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山の笛吹き  作者: 団楽
4/6

恨み憎しみ

どれほど、長い間笛を吹いていただろうか。

日が何度昇り、月が何度沈んだろうか。


木の焼ける臭いに混じり、肉の焼ける臭いと、血の匂い、それに、風を伝わって聞こえるあまたの悲鳴に、笛吹きは、笛を吹く手をとめると、何事かと、木の上へ上へと昇った。


眼下には、燃える砦、破壊された家々、踏み荒らされた田畑、そして逃げ惑う人々と、剣や槍、矛をもって戦う人々の姿。


「なんだ、これは。」


地獄絵図のような光景に、笛吹き童子は蒼白になると、くらりと揺れる体を支えるために、太い幹に縋り付いた。

ばさり、ばさりと大きな羽音とともに、烏が笛吹きの肩へと舞い降りた。


「これは、何なのだ?」

「戦です。この山は、豊かな鉄が採れるのです。東に立った国の王が、この山を欲し、戦をしかけてきたのです。」


「我の想いは届かぬのか。山が、山が燃えている。」

「清らかなだけの笛の音は、欲望に満ちた人の心には届きません。

笛吹きどのは、想いを込めて吹けば、笛の音は力を持つと仰った。

力を持つ想いは、憎しみや恨みです。


幸いにも、今、人々の心は荒み、陰の気が満ちている。

恨み憎しみを込めた笛の音は、今こそ人心に届きましょう。

戦は収まることなく、人は最後の一人が死ぬまで戦い続けましょう。


人さえいなくなれば、笛吹きどのの願いのとおり、山は守られましょう。」

「恨み、憎む?誰を?」


「人を。


憎いでしょう。恨めしいでしょう。


山を削ったばかりか、己らの欲望のままに、この山まで戦火に巻き込み、焼き尽くそうとする


おろかな人が。」


笛吹きは、煙が上がり、悲鳴に満ちた人の国をじっとみやると、己に問いかけるようにぽつりと呟いた。


「人が憎い?

人が恨めしい?


この心の痛みは、憎しみか?

この心の暗さは、恨みなのか?」



「哀しみを、憎しみや恨みと勘違いしてはいけないよ。」


艶やかに光る漆黒の毛皮に、額に白い星が三つ、大きく強く、愉快で優しい大狗が死んだ。

群れを組んだ人の子が張った、あざとい罠にはまり、狩り殺された。


“星みつ”と綽名された大狗は、狗たちの長であり、山の生獣たちの長であった。

山の者はとても哀しみ、狗だけではなく、鋭い牙をもつ者たちは、皆、牙を剥き出しにして、恨めしい、憎らしいと、人の里を襲おうとしていた。


「哀しみを、憎しみや恨みと勘違いしてはいけないよ。」


山神は猛り狂った獣たちの前に立つと、静かに言った。

愉快な獣たちが、恐ろしい顔をしているのが怖くて、笛吹き童子は山神の袖に縋り付きながら静かに響く山神の言葉を聞いていた。


「それでは、この胸の内で渦巻く、熱さえ感じる痛みと、光すら塗りつぶす黒い渦は何なのですか。

これが、哀しみだと言うのですか。」


狗の言葉に、山神は諾と頷いた。


「哀しみだ。


哀しみが大きすぎて、心の出口から出られずに、大きく逆巻いているのだ。


それを、恨みや憎しみとすり替えて、牙を剥いてはいけない。

恨みや憎しみは、あてどなく増幅する暗い呪いのようなものなのだ。

一度、飲み込まれてしまえば、放った方も、放たれた方も、命尽きるまで飲み込まれてしまう。

笑うことなど忘れてしまって。


そんな命の使い方は、とてもつまらない事だろう。


けれど、哀しみならば、逆巻き荒れ狂い心を焼いたとしても、やがて涙となり流れ出る。

そうして、心に平穏が訪れる、いずれ笑えるようになるだろう。


今は、牙を剥く時ではない。


今は、哀しむべき時なのだ。

三星の死を哀しむときなのだ。」


笛吹き童子は、縋り付いた山神の手が微かに震えているのに気が付いた。

不思議な事だと、山神の顔を見上げた笛吹き童子は、その横顔のあまりの哀しさに息をのみ、静まり返った森に一際大きく響く声で泣き始めた。


すると、山神は優しく微笑んで、笛吹き童子の頭を撫でられた。


「笑い方を知っている笛吹き童子は、よい泣き方も知っておるのぅ。

哀しみの過ごし方をようしっとる。」


牙を剥いていた狗たちも、笛吹き童子の泣き声につられて高く高く泣き声をあげた。


泣き始めた森に、山神はほぅっと息を吐くと、顔をくしゃりとつぶして、やはり、皆の声にあわせて泣いた。


わぁわぁわぁ

おぉぉん おぉぉん

おぃおぃおぃ

わぁわぁわぁ

おぉぉん おぉぉん

おぃおぃおぉ



「憎しみでは無い。恨みでも無い。

この逆巻く想いは哀しみなのだ。

我の想いが通ぜずに哀しいのだ。


そして今、山が焼けて、あぁ、とても、とても、哀しいのだ。」


笛吹きは、笛を唇にあてると、ふぅいと吹き鳴らした。

調子はずれの笛の音はまるで誰かの泣き声のように、高く、高く響き渡り、風に乗り、山の端へと降りていく。


烏はくわぁ、と一声鳴くと、大きな羽を広げて飛びあがり、笛吹き童子の笛の音に乗り、すぃっと人里まで下りていった。


笛吹きの音は、けれど、怒声を放ち、悲鳴をあげる、人々の耳には入らない。

確かに、ここまで聞こえているのに。


烏は、丸い黒い賢い瞳で壊れかけたかやぶき屋根の上から人を見ると、誰にともなく呟いた。


「恨まずも、憎まずも立派ではあるが。

ただ清いだけの嘆きは、何の力も持たぬ。

人々の耳には届かず、人々の心には沁みていないではないか。


清らかにただ嘆いて死ぬことは、恨み憎しみにまみれ、黒く穢れて、それでも生ることよりも尊いのであろうか。

届かぬ嘆きを聞いていると、そんなことに疑問を覚える。」


くぁわぁぁ


一声鳴いたカラスの声は

笛の音と同じほどに、悲しく響いた


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