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天上の教会  作者: 氷月
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1.少年僧

 「これを、登んの……?」


山の頂を見上げて、アサトは心底うんざりしたように溜息をついた。見上げる先は果てがない。灌木しか見当たらない荒れた岩肌に、申し訳程度の道が連なっているが、それは整備されたものというより、ただ先人たちが踏みならしただけのものだ。一面の礫砂漠を越えてきた上での山登りに、げんなりするのも無理ならぬことと言えよう。


「なんで皆、あんなに幸せそうに登って行けるんだろうなあ」


周囲を見回し、溜息をまた一つ。確かに、彼のように泣き言を言っている者は他にいない。みんな、山頂に向かって一礼すると、そのまま躊躇いもなく山道に入っていく。その顔は、一様に誇らしげですらあった。


「天上の教会、か――」


見えない先にあるはずの寺院の俗称を呟いて、アサトは思わず顔をしかめる。


 もちろん、アサトにだって分かっているのだ。

 全ての寺院、宗派の源である寺院、それが天上の教会である。そこを訪れることは、人々にとっての夢だ。だからこそ、皆嬉しげに登って行くのであり、溜息なぞつくアサトこそが異端なのである。


「行きたくないなあ……」


自らの異端を、アサトは理解している。だが、彼はここに召集された身であった。どれほど気乗りがしなくても、山を登らなくてはならない。旅の間に繰り返したため息を吐きだすと、彼も人々の流れに乗って歩き出した。


 ほどなくして、アサトは自分が周囲から注目を浴びていることに気付いた。


「勘弁してくれよな、もう」

周囲に聞こえないように口の中でだけ、しかしそれでも忌々しげに彼は呟く。

「だから、来たくなかったんだ」


言って、自分の衣を見やる。ここまでくる旅程では、ずっと上衣を着ていたために、それほど目立つことはなかった。だが今は、さすがに天上の教会へ――世界の第一の寺院へ向かう参詣道で、旅塵にまみれた上衣を着ているわけにはいかないから、上着は背中の鞄の中に入れている。おかげで、彼の着ている衣があらわになっているのだ。


 彼の衣は、深い赤で染められている僧衣である。

僧衣の色は、寺院内で定められている階位によって異なっている。上から順に、紫、青、赤、黄、黒、白。赤の衣は第三位を表す。

実は、天上の教会へ連なる参詣道で、赤の衣の僧侶に出会うことは珍しくない。

何しろ、この寺院へ召集されるのは、赤の衣以上の取得者と決まっているからだ。

だから、周囲の目が驚いているのは、赤の衣それ自体にではない。


 彼が余りにも、若いためだ。


 少し吊り上り気味の黒い瞳や、まだふっくらとした頬、いかにも成長途中といった不均衡な手足。さらには、同じ年ごろの少年たちよりも頭一つ分ほど背が低いことも相まって、実年齢である十五どころか、下手をすると十二・三歳に見られることもざらだった。

 しかし、たとえ十五やそれより二つか三つほど上に見えたところで、周囲の驚きに変わりはなかっただろう。


 人々が天上の教会への巡礼に憧れるように、すべての僧侶がいずれは天上の教会へ上がることを目標にしている。だが、それが実際に叶うのは、ほぼいないに等しい。何しろ、天上の教会が抱える僧侶は常に百名程度。他の寺院へ移されることがないから、誰かが亡くならないと新しい僧侶が招集されることはない。


 世界の僧侶がおよそ、五十万程度。そのうちの、百である。


 そこに選ばれたのが、十四・五程度の少年だなどとは、周囲からすればあり得ない光景なのだった。


 そんな周囲の人々の驚愕を肌で感じ、アサトは内心舌打ちをする。誰かに何かを言われる前に、目的地に辿り着かないと厄介だ。そう考えて、勤めて無表情に、少年は足を速めた。


 山道を三時間ほどかけて登りきる。

 すると、それは唐突に目の前に現れた。


 切り立った崖の先。蒼穹のみを従えて、その寺院は建っていた。


 高い塀があるわけではない。重厚な塔があるわけではない。何一つ、華麗なものなど見当たらない、むしろ建物は質素とさえ言っていい。しかし、そこに佇むということだけで、人々にその威を見せつけていた。


 全てを統べる、天上の教会。


 後にはもう空しかないその場所にあるからこそ、そう呼ばれるのだ。その簡素ささえも、神秘に変えて。


 「ここが、天上の教会」

心の内に異端を抱えるアサトでさえ、圧倒された。それが、この少年にはどうしようもなく悔しい。

「いっそ、華麗でいてくれたら良かったのに」

そうすれば、きっと心が冷えて、呑んでかかることもできただろうに。


 咄嗟に、そんな風に思う。それが自分の負け惜しみであることに気付いて、アサトは一つ息をつく。


 心を落ち着けて、彼が向かうのは寺院の奥。一般の信者に与えられた中堂や側堂を横目に、奥まった場所に据え付けられた通用門へと向かう。低い塀の隣に小さな小屋があり、そこには門番の男がいるようだった。


「失礼いたします。極東地区、第十五寺院より参りました、アサトと申します。僧正様にお取り次ぎ頂けますでしょうか」

落ち着いた声でそう告げると、門番の男は目をみはった。

「これはこれは――。お話は伺っておりましたが、貴方、が……?」

驚きと戸惑いを露わにする男に、アサトはにっこりと笑ってみせる。


「はい。若輩ではございますが、こちらでの修業をお許し頂きました」

言葉使いも柔らかにして見せれば、悪童めいた面影はない。超然としたその姿は、いかにも優秀な選良(エリート)そのものだった。


「はあ…………そう、ですか。いやはや、長らくここで務めておりますが、貴方ほどお若い方は初めてです。失礼ですが、おいくつでいらっしゃいますか?」

「今年、十六になります。今はまだ十五ですが」

「十五!!」

悲鳴のような声に、アサトは苦笑するしかない。歳を告げて驚かれるのは初めてではないし、一般的なことを考えて、彼の年齢が破格であることは確かなのだから。


「…………それは、また――」


最初の驚愕を飲み込んで、独り言のようにつぶやいた男は、はっと何かに気付いてアサトを見やる。


「失礼、致しました。あまりにお若いことに気を取られて、名乗りもせず。わたくしは、ブルーノと申します。どうぞお見知りおきを」

「ブルーノさん、ですね。こちらこそ、まだ右も左も分からぬ新参者ですから、なにとぞよろしくお願いいたします」


深々と頭を下げるアサトに、ブルーノは恐縮してうなずいた。


「ご丁寧に、ありがとうございます。アサト様」

様、と敬称をつけられて、アサトは困ったように笑う。だが、口に出して言ったのは別のことだった。


「あの、それで、わたしはどこへ向かえば良いのでしょう?ブルーノさん、何かお聞きになっておられますか?」

「ああ、それでしたら、もうすぐ取り次ぎの方がいらっしゃる刻限ですから、ここでお待ちになって下さい。昼食は摂られましたか?」

「……いえ、まだです、そういえば」

「では、こちらで召し上がって行って下さい。と言って、何があるわけでもありませんが」

「え、でもご迷惑なのでは」


有り難い申し出ではあるが、彼の食糧を減らすのは申し訳ない。そう遠慮するアサトに構わず、ブルーノは彼の前に作り置きのスープとパンを並べてくれた。

「簡単なもので申し訳ないですが。でも、貴方の歳で食事を抜いてはいけないでしょう。まだ成長途中でしょうから」


にこにこと人の好いブルーノの笑みに、アサトは深々と頭を下げる。

「ありがとうございます。では、遠慮なくいただきます」

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