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2.通勤妄想(アンジェリカ)

 やばい、やばい、やばいよ。電車に乗り遅れちゃうよ!


「駆け込み乗車は危険ですので、おやめください」


 駅員がそんなアナウンスを繰り返している。だけどかまうもんか。この電車を逃したら私は会社への遅刻が確定するのだ。


 やっと改札を潜る。駅の階段を駆け上る。

 

 私は、この電車を逃すわけには…………。


 ・


 ・


 ・


 石炭を満杯に摘んだ汽車が汽笛を鳴らしている。白い蒸気が機関車をが勢いよく噴き出す。ディーゼルに溜まった蒸気を噴き出しているのだ。そして真っ黒い煙を吐き出しながら汽車はゆっくりと動き出していく。

 時は、二十世紀初頭……。



 ゲルマニウム帝国の侵攻を受けた小国フィクショナル公国。

 敵の攻撃から住民を逃し、最後の列車が永世中立国スミスへと向かう。この汽車を逃したら、ゲルマニウム帝国が領地に攻め入ってくる。

 私は自分の使命を果たさなければならない。フィクショナル公国の王族として!!


「姫様!」と私を呼ぶ声がした。

 動き出した汽車の前方。その扉。半分身を乗り出しながらも私に向かって手を差し伸べている人の姿があった。

 メイドのソフィアだ。よかった、ソフィアは汽車に乗れていたのね。あなたはよく私に仕えてくれた。いつも私のことを献身的に支えてくれる。

「早く、姫様! この手を!」とソフィアは今にも汽車から転落してしまいそうな程身を乗り出して私に手を差し伸べてくれている。

 私はソフィアの手を掴むべく、必死に手を伸ばす。

 汽車の速度はゆっくりだが、だが確実に速くなっている。

 ドレスの裾が邪魔だ。それに、アタッシュケース。

 私はアタッシュケースを投げ捨て、そして裾をあげて必死に走る。

 汽車の速度は歩くのより速く、小走りより遅いというようなスピード。まだ、間に合う。なんとか追いつけるはずだ。

 私は何としても生き残らねばならない。私はなんとしてもこの汽車に乗らなければならない。

 ゲルマニウム帝国の侵攻を少しでも食い止めるために、城に残った父上。そして勇敢な兵士たち。

 そうなのだ。父上は、そして城に残り、ゲルマニウム帝国を迎え撃つために残った兵士。兵力の差は歴然としている。城に残るということは、大嵐の日に小舟で沖へと漕ぎ出すようなものだ。

 私は、彼等の意志を継がなければならい。


 ・


「父上! 私だけ他国に退避せよなど! 私も最後まで城に残って戦います!」

「ならん!! お前は生き残るのだ。そして、ゲルマニウムが去ったあと、お前は国民を率いて、この国を復興させなければならない。荒れた畑、傷ついた人びと。悲しみの希望にならなければならない! 我がフィクショナル公国の冬は厳しい。だからこそ、厳しい冬が過ぎれば希望の春が来ることを我が国民たちは知っている。アナスタシア! お前は民を励まし、春を切望し、そして民を希望の春へと導かねばならない。それが王族たるお前の宿命」

「し、しかし!」

「我が娘よ。後のことは頼んだぞ。畑が一度荒れたら、もとに戻すまでに長い年月が必要だ。お前にとって苦しい日々となるだろう。永久凍土に凍りついた大地のごとく永遠に冬だと思ってしまうような厳しい冬だろう……だが……頼むぞ」

「わ、わかりました。父上! 私は王族としての務めを果たしてみせます」


 ・


 ・ 


 私は走る。必死に走る。

 想いを、意志を、私に託してくれた多くの人びと。

 それに、汽車の中に詰め込まれた人びと。女性、子ども、負傷兵。長らく住んでいた故郷を離れ、異国の地へ、家財道具もすべてを置いて、身一つで見知らぬ土地へ。

 みんな不安そうな顔をしている。


 そうだ、私が、その悲しみの希望にならなければならないのだ。異国の地で、肩身の狭い生活となるだろう。


 食べるものにも困り、雨風に晒されるだろう。だが、その労苦に耐え、みんなで生きて、祖国、フィクショナル公国へと戻るのだ。

 私は、悲しみの希望にならなければならない。

 あと少し。あと少しでソフィアの手が届く。

「姫様!!」

 ソフィアは右手で汽車の取っ手を掴み、体のほとんどを汽車から乗りだしている。

 あと少し。あと、私の小さな腕一つ分の距離。

 あと少し。

 あと少しで、ソフィアの手に届く……。


 ・


「姫様〜〜!」とソフィアの悲痛な叫び声。もはや私しか残っていない駅のホームに響く。

 あと少しだった。けれど、ソフィアが差し伸べてくれた手を私は掴むことができなかった。遠ざかっていく汽車はこの国を出る最後の汽車。

 今朝方、ゲルマニウムの兵士たちは国境を越えたという報告を伝書鳩が伝えてくれた。

 もう時間は残されていなかった。私が汽車に乗れなかったのは、神様の御心なのかも知れない。満員の汽車だった。


 私が乗っていたら、他の誰かが、愛する我が国の国民がこの場に残ることになっていたかも知れない。

 神の子を宿した聖母様は、大天使ガブリエルに告知を受け、こう答えたと聞きます。

「御心のままに」と。

 きっと、私が汽車に乗れなかったのは、神様の御心なのでしょう。

 今は、絶望している時ではありません。すべては御心のままに。斯くなる上は私が覚悟を決めるだけ。愛する祖国を土足で踏みにじるゲルマニウム帝国にこの身を持って、一矢報いるのみ。私の非力な腕では、弓矢など引けないでしょう。

 剣などで戦うことなでできないでしょう。ですが、今は科学文明の時代。

幸いにも銃がございます。私のか細い指先でも、引き金を引けば、銃筒から弾が飛び出します。

 非力な私でも、戦えるのです。祖国を守るために。

 この場に立っているだけでは何も始まりません。私は城へと戻らなければなりません。


 私が急ぎ城へ戻ろうと、ホームを去ろうとする。

「アンジェリカ!!」

 遠ざかっていく汽笛に混じって、私の名を呼ぶ声が聞こえてきます。

 白馬?

 汽車のレールに沿って、誰かが馬に乗ってかけてきます。

 あれは、アルフォンス? どうしてこんな所に?

 呆気にとられているアルフォンスは、そのままレールの上を白馬で駆けてきます。そして、手綱を力いっぱい引き、私が立っている場所で馬を止めました。

「乗れ!」

「え?」

「早くしろ!」

 いつもは無口なアルフォンスの声。私は、言われるままに、アルフォンスの後ろに乗ります。

 アルフォンスが手綱を操ると、馬が走りだします。レールに沿って走り出します。

 行ってしまった汽車を追いかけるのでしょうか。

「でも、どうしてアルフォンスが?」

「しっかり掴まれ! 振り落されるぞ! 口を閉じていろ。舌をかんでします」

 私は、遠慮がちにアルフォンスの腰に回していた腕の力を強めます。私の頭をアルフォンスの背中へと預けます。

 なんて早い馬なのでしょう。まるでおとぎ話に出てくる天馬のようです。風を荒々しく切り裂いていく白馬とアルフォンス。

「最後に……一目………とは。神よ……感謝……します」

 え? 何かアルフォンスが言いました。ですが、私にははっきりと聞こえません。

 揺れる馬に気を付けながら、私は、アルフォンスに大声で尋ねます。

「よ、よく聞こえません!」

「か、関係ない!」

 今度ははっきりと聞こえました。アルフォンスは「関係ない」と言いました。

突き放すような言葉……。

 アルフォンスが私のことを嫌っていることは前から知っておりました。

 アルフォンスはフィクショナル公国を古くから支える貴族の長男。そして、私は王の娘。年齢も二歳と違いません。

 舞踏会などが催されれば、アルフォンスと私は踊ります。

 ですが、アルフォンスは私と踊るのが嫌なのでしょう。

 踊っている間も、私の顔を、私の瞳を一度も見ることなく、何処か不機嫌そうに天井を見ながら、まるで私とのダンスが義務であるかのように踊っていました。

 花園などに私がいる時もそうです。私が育てている薔薇の手入れをしている時、ふっと視線を感じると、アルフォンスが遠くに立っていることが度々ありました。

 何か、私に用事があるのでしょうかと紅茶を淹れて差し上げようとしても、私が彼に気付いたと思うと、アルフォンスはさっと踵を返して何処かへと行ってしまいます。


 きっと彼は私のことを疎ましく思っている……。 


 アルフォンスも、私が男に生まれていれば王家は安泰であったのに、と歯痒く思っているのでしょうか。

 国王様に男の跡継ぎがいれば……、と私は陰口をたたかれていることは知っています。

 私が男に生まれていれば、アルフォンスと私は、このフィクショナル公国を支える、唯一無二の親友として、良き助言者として、そしてこの国に平和と繁栄をもたらすという志を同じくする同志として、きっと良い関係を築くことができたのかも知れません。

「アンジェリカ!! あと少しだ! 俺が合図したら、汽車の柵を掴め!」

 アルフォンスが操る馬は、瞬く間に汽車に追いつきました。


 汽車の最後尾の、車輛車の横を走っています。車輛車の柵に掴まる。汽車も白馬も、すごい速度です。

 このまま転落したら私の命はないでしょう。

「今だ!」

 私は、体を左に傾け、左手を柵へと伸ばします。右手はしっかりとアルフォンスの肩を握りしめています。

 掴めた!

 私は、車輛車へとそのまま乗り込みます。そして、今度は柵から身を乗り出し、馬を操っているアルフォンスへと手を伸ばします。

「アルフォンスも早く!」

 しかし、彼は首を横に振ります。

「俺は、残ってゲルマニウムと戦う。アンジェリカ! いや、アンジェ!!」

 アルフォンスは、私のことを「アンジェ」と呼びました。親しい人、お父様や私の友達しかそう呼ばない、私の愛称。

「この戦争が終わったら、お前に伝えたいことがある!」

「でも、あなたは今からお城に……お互い生きて再会できる保証などどこにありましょう。どうか、今、お伝えになって……」

 私の言葉が終わらないうちに、アルフォンスは手綱を引いて、馬を止めました。

 汽車は走り続け、白馬は止まる。

 距離がどんどんと離れていきます。

 アルフォンスは何を私に伝えたかったのか……。車輛車に立ち、私は遠ざかっていく祖国の景色をこの瞳に焼き付けていました。

 そして、汽車は三日三晩走り続け、永世中立国スミスへと到着致しました………。


 ・


 永世中立国スミスへと到着致しました……。


 ・


 到着致しました……。私はなんとか到着したのです……。


 ・


 到着したようだ。


「お客さん、着いたよ! 三千八百円ね!」とタクシーの運転者が言っています。私は電車に乗れませんでした。ですから、最後の手段としてタクシーにのりました。

 私は、財布から五千円札を出します。三千八百円の出費。痛い……。それだけあれば、豪華なランチが三回は食べることができた。

 でも、とりあえず、会社に遅刻しないで済みそう。ギリギリセーフって感じ。白いタクシーから降りて、私は会社の中へと駆け込んで行きます。


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