退屈な小説
電車に乗ってかれこれ1時間は経った気がするが目的地に着く気配は一向にない。
そういうと電車が止まっているか、あるいは目的地が遠い場所にあるかの二択が浮かぶのが普通だろう。しかし電車はいつも通り動いているし僕が降りるべき駅は4駅先の「三崎図書館前」という駅であり普段なら短編ひとつ読み終わるころには着いているような距離だ。
一体いつ到着するのだろう? 今日が返却日の退屈な長編小説を読みながら待っていたが僕は栞を挟んで一旦読むのをやめ車内を見回した。数人いた僕以外の乗客は寝ているかスマートフォンを見つめているなど思い思いの暇潰しをしているようだ。それに倣って僕もスマートフォンでネットを見るなりして暇を潰そうかと思ったがいけない、家に忘れてしまったようだ。僕は諦めて本を開いた。
あれからどれだけ時間が経ったのだろう。感覚的には30分くらいだろうか。周りの乗客たちは相も変わらず寝ているかスマートフォンの画面を眺めている。まるで時間が止まったかのようにそのままだ。もしかして僕だけ残して時間が止まっているのだろうか?そんな気さえしてきた。そんなことを思った僕は他の乗客に声を掛けてみることにした。
誰にしようか、そう思った僕は正面に座っている同い年くらいの女性に声を掛けることにした。
「あの、ちょっといいですか?」
彼女は少し驚いたかのように顔を上げた。明らかに警戒されている。
「何でしょうか?」
「いや、ナンパとかではないのですが三崎図書館駅まであとどれくらいですかね?」
「三崎図書館は…あと4駅だからどうかだろう、20分くらいじゃないですか?」
僕は驚いた。電車に乗ってからひと駅も進んでないじゃないか。
しかしそんな僕の絶望やら驚きを知らない彼女は僕が持っている本を見て続ける。
「あ、その本読んだことあります。面白いですよね、好きなのですか?」
「いや、図書館で借りたのだけどなかなか進まなくて」
とても退屈な小説だ、とは言わないでおこう。小説にも相性ってモノがある。
「確かに最初は退屈かもしれませんが最後まで読んでみてください、きっと好きになりますよ」
彼女はそういいながら微笑んだ。
「そうですか、じゃあ着くまで読んでみます、すみません突然声かけちゃって」
僕は会釈し、再び座席に身を沈め、本を開いた。
あれからどれくらい経ったかわからない。乗客たちは時間が止まったかのようにさっきまでの行動を繰り返している。しかしそれに反して僕の頁をめくる手は止まらなくなっていた。
冗長な文章に慣れてきたのもあるが錆びた歯車に油を差したかのように物語が動き出しだしたのだ。今までの退屈な展開すら驚きに満ちた要素に変わっていく。
僕は退屈だと思っていた小説に車内のアナウンスや電車の駆動音も気にならないくらい夢中にさせられていた。
終わった。とうとう読み終わったのだ。何だこの展開は。何なのだこのラストは。そしてこの読後感。なんて心地いい。僕はため息をつきながら本を閉じ鞄の中にしまう。その時頭の上の方から声を掛けられた。先程の彼女が目の前に立っていたのだ。
「着きましたよ。降りないんですか?」
なんと。いつの間にか着いていたのか。僕は急いで彼女と電車を降りて彼女に礼を言う。
「ありがとう、あなたもここで降りるんですね」
「そうなんです、返す本があって」
「そうですか。僕もそうなんです、さっき丁度読み終わって」
そう言うと彼女は少し驚いたように笑った。
「読むの早いんですね」彼女の言葉を僕は軽く否定をして続けた。
「信じてもらえないと思うんですが電車がいつまでたっても着かなくて。まるでこの本が読み終わるまで着かないのかなってくらいに」変ですよね、と僕は笑う。すると彼女も笑った。
「信じますよ」
彼女は改札へ歩き出す。
「え?」
ワンテンポ遅れて僕も歩き出す。
「変な話かもしれないですけど世の中の不思議な色々ってみんな何かしらの縁があると思うんですよ、だからあなたのそれもきっとそうなんだろうなと、勿論ただのナンパの戯言の線も捨ててないですけど」
と笑いながら彼女はICカードを改札にかざす。
彼女の後を追いながら僕は彼女に言う。
「本を返したあとどこか行きませんか?」
これも何かの縁、とも続けた。
「やっぱりナンパだったんですか?」
彼女はいたずらっぽく笑った。