9.攻防戦(アンジェリカ)
「あの送ってくださってありがとうございます。食事もご馳走様でした」と自宅のマンションのエントランス前で、私はお礼を言った。
イタリア料理を堪能させてもらった後、私はそのまま車で自宅にまで送ってもらったのだ。
「おい、山田舞。お礼を言う相手を間違っているぞ」
「間違っていません。お店で勘定をしてくださったのも、ここまで運転してくださったのも、運転手さんですよね?」
運転手さん。通称、『財布を落としましたよ』の人だ。
「お安いご用です、山田舞様」と爽やかな笑顔で、そして会釈程度のお辞儀をしているけど……漆黒のスーツに身を包み、運転用の真新しい手袋をしていて、イケメン執事のような感じで格好いいのだけど……
私を騙したことは忘れない! きっと中身は腹黒だ! 「財布を落としましたよ」なんて、虫も殺さないような優しそうな人から言われたら、騙されるでしょうが普通!
「俺が雇っている運転手だし、最終的に料理の金も払うのも俺なのだがな」
「そうですか……では、間接的にお礼を言います。ありがとうございました」
「……まあ良いだろう。それで、これからどうする?」
「これから? え? いや、ここまで送ってくれただけで十分です。じゃあ、ここで! さよなら!」
部屋、汚いし! って、その前に、今日あった男を部屋にあげるほど私も不用心ではない。
「何を勘違いしている。これから、というのは俺達の将来のことを指している」
「将来? 今日限りで……」
「今日限り? 何を言っている。明日は、五時半に迎えにくるからな。ゴルフはできるよな?」
「出来ないわ! しかも、勝手に私の予定をいれるな! それに五時半ってまだ寝ているわ!」
日曜日は終日、ベッドでゴロゴロする日だし。あと、溜まった服の洗濯とか……。
「ゴルフは嫌か……。では……歌舞伎でも観に行くか?」
「歌舞伎? いや……なぜ歌舞伎……? かぶき者はあなただけで十分ですよ!」
「俺は役者じゃない。強いて言うなら経営者だ」
「私は皮肉を言っているんです! 真面目に返答するな!」
「まぁいい。お前の気持ちは分かっているつもりだ」
「分かっていただけて嬉しいです」
「山田舞さん、この十文字葵の妻となってください」
十文字葵は、騎士のように私の前に片膝を突き、右手だけ私に手を差し出している。なんだろう? 騎士の忠誠の誓いの儀式だろうか? 私はいつのまにか中世風のファンタジーの世界に迷い込んだのだろうか……。
「って……私の気持ち分かってないじゃない! どうしてプロポーズしているのよ!」
あぁ、私がプロポーズを受けたかったのは夏井先輩からで、夜景が綺麗な……たとえばお台場とかで……それとなく指輪のサイズを聞かれていたから、もしかしたら何て思っていたら……!
ってなはずだったのに!
「ちゃんと手順を踏んで欲しいのだろ? プロポーズも大事な儀式の一つだと俺も理解しているつもりだ」
「手順を踏めば良いってことじゃないです! しかも、手順が間違っている!」
「手順が違う……? あぁ、そうか。そうだな。お前の言う通りだ」
「分かっていただけて良かったです」
「この十文字葵と付き合ってください」
いや……だから、なぜそうなる……。
「ごめんなさい……。お友達でいましょう」
まぁ、お友達でいましょうとか言っても、それは社交辞令的な言葉で、そのまま疎遠になっていくのが普通だ。
「分かった」
良かったぁ〜。やっと分かってくれた……。
「知り合いになり、友達になった。そして、次が恋人で、そして妻。それが、正しい手順ということでいいのだな?」
この人、全く分かってなかったぁぁぁ!!!「無事に友達になったところで、もう一度言おう。結婚を前提に、この十文字葵と付き合ってくれ」
『結婚を前提に』っていう枕言葉が追加された!! しかも、『付き合ってくれ』とか、上から目線になってるし!「か、考えさせてください……」
と、とりあえずこの場から逃げよう……。このままだと、押し切られる!
「いつまでに答えを貰える?」
「1ヶ月ほど時間をください」
「俺は、『ほど』とか、曖昧な言葉は嫌いだ。期限を守るのは当然だとしても、その期限が曖昧では困る。山田舞も社会人なら分かるだろ?」
いや、なんか怒られた。というか、ディスられた……。どうして私が……。
「じゃあ、1ヶ月で」
「1ヶ月は長い」
いや、それなら『ほど』に、いちゃもんを付けないで、最初からそう言ってよ……。
「じゃあ4週間で」
「何も変わってないだろ。三日だ」
「三日? せめて、二週間!」
「だめだ。三日だ」
「いや……四日」
「だめだ。俺にも譲れないものがある。そこは分かって欲しい。俺は、誠意を尽くして、お前の、手順を重んじるという意志を尊重しているつもりだ。そして、言うまでもないことだが、互いの立場を尊重し合うのは、人間として、大事なことの一つだと思うが?」
「うぅ……」
なんだか言いくるめられているような……だけど、正論を言われているような……。「じゃ、じゃあ、三営業日で! 私もこれ以上は譲れません!」
「分かった。では、良い返事を待っているぞ」
十文字葵は、そのまま颯爽と黒塗りのベンツに乗り込み、去って言った。
やっと解放された……。嵐のような人だった……。
家に帰って洗面台で化粧を落としていたら、スマフォが鳴った。
『今日はありがとう。楽しかった』
十文字葵からのメールだった。へぇ〜と私は思う。メールの文面は意外とまともなんだ。
『こちらこそありがとうございました。私も楽しかったです』
と返信しようと思ったけれど、
『こちらこそありがとうございました』だけ残して、『私も楽しかったです』を消した。
私は楽しかったのだろうか? たしかに楽しかった気もする。けど、『楽しかった』とわざわざ伝えることは何となく癪に障るというか、憚られる。
あの十文字財閥の御曹司ともなれば、一般人と常識が違うのか、食事に一緒に行くにしても強引だった。楽しかったとしても、私はそれを楽しかったと認めたくない。
それに、約束をしたのだから私は返事をしないといけない。それは憂鬱だ。私は、結婚を前提にお付き合いをするかどうか。その返事をしなければならない。
今の心境から言えば、99%、お断りする方に気持ちが傾いている。
だけど、残りの1%は、なんだろうか。
十文字財閥の御曹司だから? お金持ちだから?
確かに……。0.6%くらいは、相手は大金持ちだよ! というような気持ちというか計算はあるかもしれない。
あんなオレオレな人で、私よりも年収が低く人から同じ事を言われたら……うん。間違い無くお断りを直ぐにしていると思う。
意外と私って現金だな。でも、現実に結婚となるとね……。
でも、あとの0.4%は何だろう……?
それはきっと可能性だ。もしかしたら、という可能性。
誰かが言った。
結婚とは奇跡だと。
自分が相手を好きになり、相手も自分を好きになる。そしてお互いに結婚をしたい、人生を一緒に歩みたいと思う。
そんな相手と出会うというのは、奇跡だそうだ。確率にしたら数億分の一の確率だと言う。
その割には私以外の人はみんな奇跡が起こっている……という突っ込みをしたいけれど、それは奇跡なのだろ。
そして、十文字葵は、私と結婚をしても良いと思っている。
あとは、私が十文字葵を好きになれば、それで奇跡が成就するのだろう。
私が十文字葵を好きになるかもしれない可能性。それが、0.4%ということなのだろうか。
でも、それが私がすぐに、十文字葵と結婚を前提にしたお付き合いをすることを断るということに踏み切れない理由であるのだろう。
いや……よく考えたら、十文字葵は私のことが好きなのだろうか? 一目惚れとか、そんなのではない気がする。
婚活パーティーの席で、私に向かって、『もう、面倒だからお前でいいや』と言った。
そもそも、十文字財閥の御曹司が、なぜ婚活パーティーに参加していたのだろう? 経済界の超が付くほどの重鎮の家。
良家のお嬢様たちとの縁談なんてものが沢山来るはずではないだろうか?
十文字葵はなぜ、婚活パーティーに来ていたのだろうか?
どうして、結婚相手を探しているのだろうか?
そして、どうしてそれが私だったのだろうか? 探すのが『面倒だから』という理由なら話はそれまでだけど、その理由は聞いておきたい。
返事をするなら、その辺りのことを聞いても良いのではないだろうか。大事なことだ。
『こちらこそありがとうございました。ところで、今日出会ったばかりの私にどうして告白したのですか?』
いや……。意味不明な文章だ。
それに、メールで聞くようなことではない。電話……いや、直接会って聞くべきないようだろう。
もう一回会って、しっかり話を聞いた方が良いのだろうか。
でもそうすると、明日か月曜日か火曜日か水曜日。この3営業日の間に十文字葵と会わなければならない。
このまま断っていいのだろうか。もう一度会って、確認したほうが良いのだろうか。
どうしよう……。どうしよう……。
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アンジェリカは、メタリカ大使館でモヤモヤした日々を過ごしていた。
「メタリカはいつ輸送機を用意してくれるのだ」
キースに対して愚痴を言っても仕方が無いということは理性では分かっている。メタリカとの事前の打ち合わせでは、メタリカ大使館に駆け込み、即日に飛行場に移動し、そしてフィクショナル公国の飛行場に行く予定であった。
しかし、それは叶わなかった。
アンジェリカは早く祖国へと帰還し、そして祖国の復興に尽力したかった。輸送機が手配できなくなったという一方的なメタリカからの通告。それ以降、『早く輸送機を確保して欲しい』というアンジェリカからの要求をメタリカ大使はのらりくらりと躱し続けていた。 そして、今日のメタリカ大使との面談。アンジェリカは激怒した。
「なぜ、輸送機の行き先がメタリカであるのか! 我に亡命をせよとでも言うのか!」
メタリカ大使の胸ぐらを掴まんばかりにアンジェリカはテーブルから身を乗り出し、詰め寄っていた。
「状況が変わりました」とメタリカ大使はアンジェリカの気迫に動じること無く、冷淡に言った。
「そんなはずはない! もとより、約束を守る気などなかったとしか受けとれんぞ!」
「いえ。本当に状況が変わったのです」
「どう変わったのだというのだ!」
「レビテトです……。陛下」
アンジェリカは、フィクショナル公国の女王、国家元首である。メタリカ大使はアンジェリカを「陛下」と呼ぶ。しかし、そこにはキギリスの女王に対する「陛下」とは全く違い、畏敬の念がこもってはいなかった。まるで、国際的に見れば、フィクショナル公国の女王は立場上、メタリカの大使からしたら、遙か格下であるかのよううであった。
そして、世界のパワーバランスから見れば、それが真実であった。
「納得がいくような説明であることを祈ろう」
アンジェリカは力なく椅子に深く腰掛けた。
「レビテトは、その周辺国家に武器をばらまき始めました。そして、その周辺国家での武力革命を後押ししています。あくまでその周辺国家の自主的な革命として……。そして、それはフィクショナル公国とて例外ではありません」
「そんな馬鹿な話があるか。我が国に武力革命の余地などない。国民投票で王制を廃止するならば、我はそれを受け入れる」
「陛下……言葉を変えましょう。レビテトは周辺国家を共産主義国家に……紅く……染め上げようとしているのです。そして、その周辺国家に傀儡政権を樹立させようとしているのです」
「フィクショナル公国の民がそれを望むならば、我はそれを受け入れよう。だが、その前に私は祖国の復興を成し遂げねばならない。その後であれば、ギロチンの階段を喜んで登ろう」
「それでは困るのです。万が一、レビテトで武力革命が成功した場合、陛下にはメタリカで亡命政権を樹立していただきます。そして、その資格が陛下にはあります。陛下は、フィクショナル公国の正統な王位継承者なのです」
「それは、メタリカの傀儡政権の……単なる旗印となれと言っているのと同じではないか! レビテトとやっていることは何も変わらないぞ!」
「これは大統領の決定です。そして議会もそれを承認しております」
「我が国への支援を行うという協定は何処へいったのだ!」
「それは、現フィクショナル公国と結ばれた協定。武力革命によって樹立した政権をメタリカは国家として認めるつもりはありません。それに、援助をするとしても、陛下が樹立した亡命政権が革命政権を倒してからの話となるでしょう。もっとも、革命政権を倒す為の武力支援を惜しむつもりはメタリカにはありません」
「我が国が必要としているのは、銃でも戦車ではない。日々の生活の糧なのだ。それは貴殿も分かっているはずだ! 頼む……いや……お願いだ」
「これは決定事項なのです。陛下には明日の飛行機で向かってもらいます。話は以上です。失礼致します」
メタリカ大使はそのまま席を立ち、室外へと出て行った。アンジェリカはそのまま力なく項垂れていた。
自分だけメタリカ……安全な場所に行き、そしてフィクショナル公国で、国民同士が争うことを、見ていることだけしかできない……。亡命政権が樹立すれば、私の名の下に、国民同士が争い、そして死んで行く……。そんなことには耐えられない。
メタリカの手を逃れ、自力で祖国へと帰るか? いや……そんなことをすれば、メタリカは支援をしないだろう。だが、祖国の復興のためにはメタリカの支援は必須だ。
だが、その支援には血がついて回る……。
いっそのこと、私がフィクショナル公国へと帰り、武力革命を受け入れるか?
そうすれば、私は死ぬが、メタリカは亡命政権の旗印を失い、武力支援をする建前を失う。そうすれば、少なくとも、メタリカとレビテトの代理戦争を避けることができる。
だが、メタリカが別の旗印を立てる可能性もある……。
私は一体、どうすればよいのだ……。父上……私は一体どうすれば良いのですか?
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スマフォが鳴っている。
『ところで、無事に家に帰れたか?』
十文字葵からのメールだった。
いや……なにが『ところで』なのだろう。
流石にマンションのエントランスまで送っていてもらって、そこから自分の部屋までって、危険な要素はあるのだろうか?
エレベーターが停電かなにかで止まってしまって、閉じ込められたとかを心配してくれているのだろうか?
いや……私を心配したというより、返信が遅いということが言いたいのだろう。たぶん……。
『無事に帰れました。今日は、ありがとうございました』
そんなメールを私は十文字葵に送った。