むかしむかしのなかのむかし
昔々の中の昔。もはや、それを語るものはいない。
語り合うものがいないのだから、語られることはない。
ただ、小さな頭の夢の中、大切に繰り返されるだけ。
子供が泣いていた。
何が哀しくて泣いているのか、何が切なくて泣いているのか。
子供にも理由がわからない。
けれど、子供は哀しくて、無性に哀しくて、ひたすらに泣いていた。
「この童。朝な夕な、ひぃひぃ泣いて、煩くて適いません。気がめいる。」
真っ黒な体躯に額に白い星が三つある大狗が吠えるように言った。
けれど、大狗は言葉の割には、酷く気遣わしげな様子で、幼子の周りをうろうろと歩き回る。
獰猛な顔ではあるが、仲間を何よりも大切にするのが狗という生き物なのだ。
山神は子供の前に胡坐をかくと、やれやれと頭をかいた。
「子供は笑うのが仕事というのに、こんなに泣いては目玉も溶けてしまうぞ。
そうだ、どうれ、笛でも吹いて見るかのぅ。」
「それはいい。山神様の笛ほど、愉快な気分になれるものはない。」
山神は笛を唇にあてると、ひゅぅぃと息を吹き込んだ。
高い調べは軽やかに風に乗る。
しばらくの間は大人しく聞いていた大狗も、軽快な調べに体が動くのか、いつしか愉快に尻尾を躍らし、滑稽な踊りを踊り始めた。
子供は、笛の音にか、あるいは滑稽な狗の踊りにか、顔をあげ目を丸くすると、ついに、涙をとめた。
「そうら。涙が止まった。どうだ、子供。笛が気に入ったのかい?」
「はい。哀しい気持ちを忘れます。」
「そうか、そうか。それは良い。
笛の音で哀しい気持ちを忘れたのならば、笛を吹けば今度は、愉快な気分で笑えるかもしれぬなぁ。
私は、笛を吹くと、いつも愉快な気持ちになるから。
そうだ、子供。
お前にこの笛をやろう。涙がとまったのであれば、今度は笑う番であるぞ。」
山神はそういうと、今まで自分が吹き鳴らしていた笛を子供の手に握らせた。
子供は山神の見よう見まねで、笛に息を吹き入れた。
すぅぅぅ
けれど、吹き入れた息は音にならず、悪戯に管の中を空気が通る音だけがする。子供はむきになると、頬を膨らませ、顔が真っ赤になるまで笛に息を吹き込んで、ついに息が足りなくなったのか、ぱたりと仰向けに倒れると、はぁはぁ、ぜぇぜぇと小さな胸を上下させた。
その様子が酷く可笑しくて、山神も大狗も、やんや、やんやと笑いだした。
子供はむくりと起き上がると、手をたていて笑う山神と鋭くとがった牙を剥きだして笑う大狗を目を丸くして見つめた。
笑いは、愉快は空気を伝わり、耳を震わせやがて、心へ伝わるのだ。
山神と大狗の大きな笑い声は、山の空気を揺らし、山の生獣へと伝わり、いつしか、笑い声は大合唱となった。山を震わす大きな笑いの合唱は、そうして子供の心へも伝わった。
子供の唇はいつの間にかほころんで、それからついに、
ひゃはははは、
と見事な笑い声をあげていた。