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 窓から光が射し、車内の空気は柔らかだった。とても心地よかった。目を瞑った。この程度の孤独なら、存分に浸っても中毒になることはあるまい、と思った。

 暫くして、ヘンが、ヘン、ヘン、と咳払いをした。そして、

「先程は、迂闊にも大笑いをし、わたくし恥じ入っております」

 と、言った。

「何しろ、そこまでの誤解を受けているとは、知らなかったのです。若い空の人々によくある、一時的希望的カン違いであると思ったのです」

 あなたが、種族に数少ない女性であることを、つい失念いたしました、とヘンは申し訳なさそうに言った。

「元来、女性は土的であると期待されるのです。ですから、空の種族の女は、より大変なのです。その上、あなたは非常に空性が高いようですから、それに伴って大変性も高くなるのです」

 私であることが、それ程までに大変である自覚はなかったが、私であることを否定されないのは、悪い気持はしなかった。目を開けて、そんなに申し訳なさそうにすることはないです、と言った。ヘンは、ヘン、ヘン、と咳払いをした。そんなヘンが愛しく感じられた。ヘンは大人しく私の肩にとまっていた。電車は優しく、ゴトンガタン、と揺れていた。

 暫く窓から空を眺めていて、ふと思い出したことがあった。幼い頃からずっと空に焦がれ続けてきた。好きというだけでは足らず、側に行ってみたくてたまらなかった。時には泣き叫び母を困らせるほど想いは強く、いつか側に行こうと心に決めていた。だが、いつだったか、小学校の理科の授業で、地球を包む大気というものを学び、空と呼ばれるものが、空という一つの確固とした存在ではないと知った。ただ上の方に昇っていくと空には辿り着かず、宇宙に出るという、それを知って、愕然とし、子供心にとても困った。私は宇宙に行きたかったわけではなく、空に行きたかったのだ。空が好きだったのだ。しかし、空という明確なところはないという。私の行くべき所は何処なのか。一体空というのは大気のどのあたりを指すのか。真剣に考えた。図鑑を読み漁り、結局答えは、科学的根拠ではなくて、視覚的根拠により明らかになった。地球の写真を見たのだ。そして、その青透明の球体の際に目を奪われた。他でもない、私が行ってみたいのはあのあたりだと思ったのだ。

 ふと、もしかして、空の種族が属するのが、あのあたりなのではないだろうか、と思った。私の大部分は、あの近辺を浮遊しているように感じる。が、ヘンは何も言わなかった。多分、私の考えを読まなかったのだろう。

 電車はいつものように町を抜け、住宅街に入った。驚く程、人の姿は見当たらなかった。やがて、畑と、いつもの神社の境内が見えてきた。まだ冬枯れの景色だったが、梅がポツリポツリと咲いたりなどしている。春はそう遠くではなかった。暫くして、電車が減速した。車体が傾き、そのうちに止まり、扉が開くと冷たい空気が入り込んできた。幸いホームに人は居らず、誰も乗ってこなかった。再び電車が動き出し、いつもの看板広告をいつものように眺めた。

「一つ申し上げますと、」

 とヘンが言った。

「総じて空の人々は、細かいものの見方をしません。全体を大きく把握するような精神構造なのです。逆に土の人人は、細部を解明するような精神構造なのです。全体を見る時、細部のことはよく分かりませんが、細部が存在することを知っています。細部に集中すると、細部のことはとてもよく分かりますが、それが全体の一部であることは、忘れがちになるようです。細部ばかりに集中したがる人の数は多く、しかもそういう人人は好んで密集します。異なる細部に没頭する人々が集まるわけですから、その集合体は、一見、全体的に感じますが、実際は非常にバラバラで、統一性のない個個の集まりなのです。土の人々が作り出す社会です。近頃は排他的ですから、特にそのようです。以前は、土の方の人々の中にも、細部が全体の一つであることを知っている人が居たので、性質の異なる空の人々との共存も易かったのです。ですから、結果として、全体的にいろいろ統一性もあったのです。適材適所という言葉は、そういうことを意味していたのです。ですが近頃は、重箱のスミをつつくような能力ばかりがもてはやされます。思考は疎んじられ、ちくちくとした知識のみが求められます。しかも、理解を伴わない知識が好まれるようです。思考や理解は時間を必要とするからです。上面を舐めるような早さがないのです。まったくもって、メディアとか、コンピューターとか、自由主義とかいうものの、たちの悪いほうの影響です。非常に残念なことです。多くの空の人々も、やむを得ず元来の性質を押し殺してそういう細部表層機能を会得するか、もしくはそれすら出来ずに、世の中を行き場も無く漂流しているようです。残念なことです」

 ヘンは、一つ深いため息を吐いた。それから、ちらと私を見た。

「又、土の方の人々の芸術ですが、以前は、個と私の極みに普遍を見るようなものがあり、嗜好の異なる空の人人をも納得させ、感動させることがありましたが、近頃は、個と私の表現にただ個と私を見るものばかりで、またそういったものが共感を受け短期的に熱狂的に喜ばれるようです。空の人々には、とても息苦しく、また理解しがたい環境です。あなたには、さらなる大変さというわけです。お気の毒なことです」

 しみじみとしたヘンの声は、心地良かった。心地良かったと同時に、ああ、確かにこれは予想以上に大変なようだな、と思った。大変というのは、これからの私の人生のことだった。ヘンのおかげで、空に属する者の大変さがよく自覚できるようになっている。

……時はひたすら流れつづけ、私はいよいよ子供という括りから、弾き出されようとしている。大人になるということは、精神が肉体に屈していくということだ。生物としてのこの肉体に責任を持たねばならなくなる。空に属する、この純粋で身勝手で甘い精神の自由は、無関心だけでは補いきれないほど急速に奪われていく……。

 不意にぞっと恐ろしくなって、慌てて頭を振った。窓の外を見た。いつの間にか電車は渓谷を抜け雪原に入っていた。白い大地を白い大きな猫のようなものが走っていた。きっと雪ヒョウだ。とても美しかった。それは、一度立ち止まって、こちらに前足を振った。ほっとした。私も手を振り返した。雪ヒョウは笑った。私も笑った。ヘンが続けた。

「さらに申し上げますと、何かを思いつくのは本来空の人々ですが、それを解釈し、存続させるのは土の人々です。やがて長く続いたものは土的になり、そこにまた空的なものが加えられていくわけです。整然と職業分担がなされていたのです。ですが、近頃は、一部の土の方の人々がさも空ふうに振舞うことがあり、何かを思いついたフリをして、既存のものを、非常に器用に表現を変え発表し、同族の人々から一時的に支持と賞賛を受けることがあるようです。同族の絶対数が多いので、仕方がありませんが、とても残念なことです。土的な人々には土的な人人の良さがあるのですから、そちらの良さを素直に尊重すべきなのです。大体、「ふう」というのは、実の無いみじめな模倣です。どこまでいっても「ふう」であり、本物にはならないのです。ですから、本来ならば、空様式を土なりに作り変えればよいのですが、それは手間がかかり責任も大きいので、「ふう」に留まっているのです。「ふう」が流行りもてはやされると、本物が出てきては、メッキを剥がされてしまい困りますから、器用な模倣師たちは、器用に本物を拒絶し、排除します。故に、色色な分野で、空ふうの人々が多くなり、空に属する人々が本来の活動の場を失っているようです。もったいないことです。そういう模倣的社会は、ねっとりとして、騒がしく、いかがわしく、しかも希薄です。寂しいことです」

 ヘンはもう一度ため息を吐いた。そして、黙り込んでしまった。私は、ただひたすら窓の外を見ていた。電車は雪原を抜け草原に入り、さらに砂漠に入った。灼熱の太陽が、乾いた砂の地にぎらぎらと照り付けていた。

 やがて電車は砂漠地帯を抜けて、山岳地帯に入った。緑の木木が鬱蒼と生い茂っていた。枝葉の影がちらちらと車内の床で踊った。とても美しかった。

 電車は山の中腹あたりで減速し、暫くすると止まった。あ、着きました、とヘンが叫んだ。

「さあ、行きましょう」


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