稽古のラビュリントス
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
つぶらやくん、君は「黙想」をしたことはあるだろうか?
武道とかだと、稽古前後の精神統一のため、行う機会がある。技の動作の確認に始まり、「あの時、こういう風にすればよかったかなあ」という反省にまで及ぶことがある。
よく聞くであろう「瞑想」との違いとして、「瞑想」は雑念を捨てて、一つのことに集中することがメインだが、「黙想」はあれやこれやと考えを巡らせることがメインということだ。はた目には、同じ格好に見えるかもしれないが、方向が違う。自分の内に深く深く潜っていく黙想は、思わぬ気づきに出会うこともあるんだ。
一つ、先生が過去に体験した「黙想」についての話、聞いてみないかい?
先生は小さい頃に、親から柔道を習うか、剣道を習うかの二択を親に迫られた。家に引きこもって本を読んだり、テレビを見たりしてばかりの、インドア派だったからねえ、先生は。修行をさせて、精神を鍛えようという魂胆だったのかもしれない。
当の先生自身にとっては、不満たらたらだったよ。自分がやりたいと思っていないものを、週の決まった曜日、決まった時間に無理やりやらされるんだから。
その日を迎えると、朝から憂鬱。四六時中時計を見ながら、心の中で「あと何時間何分」とおののいていたっけ。そして、いよいよ時間が迫ると、体調が悪くなるんだ。仮病じゃなくて、本当にさ。緊張というより拒否反応、防衛本能の類かもね。
でも、たいてい無理やり行かされた。剣道着を着て、竹刀袋をかついで家を出るから、ばっくれたりすると目立つ。誰かの目や耳に入ったら、余計な負債と重圧を抱え込む羽目になりかねない。覚悟を決めるしかなかったよ。
まだ防具はつけない。声、足の運び、竹刀の握り……基礎から叩き込まれたけど、先生はひたすらに、稽古の時間が終わってくれることばかりを願っていたよ。
そのためには、言われた通りのことを、機械のごとく淡々とこなす。思考を止め、しかし体裁を取り繕い、突っ込む箇所を毛ほども残さぬ。そのせいで、皮肉にも身体に動きが染みつき、防具を着けて他の人との稽古に参加することになっちゃったけど。
先生は、打ち込みは得意だった。正直、言われたとおりにこなせばよかったからね。だが、相手を打つということは、打たれる練習も必要になる、ということだった。
はじめて打たれた時は、面を打たれて後頭部にまで衝撃が走ったよ。小手を打たれてあまりの痛さに竹刀を取り落としそうになった。胴うちも外されて、わきの下を強打されたこともあったっけな。
何度、キレて暴れようかと思ったか。でも、慣れない稽古、慣れないダメージ。身体が苦しくてしょうがない。防具越しとは言え、武器でぶっ叩かれているんだ。ひるむな、疲れるなというのが、無理な話だ。
加えて、地稽古。こちらは精神的にきつい。何せ正解がないんだ。
指示に頼っていた先生は、どうやればいいのか分からない。打ち込みでやった動きなど、どこへやら。先生は竹刀を手に、やみくもに突っかかるしかない。
打たれたくない。それだけなのに。
先生の手打ちは、師範が受け止め、ぐっと押しただけで、あっという間に吹き飛ばされた。床にたたきつけられながら、その上をすべることになるなんて、マンガの中でしかあり得ないと、思っていたのにさ。
もう、べそかいたよ。どうすりゃいいんだって。どうして、俺はこんなことをしているんだって。どうしようもなさが、後から後から湧いてきて、目頭がむずがゆくなる、涙が出たよ。
師範が起こしてくれて、先生は言われるがままに竹刀を合わせて、そんきょした。つま先立ちで腰を下ろす、武道独特の姿勢。先生がぐらつく一方で、師範はまったく動じない。
先生の揺れがおさまる頃、師範が静かに言った。
「君は面打ちの素質がある。面だけを考えなさい。技にも相手にもとらわれず、ひたすらに面を狙いなさい」と。
稽古の前後には黙想をする。その日も、稽古に参加した全員で、行った。
黙想は、師範の柏手でぴたりと止み、全員が改めて姿勢をただす。
師範が口を開く。
「皆、ちゃんと考えて稽古をしていますか。ただ漠然とやる。それで得られるものは、疲労だけ。こうして決まった曜日、決まった時間に集まる貴重な機会。十分に生かさなければ、もったいない」
話を聞く時は、誰一人として動かない。ただ耳を傾けるのみ。
「『黙想』の時間。これもただ目を閉じ、ぼーっとしていてはいけません。稽古が始まる前なら、『今日はこの技を試そう』、『今日はこの身体の運びを直そう』。そのように、今日この時間を使い、やるべきことを決めるのです。身体は一つ。多くはできない。専心すべき課題を作るのです」
まさに自分に向けて、言っているんだろう、と先生は思わず、膝に置いた拳を、ぐっと握り込んだよ。
「稽古の後の『黙想』。この時は反省をしなさい。『あそこでああすればよかったな』という振り返りはもちろん『なぜ、かわされたのか。なぜ、相手の打突を防げなかったか。なぜ、一本を取られたのか』。相手の動きも、思い返して見なさい。直後は気づかぬうちに、いら立ち、たかぶって、分析できているようで、できていないのがほとんど。立ち合いから離れた今こそ、見つめなさい。自分と相手の行いを、もう一度。そして湧き出す新たな課題。それを浮かばせ、次へと進む。この日、この時しかない息吹。漂う空気を吸い込んで。ここだってまた、学び舎なのです」
それから先生は、稽古に臨む時、ただ面だけを究めることにした。どうすれば、自分の面が決まるのか。面で一本が取れるのか、そればかりを考えたんだ。
答えは自分より、むしろ師範を始めとする、相手が持っていた。
あるいは速さ。あるいは誘い。あるいは防ぎを貫く力。打ち方ひとつをとっても、方法は無数にあったんだ。
けど、目標は変わらない。面を究める。その一事だ。
先生はひたすらに面に臨んだけど、今までのような機械じみた思考停止じゃない。竹刀、踏み込み、足の運び……いかに面打ちへつなげるか、それだけを考え、むしろ脳はフル回転だ。
立ち合いは、答えの見えない迷路と同じ。しかも道筋は常に変化する。自分が動き、相手も動く。進むか、退くか、ぶち抜くか。それとも、粘りに粘った末に、相手にその胸、開かせるか。そうして見えた、出口の光明。そこに身体をねじ込ませるのが。すなわち、一本とることだ。
たぎったよ。心地よかったよ。試し、つないで、たどり着くっていうのは。そして、答えは常に変わる。先生も変われば、相手も変わる。それがたとえ、同じ者でもだ。
一期一会の意味、先生は感じた。この迷路、この勝負。今、ここにしかあり得ないのだとね。
学校その他で、稽古がきつい時もあった。でも、直前直後の黙想は、見事にスイッチ切り替えに役立っていたよ。稽古前の黙想が終わると、稽古の頭に。稽古の後の黙想が終われば、日常の頭に。それぞれが一気に結びつくんだ。
先生は中学校を卒業するまで、剣道を続けた。それ以降は、個人的な事情で励むことができなくなってしまってね。
先生のいた剣友会も、中学生が学校を卒業する時に、区切りとして追い出し会を催してくれるのが恒例だった。今まで、何回も先輩たちを送ったけど、自分がその立場になるとは、感慨深い。
最後の稽古の後、後輩たちによる宴会が催されるんだけど、稽古が始まる前に、先生たち卒業生たちは師範にこっそり呼び出されたんだ。
「『黙想』の時に、ほんのわずかに薄目を開けて見なさい。ただし、それ以外は動かず、騒がず、じっとしていなさい」とね。
準備運動後、全員が一列に正座。いつものように師範の合図で、黙想に入る。
静まり返った空気の中、先生は面打ちのことを考えながら、そっと薄目を開けてみたよ。
目の前にいる師範の身体周り。更に床全体からも、小さい糸のようなものが漂っている。ほこりかと思ったが、そうじゃない。ほのかに青白く光っている。
隣で卒業生の一人が息を呑むのが聞こえた。直後、薄めの視界の中で、師範が彼を向き、目を細めたのが分かったよ。「じっとしていろと言っただろう」と、たしなめるようにね。
柏手。みんながぱっと目を開く。糸も一斉に消えうせた。言いつけ通り、先生は平静を装ったけど、胸はどきどきしっぱなしだった。
稽古のできは、まさに卒業するにふさわしかったと思う。
伸び伸びやれた。身体がおのずと前へ前へ。
開く。迷路の出口へ向かって、ひた走り、こじ開ける。先生の研究の集大成。いや、それ以上だ。
思うがままの稽古の後、再び黙想の時。先生はもう一度、薄目を開けてみた。
今度は先生のすぐそばに、青白い糸たちが浮かんでいる。その数はどんどん増えていくんだ。新しく浮かぶのではなく、先生の頬の辺りから「にゅるん」と、目の前に飛び出してくる。思わず、声をあげそうになるのを、こらえた。
稽古前の黙想。あの時消えた糸たちは、先生たちの身体に潜り込んでいたのだろう。そして、稽古後の黙想で彼らは離れていくのだ。
柏手。再び、彼らはぱっと消えた。先生の頭も、すっきりと晴れ渡る。やがて片づけが始まり、宴会へと移っていくけど、あの糸たちはもう姿を見せることはなかった。
先生たちが、稽古で答えを見つけていったように、あの糸も稽古する先生たちの中で、答えを学んでいたのではないか。いや、実はこうしている今も……。
目を閉じるたび、先生は時々、その日のことを思い出すんだ。




