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天上の教会  作者: 氷月
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5.子供

 扉の奥にある通路は、窓もなく扉を閉めてしまえば真っ暗になってしまう。そのため、扉のすぐそばに燭台が置いてあった。それを拝借して、通ってきた扉をぴったりと閉める。誰も来ない気配を確認してから通路の先を見透かしてみるも、全く見えなかった。


「どこにつながってるんだろう」


とりあえず、行ってみるしかないだろう。先に何があるのか、全く見当もつかないながら、アサトは足を踏み出した。


 真っ直ぐ続いているかと思った通路は、しばらくすると右に折れた。道なりに進めば、また右へ折れる。そんなことを何度か繰り返しているうちに、気づいた。

「これ、下へ向かってるのか?」

どうも、緩やかな下り坂になっている気がする。


「地下への通路、か」

その先に何があるのだろう。そんなことを考えていると、突然通路が二股に分かれていた。


「え、嘘」

てっきり一本道だと思っていたアサトは、驚いて足を止めた。右か、左かの選択肢を与えられ、しばし迷う。そしてふと、足元を見て、気づいた。


 ざらざらした右側の通路の床は、埃が溜まっているが、左側の通路にはそこまで厚い埃はない。そして、今まで彼が通って来た通路にも、足跡がくっきりつくような埃が溜まってはいなかった。ということは、つまり。

「右は使われてないけど、左は使われてるってことだよな」


少なくとも、定期的に誰かが通っていないと、こんな状態にはならないだろう。ならば、選ぶ方は決まっている。


 それから数度、同じような分かれ道があった。

 まるで迷路のような通路を、最近使われた様子があるのを手掛かりに、奥へ奥へと進む。進むうちに、帰りは大丈夫だろうかという思いが頭をかすめたが、そんなことは今さらだった。


 ただ、衝かれるように先へ先へと進む。そうして、そこへたどり着いたのは、ずいぶん経ってからだった。


 唐突に通路は終わり、目の前に一つの扉がある。


 また、扉だ。


 そう思ったが、ここまで来て開けないという選択肢など、あるわけがない。彼はただ、無造作にその扉に手をかけた。

 開いた先は、小さな部屋。控えの間のような小部屋の左右に、また一つずつ扉がついている。勿体ぶった造りだとは思ったが、さすがにしばし逡巡する。今まではしるべがあったが、今回はそれもない。さてどちらの扉を開くべきかと迷ったが、それも数瞬のことだった。


 ただ何となく、左側の扉を開く。


 開いた先には、一つの部屋だった。


 彼らの宿坊より二回りほど広い程度の部屋に、書き物机と椅子、二人ほどで使えそうな食事机、そして簡素な寝台。作り付けの棚は衣装入れだろうか。それ以外の物はいくつかの本と、書き物机に積み上げられた紙の束くらい。そんな、恐ろしく簡素な部屋に足を踏み入れ、アサトはそのままその場に凍りついた。


 「え……?こ、子供……!?」


そこには、一人の子供がいた。年の頃は、アサトと同じくらいだろうか。扉を開けて固まるアサトを、興味深げに見返している。


(何者?!何で、こんなとこに子供が……?しかも、女の子、だよな、あの子――)

驚きのあまりに呆然と見つめていたアサトに、目の前の子供はにこりと笑いかけた。


「こんにちは」

何の邪気もなさそうな真っ白な笑顔で言う。女の子にしてはちょっと低めだけど、でも柔らかくて心地良い声だな、などという場違いな感想が頭に浮かぶ。


(いやいやいや、何考えてんだ、おれ)

神童、などと呼ばれてはいても、いやそう呼ばれているからこそ、同年代の少女と接したことなど、数えるほどしかない。自分でも、予想以上にうろたえながら、アサトはやっとのことで言葉を返す。


「お、おお……こ、こんにちは……」

「初めまして、だよね?わたしはセシェル。貴方は?」

「アサト……」

「アサト、か。よろしくね、アサト」

突然現れたアサトに全く警戒する様子も見せない。そのことに疑問を覚えても良かったはずだが、うろたえたアサトにそこまで気は回らなかった。


「アサトは今までずっとこの寺院にいたの?それとも、他の寺院から来たの?」

「あ、四ヶ月ほど前に、来たばっかりなんだけど」

「そうなんだ。わたしは、アサトみたいに髪も瞳も黒い人には初めて会ったよ。東地区の人のほとんどはそうって聞いたけど、アサトも東から来たの?」

「え…と……出身は、極東地区なんだけど」

「やっぱりそうなんだ。極東地区ってこことはずいぶん違うの?話を聞かせてくれる?」


キラキラした瞳でそう言うセシェルに、アサトは自分の顔に血が上るのを自覚した。


(う…わ……)

思わず、口元を抑えてしまう。そうしないと、何だかとんでもない失言をしそうで、怖かったからだ。何しろ。


(こんな、綺麗な子、初めて見た――!)


 そう、セシェルは息を呑むほど美しかった。


 腰まで伸びた、金茶の髪。吸い込まれそうな緑の瞳。磁器のような真っ白な肌。細くて長い手足。どこを取っても、まるで精巧に作られた人形のようだった。


 だが、アサトの内心など、セシェルは気付くそぶりも見せない。ただただ嬉しそうに、アサトを質問攻めにし始めた。

「あ、極東地区ってことは、名前だけでも独自の文字があったよね?アサトってどう書くの?」

わくわくとした様子で紙を差し出され、アサトは何も考えずにそこに文字を書く。


「亜怜、でアサトって読むらしい。育ててくれた僧正様からいただいたんだ」

「へえ。怜って賢いとか、感覚が鋭いって意味だよね?でも亜は二番目とか、次の、って意味のはず。これは、貴方は賢いけれど常に自分より上位者がいることを忘れずにいなさいとか、そういう意味かな?」

「え、どうだろう……僧正様には意味まで聞かなかったから」

「そうなの?せっかく文字に意味があるのに、知らないのは勿体ないね」

「いや、まあそうなんだけど。でも、よくこの文字の意味とか知ってたな」

ふと、そんな疑問を口にして、アサトはようやく自分の思考が回り始めたのを自覚した。

 そうして見れば、目の前の状況は疑問しか浮かんでこない。


「うん。前に教えてもらったから」

にこにこと笑って答えるセシェルだが、その答え自体が異常だと知っているのだろうか。


 例えば、今アサトが書いてみせた表意文字。


 今では東地区の文献でしか使われていない文字である。東方の出身者であっても、知らない者の方が多い古語だ。しかも、文字の数自体が膨大で、五万とも十万とも言われている。その文字の意味を文献で調べもせずに言い当てられる者など、世界中を探してもどれほどいることか。


「教えてもらったって、誰に」

「僧正様に」

「僧正様?」

「そう。わたしがいろんな世界のことを知りたいって言ったから」

「……この文字を知ってる僧正様、か……」


誰か、東地区出身の僧正がいただろうか。考えてはみても、人のことに興味を持たないアサトである。知っているのは、大僧正が西地区の出身者だということくらいで、他は見当のつけようもない。だが、それ以上に気になることがある。


「ていうかさ、僧正様に教わってるの?」

子供の教育という仕事は重要な寺院の職務であるが、寺院の幹部は行わない。下位の僧侶の仕事であるのが一般的である。赤の衣以上の僧侶しかいないこの天上の教会ではその限りではないのかもしれないが、たった六人しかいない僧正のうちの一人が、わざわざこんな子供の教育係をしているとは、普通では考えられないことであった。


 だが、その異常さがこの子供には全く通じていない。だから、アサトは直截的な言葉で切り込んだ。


「君って、何者?」

そう問われ、しかしセシェルの答えは簡潔だった。


「何者って、わたしはセシェルだよ?」


それ以外の答えなど、思いつきもしない、という様子である。


「いや、そうじゃなくてだな」

「うん?」

「おかしいだろ、色々」

「おかしい?何が?」

「だって、ここ、どこだか分かってんの?」

「え?ここ?どこって、中央地区第一寺院でしょ?」


さらりと告げられたのは、この天上の教会の正式名称だ。よっぽどのことがない限り聞くことのないその名に、さすがのアサトも反応が一瞬遅れる。

「え、いや…そう、そうだけど…………そうじゃなくて!何で、この天上の教会に君みたいな子供がいるんだ、ってことだよ」


「確かにわたしは子供だけど、でもアサトも同じくらいだよね?」

「…………一応、おれは十六だけど、君は?」

「もうすぐ十五。一つ違いだね。わたし、こんなに歳が近い人に会ったのも初めてだよ」

そう言って、嬉しそうに笑うセシェルはたいそう可愛らしい。だが、論点は確実にずれている。それを自覚して、アサトは思わず深いため息をついた。どれほどの美少女でも、これだけ話が通じなければ、魅力も半減だな、という心の声を聴きながら。


 「ちょっと、順番に整理してもいいか?」

「整理?」

「話の整理。とりあえず、おれの質問に一つずつ答えてくれ」

「うん、分かった」

「ここは、中央地区第一寺院、だよな?」

「うん、そうだね。アサトはさっき天上の教会って言ってたけど」

「そっちの方が通りがいいっていうか、一般的だからな。まあ、俗称だから、それはいい。ここは寺院で、寺院にいるのは僧侶と決まってる。じゃあ、君は僧侶なの?」

「ううん。僧侶ではないよ」

「とすると、おかしくないか。何で寺院に僧侶でない子供がいるんだ?そりゃ、身寄りのない子供を寺院が世話することはあるけど、そういうのは、もっと下位の僧侶が多くいる寺院で行われているはずだ。こんな上級僧侶しかいない寺院で、そんな慈善事業は行わない。ということで、最初の質問に戻るわけだ」

「わたしが何者か、って?」

「そういうこと。おれがおかしいって言いたいの、分かった?」

噛んで含めるようなアサトの言葉に、セシェルは困ったような笑みを浮かべた。

「うん。アサトの疑問は、分かった。でも、わたしはさっきの答え以外言えることがないよ。わたしはセシェル。言えるのは、それだけ」

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