聖夜の奇跡と自称サンタ
誰でもいいから、この夜を一緒に過ごしてほしい。
そう思うのなら、もっと早くから行動するべきだったんだと気付いたのは、イルミネーション目当てにやって来た人たちで賑わう公園で、無為な時間を2時間ほど過ごした後だった。
ナンパとか、なんだか最近話題のパパ活?とか、もういっそ援助交際でもよかったんだけど、それを狙うにはまず場所の選択が間違っていたんだろう。たぶんもうちょっと治安のよくないところに行った方がよかった。
わたしの顔面が偏差値70くらいあれば思い付きでもうまくいったのかもしれない。
でも、なんとか平均に引っかかっている身では、カップルやニアカップル(告白さえすればうまくいくけどまだどちらからも言い出せない二人)や夫婦やパーリィな感じの人たちで溢れるデートスポットで異性をひっかけるなんて夢のまた夢だったようだ。
その現実に気付くのに2時間もかけてしまったことに自分でびっくりする。
往生際が悪いなぁ。イルミネーションから死角になっていて人気のない一角のベンチに座って、黒タイツの足を擦り合わせる。
寒い。痛い。……さみしい。
クリスマスの夜はこんなにも賑やかで、キラキラと輝いているのに。
冷たい一人きりの家に帰るのは、いやだった。
こうしてひとり、幸せそうな空気を感じるよりも、みじめな気持ちになるから。
「――っどっ、わっ」
そんな間抜けた声が聞こえるのと、背後の茂みがすごい音を立てるのは同時だった。
「痛たたた……。いくらなんでも植木に突っ込むとか聞いてない……」
振り返った先、ベンチ裏の茂みに、人がいた。
あちこちに葉っぱや枝を付けて、頬っぺたに引っかき傷を作って。
それなのに損なわれない、凶器的ですらある整った顔が、そこにあった。
きらきら、きらきら。
イルミネーションが映り込んで、まるで宝石みたいにその瞳を彩っていた。
たぶん、わたしは見惚れていたんだと思う。
息をするのを忘れるようなうつくしいものを、こんなに至近距離で見たのは初めてだった。
顔を上げたその人と、目が合う。
へにゃりと笑ったその顔はそれでもとんでもなく目の保養で、――開かれた口から紡がれた言葉を、一瞬理解できなかった。
「やあ、初めまして。君のためのサンタです」
聖夜の奇跡みたいなその人は、自称サンタの不審者だった。
「うんうん、僕が不審者にしか見えないのはよくわかる。わかるけど、その『ドン引きです!』って感じの視線は堪えるからやめてほしい」
「不審者の分際で人の主観に文句つけるんですか……?」
「言葉のナイフがザクザク刺さるな。確かにこんな格好でサンタも何も信憑性はないかもしれないけど、事実だからどうしようもない」
言われて改めて、その人の顔以外を見てみる。
ありふれた黒のタートルネック。黒のスラックス。真っ白のコート。靴はゴツいブーツだ。
モノクロのその格好は、とりあえず微塵もサンタっぽくはなかった。あと全体的にスタイルがいい人にだけ許される感じなのはわかった。
「……あなたのどこがサンタなんですか?」
「残念ながら、空から降ってきたくらいしかそれらしい要素はないかな」
「……空から降ってきたんですか?」
「そうなんだ。だからこんな有様に」
肩をすくめて見せる、その仕草さえ様になっている。
確かに茂みに突っ込む音がする前は、周囲には誰もいなかった。空から降ってくるくらいの突然さで現れたのは間違いないけど、ふつう人は空から降らない。
でも、サンタなんて、――サンタクロースだなんて。
「……サンタでも、空から落ちたらケガするんですね」
結局、わたしが口に出せたのは、そんなどうでもいい感想だった。
「本職のサンタじゃないからね。本職だったら、こんな間抜けな姿は晒さないと思うよ。子どもの夢が壊れちゃうし。……いや、『あわてんぼうのサンタクロース』の歌詞からしたら、そんなおっちょこちょいのサンタもいるかもしれないな」
なんだか真面目に考え出したその人に、「とりあえず、そこから出たらどうですか?」と提案してしまったのは、……『君のためのサンタ』という言葉が、わたしの胸の空洞に、ぽんと飛び込んでしまったからなんだろう。
ベンチの裏に回って手を差し出したわたしに、その人は「ありがとう」と、とてもきれいな笑みを浮かべた。
「それで、どうやって過ごそうか?」
自称サンタを茂みから引っ張り出して、あちこちについた葉っぱや枝を取り払って、二人でベンチに落ち着いて。
まるで当たり前のようにそう聞かれて、私は一瞬言葉に詰まった。
「……あなたとわたしが一緒に過ごすんですか? これから?」
「だって、『誰でもいいからこの夜を一緒に過ごしてほし』かったんじゃない? 違う?」
「…………」
違わない。違わないけれど、なぜこの人がそれを知っているんだろう。
浮かんだ疑問を察しただろうに、彼はそれについては触れなかった。
「何をしてもいいよ。さすがに法律とか条令に引っかかるようなことは無理だけど」
「初対面でセクハラですか?」
「違うって。可能性として否定しただけ。保護者同伴ってことで、夜に出歩いたって誰も怒らないよ」
この人は、わたしの『保護者』を気取れるくらいには年上らしい。絶対に同年代ではないだろうと思っていたけれど、思ったより年上なのかもしれない。
「お金の心配もしなくていい。ついでにちょっとした奇跡くらいは起こせるよ。だから安心してワガママを言ってくれ」
「……奇跡?」
「空いているはずのない繁華街のカラオケがちょうど空くとか、観覧車の順番待ちをしなくて済むとか」
「みみっちい奇跡ですね」
「それは仕方ない。本職じゃないからね」
また『本職じゃない』だ。じゃあ、本職じゃないのに『サンタ』を自称するこの人はどういう身分なんだろう。
その疑問を見事に読み取って「言っただろう? 『君のためのサンタ』だよ。期間限定のね」と微笑んだその顔は、やっぱり見惚れるくらいに綺麗だった。
「名前が無いと不便だろうから」と、彼は『朔』と名乗った。
名乗り返した方がいいんだろうか、と思ったら、「言わなくても知ってるよ、澪ちゃん」と続けられる。
一瞬、「ストーカーかな?」と思ったのが伝わったんだろう。「サンタ特典だから通報はしないでほしいな」とちょっと真面目に言われた。
名前がわかっても、身元不詳のやけに見目がいい自称サンタというのは変わりない。
変わりないけど、どうせ『誰でもいいから一緒に過ごしてほしかった』のだ。それがこの人――朔さんになったって不都合はない。むしろ好都合だ。
「それじゃあ、一夜、付き合ってください」
茂みから助け起こした時とは違う、少しの緊張と一緒に手を取った。朔さんは柔らかく笑った。
ただただ、誰かと過ごしたかったから、過ごし方を具体的に考えたことはなかった。
カラオケに行ってみたり、ゲームセンターに行ってみたり。
そういうのは、わたしは向いてなかったらしいと、朔さんと行って初めて知った。
そんなわたしとは違って、朔さんは歌も上手ければ何のゲームをさせても高スコアを叩き出す、不平等の権化みたいな人だった。天から二物も三物も与えられすぎだと思う。
「ごめんね。実力が拮抗していた方がこういうのは面白いらしいんだけど、手加減をしてものすごく怒られたことがあるから、手を抜かないことにしてるんだ」
本当に申し訳なさそうにそんなことを言われて、これが嫌味でなくて本心っぽいのがすごいな、と思う。
それでもその顔面のうつくしさで、まあいいかなと思わされてしまう。美形ってずるい。
そもそも何かにテンションを上げる、みたいなタイプじゃないわたしと、良くも悪くもテンションが一定っぽい感じの朔さんじゃ、レクリエーションで盛り上がるというのは難しかった。
ゲームセンターを出てから、わたしは少し悩んで、ここら辺で一番大きい百貨店に連れて行ってもらうことにした。
「お金の心配はしなくていいって言いましたよね?」
「うん。『このお店のもの全部!』とか言われなければさすがに大丈夫だよ」
「……わたし、そんなに強欲に見えますか?」
「ううん。可能性として一応言っただけだよ。……君はどっちかっていうと、欲が薄そうかな。持った欲を、人に伝えるのも下手そうだ」
その言葉には応えずに、わたしはまっすぐある雑貨屋に向かう。
この百貨店に来たことは何度かあった。そこにそのお店があることも、もちろん知っていた。
目的の棚の前で止まったわたしの隣に、まるで最初からわかっていたような様子で朔さんが立ち止まる。
「どの子をお迎えするんだい?」
「……この子にします」
一体のテディベア。くまの、ぬいぐるみ。
この歳にもなってぬいぐるみを欲しがるなんて、という気持ちと。
どこの誰ともしれない、『君のためのサンタ』だなんて世迷言を言う朔さんにだったら、別に知られてもいい、という気持ちと。
ぐちゃぐちゃになりながら指差したテディベアを、朔さんが優しく取り上げた。
「会計してくるから、待ってて」
棚にあったときより小さく見えるテディベアを手に、朔さんがレジに向かう。
ぼんやりとそれを眺めながら、小さく笑った。視界が少しだけ、歪んだ。
はい、とタグを外されたテディベアを渡されて、それを片手に、朔さんに手を引かれながら歩いた。
わたしは何も言わなかったし、朔さんも何も言わなかった。
出会った公園の中央、イルミネーションの輝くそこで立ち止まって、それでもわたしは顔を上げられない。朔さんのブーツの先を見ながら、口を開いた。
「……クリスマスの思い出が、欲しかったんです」
「小さい頃、クリスマスの前になると、みんな楽しそうに話をしてて……夜のごちそうの話とか、ケーキを食べたとか、枕元にプレゼントが置いてあったとか……そういうのが、すごくきらきらした、いいものに思えて」
「わたしの覚えてない兄の話ばかりして、わたしのことを見てくれない母と、仕事ばかりで帰ってこない、話もしない父と。うちがふつうじゃないって気づくまで、羨ましかったんです。あたたかい思い出のあるひとたちが、うらやましかった……」
「母が入院して、母の妹だっていう人が、クリスマスプレゼントを買ってあげるって外に連れて行ってくれたけど、わたしは何も欲しいって言えなくて」
「でもずっと、欲しかった。ひとりぼっちで過ごすクリスマスは、いやだった……」
わたしがぽつぽつと落とす言葉を黙って聞いていた朔さんが、少しだけ握る手の強さを強くした。
「誰かに、一緒にいてほしかった。ふわふわのぬいぐるみみたいな、しあわせの象徴みたいな、プレゼントがほしかった……」
「……僕は、少しは君のサンタになれた?」
言葉にはできなかった。わたしはただこくりと頷く。
朔さんが、両手でわたしの手をやさしく包んだ。
「僕もね、欲しかったよ、プレゼント。ひとりは嫌だよね。僕は、周りに人はいたけど、さみしくて仕方なかった」
「『君のためのサンタ』なんて言ったけど、これは『僕のためのサンタ』でもあったんだ。……ねえ、このサンタの真似事で、いつかの未来に、僕と君が出会う縁が確定したんだって言ったら、信じる?」
「……それじゃあ、どこかの朔さんにも、『朔さんのためのサンタ』が来ているんですか?」
「そうだね。そうかもしれない」
見上げた朔さんは、泣きそうに笑っていた。
たぶん、わたしもそんな顔をしていた。
荒唐無稽な話だ。
タイムパラドックスがどうとか、バタフライエフェクトがどうとか。
考えたって仕方のないことは頭から追いやって、わたしも両手で朔さんの手を握った。
これが聖夜の奇跡なら、そうなんだと思った。
そう、信じたいと思った。
「いつか、僕と出会って。僕はちょっと嫌な奴かもしれないけど、ひねくれてるかもしれないけど、何回でも引っぱたいていいから、僕を諦めないで」
「……この顔を叩くなんて、すごく無理難題ですね」
「君がこの顔を気に入ってくれるのは嬉しいけど、きっとそれくらいしないと目が覚めないから」
手と一緒に握り込まれたテディベアを、朔さんが持ち上げる。
その頭に唇を落として、ふわりと笑う。
「最後に、もう一つ聖夜の奇跡を見せてあげる」
極上の笑みで、空を指さした。
「ホワイトクリスマス。――それらしいだろう?」
見上げた空からちらちらと雪が降る。
そうして朔さんから目を離した一瞬で――わたしはひとりになっていた。
「……さよならくらい、言わせてくださいよ」
ホワイトクリスマスに湧くざわめきの中で、呟く。
きっと朔さんは、「だって、また会えるから」とでも言うんだろうな、と思った。
数年後、わたしはとんでもなく性根のひねくれたとんでもない美形の頬っぺたを引っぱたくことになるのだけど――それはまた、別の話だ。
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