邪霊がつきまとう。神官という立場にいながら、それに、気づきもしない。術士ではあるのだろう。神の奇跡とやらの奇術を見せられたことがある。ある程度の実力がある者からみれば、おままごとみたいなもの。だが、良いパフォーマンスではあったようだ。
ドミヌス教は、王族と手を組んだ。
信仰することが法となり、義務となった。
王は、神に与えられたという土地を奪い、富を強奪した。
神の御名のもとに。
ドミヌス教は、商人と手を組んだ。
喜捨によって、罪は許され、特権が与えられた。
神の名を冠した水は、濁っていても聖水とされ、万病に効くと高値で売られた。
神の御名のもとに。
そして、民衆も。
お前たちは選ばれたのだと、天上の楽園は、お前たちのために門を開けているのだと。
何の保証もない甘言を受け入れ、自分たち以外を蔑むようになった。
そう、神の御名のもとに。
そして始まったのは、異端への蔑視、迫害、殺戮。
なんて。
なんて。
なんて。
人は愚かで、醜いのか。
「ケサーリ。リリスとエリスをお願いね。」
捕まった日の早朝。森の入り口。
寡黙な、月の民の使いはただ、黙って頷いた。
「ねえ、キリー、キリーも一緒に行こう?」
「・・・ごめんね、私は行けないの。」
魔物に襲われた隊商の、荷台から見つかった姉妹。手足は細く、その腕と足には、呪印の描かれた鉄の環があった。行く当てのない姉妹を、引き取って一緒に暮らした日々。不穏ではあったが、幸せだったと思う。
二人は、月の民に認められ、引き取られる。
間に合って、本当によかった。
かの土地も、決して楽園ではないと知っているけれど。
このまま、ここにいたら、この子達にまで災いがおよんでいただろうから。
「キリー!」
エリスは賢い子だ。勘もいい。私がどうなるかも、きっとわかっている。顔をくしゃくしゃにして泣いて、それから、手作りの護符をくれた。淡く光る月の封石。
どうかどうか。
姉妹が、幸せになれますように。
シューベルは、熱に浮かれたように、朗々と私の罪状とやらを読み上げている。黒衣に金糸で文様を描いた豪奢な神官服。細工は見事なものだが、残念ながら着こなしは最悪だった。服の上に顔色の悪い頭が載っているようにしか見えない。滑稽なくらいだ。
ドミヌスは国教となった。
シュレージェンの領主は、国王に忠誠を示さねばならなかった。
多くの民を犠牲にするより、巫女一人を差し出した方がよい。そう、思うのは無理からぬことであろう。
私はシュレージェンの巫女。
地母神イナンナを祀る者。
それは、つまり、異端。標的。
遠く昔から受け継がれてきた加護は、身を縛る鎖でもある。
巫女はシュレージェンの領主一族とともに、この地を守護する象徴だった。
「・・・・すまない。」
首を垂れる領主に、私は何も答えなかった。
わかってる。私を犠牲にするしかない。・・・民を護るために。
捕まって、処刑されるまでの十日間。
私は、領主の館の地下にいた。
領主の贖罪でもあったのだろう。死に行く私への、せめてもの。
それは、私を拷問するというシェーベルの、欲求を退けるものだったから。
魔女と決め付けられた女は、拷問され、陵辱されるのが常であった。
「魔女、キリアエル!ここに、お前を火刑に処す!」
シェーベルの、けっして通るとは言えない、声。
それでも、それは、広場の隅々にまで広がったようで。
溜息のような声が大きなうねりとなって、その場をしばらく支配した。
祈るように、手を合わせて、こちらを見ている。
嘲り、勝ち誇った笑みを浮かべるのはドミヌスの者と、その傀儡。
刑を執行する者たちは、感情を凍らせ、無表情のまま動く。
シュレージェンの民は、遠くから、私を見ている。
何を期待しているの?
奇跡を?救いを?
松明をもって、男が近づいてきた。
慈悲はいるか、と。その呼びかけに小さく首を横に振る。
ほんの少し早められる死に、何の意味があるだろう。
そうして、火は付けられた。
熱さに、痛みに、身を捩る。
頬を伝う涙は、なんだろう。
哀しみだろうか。恐怖だろうか。
シェーベルの下卑た視線がささる。焼かれる女を見て興奮するなど、気が触れてるとしか思えない。
火刑は、苦しみが長く続く。人は、なぜ、こんな無意味な残酷さを持っているのだろう。
悲鳴など、あげてやらない。
命乞いなど、してやるものか。
火よ。炎よ。
燃えさかえよ。もっと高く、わが身を包め。
精霊は応えてくれる。
皮膚が焼かれる匂いが消え、痛みが消えた。
長い髪に辿り着いた火が、一気に駆け上がるのを見て、広場から、悲鳴が上がる。
激しい炎は凄惨なものに映るだろう。けれど、ゆっくりと炙られるよりはずっとましだ。それに今、この身を焼いているのは私の精霊たちなのだから。
このまま。
このまま、火力を強めて、広場ごと焼いてしまおうか。
そう思った途端に、炎は勢いを増す。
ともにこの地を護ると誓った。
・・・民よ。
幸せになってほしい、などと。
私は、願わない。
何もしなくてよいと思っていたのか。
その弱さを理由にして。
護られるだけ。祈るだけ。
私は、許さない。
愛していた。愛していた。
この土地を。この地に住む人々を。
でも、もう、これが最後。
次は、ない。
私はもう、あなたたちを護らない。
燃えろ。燃えつくせ。
私を、ここに、一片も残すな。
「キリー!!!!」
叫び声に、はっと私は顔をあげる。
「キリー!」
行く手を阻む騎士と教団の僧侶たちに剣を向けながら、彼はこちらを、まっすぐに見る。
炎に包まれた私を。
なぜ。
どうして。ここにいるの。
彼のために民衆は道を空けた。
一直線にこちらに向かってくる。
手を伸ばしてはいけない。
もう、届かないのだから。
なのに、身体は無意識に動いた。もう、崩れ落ちそうなのに。
ああ。ダメだ。
死にゆく私を、彼の記憶に残してはいけない。
「キリー!!!!」
悲痛な叫び声が聞こえた。
黒くなった身体が、崩れる。
幸せになりたかった。
あなたと一緒に。
素朴で穏やかな、そんな日々を送りたかった。
なんて贅沢な夢。
なんて儚い夢。
アイン。
声が届くはずもない。
だが、それに応えるように彼の絶叫が木魂した。
養い子からもらった封石が、私の、黒い灰の中に沈む。
ほのかに、銀の輝きを放って。
そして、消えた。